初めての作曲。


何年も前から、いや、10年とか20年くらい前から、一度は作曲をやってみたいなあという憧れみたいなものはありました。


実は、歌詞はもっと昔に書いてみたことがあります。

ブログを書くのも誰かにメッセージを送るのも自分で作った文章でのアプローチだから、歌詞とはまた違いはするものの作曲よりは作詞の方が少しチャレンジしやすいと感じていた。


でも作曲は自分にとって遠すぎるものと感じてきたから、それができる人たちをとても尊敬していました。


私も私だって

と考えてはやめて、何小節か作っては投げ出して、ということを今までに何度か繰り返していました。

世にある素敵な曲たちを聴くと、こんなの作れないし

と自分の中で勝手に結論したりしていました。


けれど今になりようやくです。

そんな自分を克服しておきたいと思い直すようになりました。


1曲も作ったことないくせに自惚れるな。良い曲かどうか以前になんでも良いからまずは1曲作りなさい!私。」

「最初は下手でも大丈夫。大体みんなそう。」

そう考えを切り替えて、作ることにしました。


そして私は、今年の2月に京子バラッド1周年のライブをした際に「今年中に曲を作って発表します。必ずやります。」と公言し、そこから約半年、人生初の自作の歌が遂にできました。


自分にはとても大きな一歩です。



たくさんの時間をかけて、文字どおりウンウンうなりながら作りました。

とても処女作らしい曲になっていると思います。


発表記念公演をやりますと公表し、今から本当に緊張しています。

歌う時には、格好つける余裕など全くなくなるかもしれない。

けれど発表すると決めたからには聴いていただかないと。

そう思っているので、応援してくださるみなさまにはぜひ足をお運びいただきたいです。

もちろん、これから応援したいと思ってくださる方たちにも。


どうぞお越しくださいね。

お待ちしております。


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the Ballad -step-


日程:2022/9/24()

会場:ライブサロンKARL MOHL

   https://www.karlmohl.net/

時間:open 14:30 start 15:00

料金:3,800円(+1drink


ご予約・お問合せ

kyokoballad@gmail.com


予約サイトからも受け付けています


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昨日、思ってもみない再会エピソードがあったので久しぶりにブログを書きます。

 

一昨年に解散したサロメの唇は、私にとって人生で2つ目のバンドです。

そして、上京の半年前に短期間活動したバンドが、私にとって人生初バンドでした。

20年以上も前の話です。

で、先に言ってしまうと、なんとその時のライブを見てしかも覚えてくださっていた方と、昨日のライブで共演しました。

 

 

上京前、2000年11月に私は、ツインギターとボーカルの3人編成のバンドで初めてのライブをしました。

ギターの2人とは友人を介して知り合って、最初はなんとなく飲み友達のような付き合いから始まったけれど、ある日2人から「今度の学園祭に出てみようよ」と誘われて、わりとふわっとバンドを組みました。

この時点で私は、半年後にはお金を貯めて上京しようと決意していたので、ライブも1度きり。

そんな話で、それでも2人は曲を何曲か書いてくれて、家飲み会のついでにその曲たちを練習するようなゆるい雰囲気のバンドでした。

2人は京大の軽音部員。

だから、ライブ会場は西部講堂でした。

当時、私はなんにも知らなくてピンと来ていなかったけれど、西のロックの聖地と呼ばれる場所です。

私はバンドはもちろんライブ出演自体初めてで、(随分昔ということもあり本番のことはあまり覚えていないけれど)これがライブというやつか~なんて思いながら歌いました。

大学に行っていない私は、なんとなく大学生たちの輪に入って過ごせたのも楽しかった。

 

その後、計画どおりに上京準備を進める私に、メンバーや友人が「解散ライブをしよう」と持ちかけてくれました。

1度しかライブをしていないしそれで終了と思っていたのに仰々しく解散ライブなんて面白そうと思って、やることにしました。

それが2001年4月。

場所は西院のライブハウス「陰陽(ネガポジ)」です。

 

このネガポジの現オーナーさんが、昨日共演した京都のバンド「テンゴ」のバンマスでした。

で、その情報は先に知っていたから、本番前のリハーサルでご挨拶させていただいてすぐに「私、大昔に1度だけ出演させていただいて…当時は山崎さんという方がオーナーさんで…」と伝えたところ、返ってきたお返事が「そのライブ、見たよ。覚えているよ。」でした。

なんと、です。

お話を聞くと(失礼ながら知らなかったのですが)、ネガポジは兄弟で運営されていて、当時はお兄さんがオーナーで、現在は弟さんであるテンゴのバンマス(ヒデキさん)がオーナーということでした。

この解散ライブ後ギター2人のうち1人が、オーナー兄弟のバンド「ウォーラス」に加入して活動していたため、ヒデキさんからすると覚えている理由はあったのかもしれません。

けれど私からすると、あの(格好良く言えば)幻の…幻すぎるライブを見た人、そしてまさかの覚えている人と、20年以上越しにこうした形で会えるとは、本当に驚きました。

 

長く続けていると、こういうこともあるんだと感激しました。

時間のかかる私の歩みを肯定してもらえたような、そんな気持ちになりました。

 

これは、ネガポジでのライブが終わってからだったかな、ギターの2人が私に「これでがんばってこい!」とプレゼントをくれた時の写真です。

紙袋の中身は、SURE58というマイク。

何も知らない私に、これが世界基準のどこでも使えるマイクだから。と教えてくれました。

 

さすがにもう良い音が出なくて今は使っていないけれど、使っていた頃はこれをもらった時のことを思い出しながら使っていました。

のちに、弘田三枝子さんのサイン入りマイクとなりました。

今も大切に保管してあります。

 

 

気持ちを奮い立たせてくれて、今回のエピソードにありがとうと言いたいです。

2022年6月26日の日曜日の夕方。

「みなさん、ラストライブお疲れさまでしたー!!」

というチーフの乾杯の音頭で、サロメの唇の打ち上げが始まりました。


2020年11月22日の解散から1年半余り。
ようやくの開催です。

本来なら、ラストライブ当日のうちに打ち上げをする予定だったけれど、新型コロナの影響を受け、残念ながら延期となってしまった。

今年の春あたりから、そろそろ開催しようという話が持ち上がり、ラストライブに出演したメンバーとスタッフを中心に集まることになりました。

1年半の間、一度も会えていないメンバーもいたし、会っていたとしても、元々しょっちゅう顔を合わせていたことを思うとほとんどのメンバーが久しぶり。

当時はリハの日程調整もなかなか大変だったな…みんなでスケジュールを入力していたな…と懐かしく思い出しながら日程を決めて、実現に至りました。


打ち上げは、ライストライブ2デイズの映像を流しながら、みんなで飲み食いしておしゃべりして、映像からサルビアを私にが流れてきた時には3人のダンサーが並んで踊り出し後ろではハヤシさんがドラムのアクションをして、手品大会をして、(キッズもいたので)相撲大会もして、それから誕生日当日のかずみんのこともみんなで祝いました。


最初の乾杯をしてしばらく経って、少し遅れてきたメンバーも到着して全員集合となり、再び「かんぱーい!!」とグラスを合わせた時。

突然、「チーフ、京子さん、おつかれさまー!!」と、花束を渡された。

不意打ちだった。
思ってもみなくて、ものすごく驚いたのと同時にあの日のステージ後からJAMを出るまでのことがフラッシュバックしたような感覚になり、胸がいっぱいになりました。
あの日の続きをしているみたいだった。

花束は、みんなでコッソリ打ち合わせてどんなお花にしようかと相談してくれたそうで、チーフには食虫植物や毛が生えたような毒々しいお花、私にはラストライブの衣装のような赤いお花をと、それぞれにイメージして選んでくれたとのことでした。

「これが橘京子としてもらう最後のお花だよ」
と言われ、そうか、今日私はサロメの唇の橘京子だったのか、と気付き、この花束をとても意味深く受け取りました。

みんながサロメの唇のことも私のことも、すごく大切に想ってくれているんだなと実感した。
こうして文字にしている今も、しみじみと感じています。



イヴちゃんが「みんなに会いたい」と言って開催のきっかけをくれて、

ホッペちゃんは会場の準備をたくさんの時間を使って協力してくれて、

ペラはかずみんへのサプライズケーキの準備を手伝ってくれて、

かずみんは知らぬ間にチーフと私への花束をみんなに呼びかけてくれていて、

ヒラッキーはサロメの唇を親戚みたいなもんだと言ってくれて、

ハヤシさんはどの曲が大変だったかを初めて話してくれて、

エミーリーちゃんはこの日を含めこれまでに何度もサロメの唇のために名古屋から東京へ足を運んでくれました。

スタッフのアベちゃんとコンちゃんは、私にとっては今でもいちばんよく飲みに行く友人です。

このメンバーで、以前と変わらない距離感のまま集まることができて本当に幸せです。


解散ライブ当日の打ち上げを延期にすると決めたあの時は、
その日だけの感情があるのに。
後日集まっても、意味が変わってしまうのに。
ツアーだって泣く泣く諦めたのに、打ち上げまで…と、どうしようもない現実が本当に悔しかった。

けれど日の無念が晴れました。


バンドを18年間も続けること、
解散ライブをできること、
期間が空いても打ち上げができること、
特別だと思います。


心がホッとした、そんな一日になりました。
本当にありがとう。

7/18日曜日には、U.F.O.CLUBで歌わせていただきました。


元々は4/29に昭和の日の開催予定だったこちらのイベントは、ギャランティーク和恵さんとわたくし京子バラッドのツーマンライブでした。


この日は初披露の曲を加えて全9曲を用意していたところ、楽しくて言葉がどんどん出てきてしまったためにMCが長引き8曲のお届けとなってしまった

という、やはりリラックスしながらのステージでした。

お越しくださったお客さまたちはもちろんマスクをつけて声は出せないものの、客席からは温かい空気感がものすごく伝わってきた。

去年までの17年間で何度も何度も歌わせていただいたU.F.O.CLUBは、だからこそピリッとするのかなと思いきや、1曲目を歌っている時からなんというかホーム感のようなものを感じました。

私は今またここで歌って良いんだなと実感することができました。

とても幸せな気持ちで歌わせていただきました。

本当にありがとうございました。


和恵さんのライブは、本当に格好良かった。

歌声はもちろん、衣装もステージングもです。

バンドメンバーにかずみんとヒラッキーがいて、それからリーダーのやっさんもサロメをサポートしてくれたことがあって、そんな彼らの演奏の気持ちの良いこと!

この空間でのバンドサウンドに、これこれ!と思いながら私は体を揺らして思う存分楽しませていただきました。








この2日前の野毛うっふが楽しくてとても気分の良いまま18日を迎え、お昼過ぎにU.F.O.に入ってかずみんやヒラッキーの顔を見つけて和恵さんややっさんやスタッフさんたちと久しぶりの挨拶をして、本番前から嬉しい気分で過ごしていたこの日。

楽屋ではかずみんと並んで化粧品を貸し借りしながらメイクして、、いつもの。という雰囲気だったな。

和恵さんは、私が自分じゃ使わないからと以前に差し上げた香水を今もお持ちで、それをお渡しした時のことを話したり。

そういった時間も、本番の私のリラックスに繋がっていたように思います。

当日の心って、とても大切です。



それにしてもこのイベント、実現できて本当に良かった。

最初にやっさんから声をかけてもらったのはたしか1月。

まだ京子バラッドの名前の公開前で、これから自分が誰かから出演のお誘いをいただけるかどうかも現実的には考えられていなかった頃でした。

そこにギャランティーク和恵さんとのツーマンライブのお話。

本当に私で良いんですか!?という気持ちを持ちつつ4月に向けて準備を始めて

結果、4月から7月に延期となったけれど、それすらヒヤヒヤの状況。

そんな流れがあったからか、実現できてホッとしたのと募っていた楽しみな気持ちも相まって、あの夜は特別なかんじがしました。


  


7月はライブが3本。

そのうちの2本が自分にとって本当に実りあるライブでした。

3本目は7/31です。

また初披露の曲をやります!

少しずつでも初めてのことを取り入れていきたい。

幸せのあまりブログを書きますおねがい


先週金曜日とその2日後の日曜日のことです。

ひとつづつ書きます。


* * *


先週7/16の金曜日は、京子バラッドとして初めてお客様を目の前に歌わせていただくステージでした。


※4月には生配信ライブでお披露目させていただきました


そこで、自分の時間で8曲、そしてイベントの最後にはいちご団×しょうけいさんと私とピアノ翔くんの全5名で2曲を演奏し私は阿仁異さんとデュエットさせていただきました。


すごく楽しかった。


とても緊張してしまったらどうしよう。

ピアノの弾き語りも自分でセットリストに入れたものの、曲にならないくらいとちったらどうしよう。

と、その日考えてもしかたないことが本番前に過ったりもしたけれど、始まってしまえば何だかすごくリラックスして嬉しい気持ちで私はステージにいました。


平日の早めの時間にも関わらず、野毛まで足をお運びくださったみなさん、本当にありがとうございました。

素晴しい初めてをいただいて、わくわくするようなスタートを切ることができました!







今回のライブに関してはまず6月のはじめ頃、極悪いちご団の阿仁異さんから連絡があった。

珍しい、どうしたのかしらとメッセージを見ると、一緒にライブをしませんか?とのこと。

私、この時とても嬉しくて、何故ならこんなふうにオファーをもらえるのはまだ少し先のことだと思っていたから、驚きつつすぐにスケジュールを確認してお返事させていただきました。

そしてすかさず、前から阿仁異さんとやってみたかったデュエットも是非とお伝えしました。


いちご団といえば、サロメの唇としてすごくお世話になり、去年までいちご団のドラムを叩いていたダイゴさんはサロメでも叩いてくれていた時期があったし、サロメ解散のわりと間際までライブでご一緒させていただきました。

そしていちばん大きな思い出としてはやっぱり2年前のパリでの日々。

寝食を共にしながら1週間の中で何度も一緒にライブをしてワインを飲んでパリ市内をたくさん移動して

そうして、私の中ではとてもお近づきになれて嬉しかった。


そんないちご団と今またご一緒できるなんて。ソロとして。しかもこんなに早くに。

有難いやら、いろんな状況的にすごく久しぶりに会う気がして待ち遠しいやらで、とても楽しみだったライブ。

それは、想像以上に得るものを感じたライブでした。


いちご団とは、またそう遠くないうちにご一緒できそう。
実はツアーの話も少ししています。


続いては、7/18のギャランティーク和恵さんとのライブのこと!