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顕正会の誤りについて【戒壇建立の時】

顕正会では、御遺命の戒壇建立の時について、

「日本国の国主たる天皇も、大臣も、全国民も、一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、この大御本尊を守護し奉るためには,有徳王・覚徳比丘の故事に示されているごとく、身命も惜しまぬ大護法心が日本国にみなぎった時

(基礎教学書・P296

日本一同の広宣流布の来る事を大聖人は断定せられ、先師はこれを事の広宣流布と仰せられ、その時を事の戒壇建立の時と伝え給う。」

(「『正本堂』に就き宗務御当局に糺し訴う」より抜粋)

等と、日本一国に広宣流布した時としています。

 

しかし、御歴代御法主上人の御指南を拝していくと、明らかに

「世界に広宣流布した時が戒壇建立の時」と御教示されています。

そして、このことを浅井会長は会員の目にあまり触れないようにしています。

 

例えば、基礎教学書P306において、

「六十四世・日昇上人
『国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり』
(奉安殿慶讃文)

と掲載しています。その続きを見てみましょう。(青字は同じ部分)

 

国立戒旦の建立を待ちて六百七十餘年今日に至れり。国立戒旦こそ本宗の宿願なり。三大秘法抄に『戒旦とは王法仏法に冥じ佛法王法に合して王臣一同に三大秘密の法を持ちて、乃至、勅宣並に御教書を申し下して建立する所の戒旦なり』と之は是れ宗祖の妙法蓮華経が一天四海に広宣流布の時こそ之の時なり。」

一天四海とは仏教の世界観における全世界のことです。

繰り返します。日昇上人は

一天四海に広宣流布の時こそ之の時なり。」

と仰せです。

つまり最初に示した通り、

「世界に広宣流布した時が戒壇建立の時」

と仰せなのです。

また、基礎教学書P305において、
「五十九世・日亨上人

『宗祖・開山出世の大事たる政仏冥合一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ』(大百蓮華十一号)」

と掲載しています。

浅井会長は何も解説しないので、顕正会員の方はスルーしていたかと思いますが、

日亨上人も

「一天広布」つまり「世界に広宣流布した時が戒壇建立の時」

と仰せなのです。

まだ納得できない方の為に、文証を列記します。

 

第五十二世日霑上人「三大秘法談」

「次に事相の戒壇とは三大秘法抄に遊ばすごとく後五百歳中広宣流布の金言虚しからず此の本門壽量の肝心たる南無妙法蓮華経の五字日本国中は申すに及ばず漢天竺惣(すべ)て一閻浮提の内に八万の国あり。其の国々に八万の王あり。王々ごとに臣下並びに万民も此の法を信受し一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と本門壽量文底秘沈の御題目を修行すべきの時ある。是れを則ち事の広宣流布と申す也。

 

第五十九世日亨上人・校閲「仏教手保登記」

「大聖人御弘通の事行の南無妙法蓮華経が世界中に広宣流布して所謂一天四海皆帰妙法の暁、王法と仏法と冥合して一と成り、其時の主権者が戒壇堂を建立せられ

 

第六十五世日淳上人「三大秘法抄拝読」

「第三に戒壇と申しますと大聖人の御本尊を受持致すことでありますが大聖人の終窮究竟の御化導は一閻浮提一同に本門の御本尊を信じ奉ることにありまして、その時に一同の帰命の御本尊を置し奉るところを本門の戒壇と仰せられたのは本鈔に於て明らかなところであります。」

 

 

「国立戒壇」の語を使われた、日亨上人・日昇上人・日淳上人は皆、

「世界に広宣流布した時が戒壇建立の時」

と仰せなのです。

これでもまだ

「日本一同に広宣流布した時が戒壇建立の時」と言い張りますか?

顕正会の主張は、歴代御法主上人の御指南とは異なるのです。

「顕正会の主張は先師上人と同一」というのは間違いなのです。

 

ここまでお読みになった顕正会員の方、顕正会が本当に正しいかどうか立ち止まって考えてみませんか?

疑問・質問がある方はどうぞご連絡下さい。

顕正会の所蔵本尊の矛盾・疑惑について(改訂)

以下の要点より、顕正会所蔵の本尊の殆どが偽物と断定します。

 

顕正会が「英邁な御法主」と慕う第65世日淳上人は、

 

「宗教は本尊によって、成立するのである。よって宗教の邪正は本尊によって決定せられなければならない。而て此の本尊に於ては正確に邪正を断定できるのである。本尊が正しければその宗教は正しく、反対に正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である。

 

と仰せであります。

純真な顕正会員におかれれましては、この「正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である。」との日淳上人の仰せを肝に銘じ、

一刻も早く脱会し、真の日蓮大聖人の仏法である日蓮正宗への帰依を願うものです。

 

 

<日布上人に御形木御本尊についての矛盾>

①平成11年以前は日寛上人の御形木御本尊しか無かったのに、後になって急に出てくる。

 

平成5年6月25日号の顕正新聞には、

「松本尊能化はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ、それを私に託して下さったのであります。そのほか、本部会館安置の御本尊を含めて、歴代上人の大幅の常住御本尊七幅も、お渡し下さった。」

とあるが、平成4年までに高知会館、上尾事務所、新横浜事務所、水戸事務所、藤沢事務所、新笹口事務所の6か所に「日布上人書写御本尊」が安置されている。

であるから、この平成5年の顕正新聞は真っ赤な嘘

 

会館安置の「大幅御形木御本尊」は本来御宗門が下付していた「日布上人御形木御本尊」と相貌が全く同じであるにも関わらず、約1.5倍に拡大されている。

この「大幅」つまり大きいサイズの御形木御本尊は宗門に存在しない。

なぜなら、御形木御本尊は本来信徒用に授与されるものであり、「大幅」である必要がないからである。

 

③日布上人の御登座は大正時代であり、日達上人の御登座後、日達上人の御形木御本尊に統一されているので、遅くとも昭和30年代の御本尊である。つまり授与されてから少なくとも50年以上経っており、紙でできている以上経年変化は免れない。

しかしながら、顕正会の日布上人の御形木御本尊は余りに真新しい。

 

<日布上人の御形木導師曼荼羅についての矛盾>

①平成15年では「常住御本尊」であったものが4年経って「御形木御本尊」になっている。数も増えている。

また、書写された御法主上人のお名前も変わっている。

 

②導師曼荼羅は、ご住職が時の御法主上人猊下から直接下付頂くものであり、必ず直筆御本尊である。また、その性格上大量に下付する必要はないので御形木御本尊である必然性がない。

 

③②の通りご住職が頂くものであるから、脇書き(授与書き)は御住職の名前が入る。

よって「大日蓮華山大石寺」の脇書きもありえない。 

 

④下記のかつての浅井会長の指導によると御形木本尊は「信心決定までの暫定の仮本尊」であるから、ご住職に下附される御本尊が「仮本尊」であることはありえない。

 

「しかしながら近年に主って、木宗に入信する者が全国的に増えたのと、御在世を遠ざかるにつれて内得信仰のまま強き信仰を貫くことが難しくなったため、止むなく入信時に御形木御本尊(印刷された御本尊)仮りに貸与するという制度が行われるようになったのです。」(顕正新聞昭和541115日号)

「止むなく信心決定までの暫定の仮本尊として、形木御本尊(印刷された御本尊)が下附されるようなった」(折伏理論解説書P65

 

 

<自宅拠点安置の日寛上人御形木御本尊の矛盾>

①日寛上人の御形木御本尊が下付されていたのは、浅井発言にある通り昭和41年までである。解散処分を受ける昭和49年前の妙信講員が妙縁寺において、既に日達上人の御形木御本尊を下付頂いているという証言がある。

つまり、解散処分を受けた時には妙縁寺に日寛上人御形木御本尊は存在していなかったことになる。

よって松本日仁氏から授与されたものではなく、後になって勝手に印刷したものである。

 

②日達上人の御登座後、日達上人の御形木御本尊に統一されているので、遅くとも昭和30年代の御本尊である。つまり授与されてから少なくとも50年以上経っており、紙でできている以上経年変化は免れない。しかしながら、顕正会の日布上人の御形木御本尊は余りに真新しい。

昭和30年当時は技術的に「酸性紙」しか存在しない。酸性紙の寿命は20年程度であり、保存状態の如何に関わらず劣化していないとおかしい。

 

③正当な日寛上人御形木御本尊には、「格子模様」が見てとれるが、顕正会版に日寛上人御形木御本尊には「格子模様」が存在しない。

これは、既に何幅もの顕正会版日寛上人御形木御本尊が日蓮正宗末寺に持ち込まれ検証済のことであり、証言も多数ある。

昭和40年以降印刷技術の進歩によって「格子模様」が見えなくなったのであり、「格子模様」が無い顕正会版日寛上人御形木御本尊はのちになって顕正会が作成した可能性が極めて高い。

 

 

(参考)

以下は第65世日淳上人の御指南である。顕正会は日淳上人を「英邁なる御法主」と尊敬しているのであるから、心して拝しなくてはならない。

 

『宗教の利益はその根本に尊崇し奉る本尊の正邪により且つその説かれる教法の正邪によつて分かるるのである。

 本尊と教法が正法である時 利益は期せずして現ずるは理の当然であつてその利益は又正しいのである。

 若し教法が不純であり邪法であるならば仮令(たとい)利益をいふもそは必ず不純であり邪道の利である。

 故に宗教に入るには唯その利益を見て決するは冒険この上なしといはなければならぬ。

 故に宗教選択の道は利益を先とせず法の邪正をもつてなさねばならない

(日淳上人全集)

 

「既に宗教は本尊と教義を具へてをる限り善悪邪正を此れに向って批判を為すことができる。しかしてその究竟のところは本尊にある乃ち正しき本尊を立てる宗教は正しく、誤った本尊を立てるものは邪教である。(中略)故に本尊の如何なるかが一切を決定する。」(日淳上人全集)

「宗教は本尊によって、成立するのである。よって宗教の邪正は本尊によって決定せられなければならない。而て此の本尊に於ては正確に邪正を断定できるのである。本尊が正しければその宗教は正しく、反対に正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である。」(日淳上人全集)
 

 

(付記)

日蓮正宗以外の諸宗の本尊は悉く内容のないデタラメ本尊か、或いは時機不相応の熟脱の御本尊、或いは大聖人からの付嘱もない者の勝手に作りあげた偽本尊である。

※「冨士」昭和37年10月号

 

「何よりも顕正会は、解散処分によりかえって、二代の悪貫首の本尊に縁をしなくなったことこそ、実は大功徳だったのであります。細井日達、阿部日顕の両貫首は、御本仏の御遺命を破壊せんとした師敵対の者ですよ。師敵対の者に、どうして大聖人様の御魂を、書写し奉る資格がありましょうか」と。

(顕正新聞 平成十九年十一月五日号 第1084号)

 

⇒平成10年までは日達上人・日顕上人書写の御本尊を拝んでおり、拠点として入信勤行を執り行っていたこともある。これは、顕正会が平成10年までは日達上人・日顕上人を血脈相承した御法主上人として認めていたことに他ならない。

大いに矛盾である。

 

 

 

 

顕正会破折「現時における事の戒壇の文証」

顕正会では、「広宣流布が達成した暁にしか事の戒壇は存在しない。」「広宣流布以前に事の戒壇は存在しない。」

とし、日達上人の御指南を誤りとしています。

しかしながら御歴代御法主上人の御指南・御説法には、広宣流布以前にも事の戒壇が存在するとわかるものが存在しますので

それをまとめました。

浅井会長の云う「広宣流布以前に事の戒壇は存在しない。」は間違いだということがわかると思います。

 

第三十二世・日教上人『末法証得抄』

「此の本門の戒壇に事の戒壇と道理の戒壇と云うことあり。事の戒壇とは、直ちに本門の御本尊の住処の事之事なり

 

第三十六世日堅上人『壽量品説法』 

  事ノ戒旦 一幅ノ板御本尊掛奉所ヲ云

 道理ノ戒旦 御代々御書写御本尊掛奉所ヲ云

 

第四十三世日相上人『三大秘法之事 大貳阿闍梨御講

  在々処々本尊安置之処ハ理ノ戒壇也

  冨士山戒壇ノ之御本尊御在所ハ事ノ戒也

 

第五十二世日霑上人『三大秘法談』

「未だ廣布の時至らず事相の戒壇御建立なしといへども、此の道場即是れ事の戒壇真の霊山事の寂光にして、一度も此の砌に望まん輩は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅して三業の悪転じて三徳を成ぜんこと毛頭疑いあるべからず」

 

第六十世日開上人『御宝蔵説法』

「事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜り、本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし。又其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光にして、若し此の霊場に一度も詣でん輩は、無始の罪障速やかに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん事、毛頭疑いあるべからず」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顕正会の所蔵本尊の矛盾・疑惑について

以下の要点より、顕正会所蔵の本尊の殆どが偽物と断定します。

 

顕正会が「英邁な御法主」と慕う第65世日淳上人は、

 

「宗教は本尊によって、成立するのである。よって宗教の邪正は本尊によって決定せられなければならない。而て此の本尊に於ては正確に邪正を断定できるのである。本尊が正しければその宗教は正しく、反対に正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である。

 

と仰せであります。

純真な顕正会員におかれれましては、この「正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である。」との日淳上人の仰せを肝に銘じ、

一刻も早く脱会し、真の日蓮大聖人の仏法である日蓮正宗への帰依を願うものです。

 

 

<日布上人に御形木御本尊についての矛盾>

①当初は日寛上人の御形木御本尊しか無かったのに、後になって急に出てくる。

 

平成5年6月25日号の顕正新聞には、

「松本尊能化はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ、それを私に託して下さったのであります。そのほか、本部会館安置の御本尊を含めて、歴代上人の大幅の常住御本尊七幅も、お渡し下さった。」

とあるが、平成4年までに高知会館、上尾事務所、新横浜事務所、水戸事務所、藤沢事務所、新笹口事務所の6か所に「日布上人書写御本尊」が安置されている。

であるから、この平成5年の顕正新聞は真っ赤な嘘

 

②「大幅」つまり大きいサイズの御形木御本尊は宗門に存在しない。

 なぜなら、御形木御本尊は本来信徒用に授与されるものであり、「大幅」である必要がないからである。

③日布上人の御登座は大正時代であり、日達上人の御登座後、日達上人の御形木御本尊に統一されているので、遅くとも昭和30年代の御本尊である。つまり授与されてから少なくとも50年以上経っており、紙でできている以上経年変化は免れない。

しかしながら、顕正会の日布上人の御形木御本尊は余りに真新しい。

 

<日布上人の御形木導師曼荼羅についての矛盾>

①平成15年では「常住御本尊」であったものが4年経って「御形木御本尊」になっている。数も増えている。

②導師曼荼羅は、ご住職が時の御法主上人猊下から直接下付頂くものであり、必ず直筆御本尊である。また、その性格上大量に下付する必要はないので御形木御本尊である必然性がない。

③②の通りご住職が頂くものであるから、脇書き(授与書き)は御住職の名前が入る。

よって「大日蓮華山大石寺」の脇書きもありえない。

 

<自宅拠点安置の日寛上人御形木御本尊の矛盾>

①正当な日寛上人の御形木御本尊と比べ、大きくなっている。

②日達上人の御登座後、日達上人の御形木御本尊に統一されているので、遅くとも昭和30年代の御本尊である。つまり授与されてから少なくとも50年以上経っており、紙でできている以上経年変化は免れない。しかしながら、顕正会の日布上人の御形木御本尊は余りに真新しい。

 また、昭和30年当時は技術的に「酸性紙」しか存在しない。しかし、顕正会の日寛上人御形木御本尊は「中性紙」でできている。その証拠に正当な日寛上人御形木御本尊には、「格子模様」が見てとれるが、顕正会版に日寛上人御形木御本尊には「格子模様」が存在しない。これは、既に何幅もの顕正会版日寛上人御形木御本尊が日蓮正宗末寺に持ち込まれ検証済のことであり、証言も多数ある。

 

 

創価学会が靖国神社に布施をしたらしい

 

最近ずっと顕正会のことでしたので、たまには創価学会も。

 

 

まあ既にいろいろなところで報じられていることではありますが、

靖国神社の「みたま祭り」の提灯に「創価学会」の名前があったそうな。

提灯を奉納したということは、当然靖国神社に供養したってことですね。

 

・創価学会は、日蓮正宗に対して「戦時中神札を受ける謗法をした」

・牧口会長は神札を拒み、謗法を受けなかった故投獄された。

 

ここらへんの整合はどうするんでしょうかね?

また、「創価学会青年部サイト」という公式サイトの中に立正安国論の

項目があるのですが、

 

「謗法への布施を行ってはならないこと」

http://www.sokayouth.jp/study/nenkan/2012/ri06.html


と書いてあります。

矛盾だらけですね。

 

こんなんでいいんでしょうか?創価学会員さん。

本当に創価学会は「日蓮大聖人の仏法」を信じているんですか?

一旦立ち止まって考えられたらいかがでしょうか?

 

今の創価学会の指導は、戸田会長の指導と全く違っていますし、

池田会長がまだ人前に出ていた時の指導とも全く違います。

 

「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である ことは、これからも少しも変わらない」

 

これは、日蓮正宗から破門後の平成5年に発表された池田会長のスピーチです。

どうでしょうか?

「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません 。」

これが原田会長の指導です。

原田会長は、池田会長の指導すら否定し、その方向性はどこに行こうとしているのかすらわかりません。

私達の信仰の中心は戒壇の大御本尊様ではなかったでしょうか?

その点に関しては、戸田会長も池田会長も変わっていません。

変節してしまった今の創価学会はもはや存在の意義はないのです。

そんな状態だから平気で靖国神社に提灯を奉納したりするんです。

 

戸田会長時代の、「戒壇の大御本尊様を信じる信仰」に戻りませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

顕正会200万達成報告会?

明日8/1は顕正会が大宮ソニックシティで200万達成報告会を行うそうですね。

明日、仕事休んで休暇を取っている人は幹部かもしれませんね(笑)

それは冗談として、どんな打ち出しがあるのでしょうか?
次なるノルマ(請願)の打ち出しか、はたまた城衛氏への禅譲発表か、それとも新たなる邪義の発表か。

まずは発表を待つことにしましょう。

追伸:ソニックシティって2500人しか入れないんすね~。200万に対して2500人、少なー!

顕正会脱会!

ご本人も見ていられるので、あまり変なことは書けませんが、本日、愛媛県の顕正会員の方と一緒にお寺にお伺いし、納得の上御授戒を受けられました。
御授戒後、顕正会に入会させてしまった家族や友人を折伏していくことを決意されていました。
大聖人の仏法を詐称する顕正会を辞め、正しい日蓮大聖人の仏法を今日まで連綿と護持しておる日蓮正宗に縁をする手助けさせて頂き、本当にありがたいです。

御授戒の際、御住職が授戒文を引かれ「『邪』とは仏法の道理に反することです。」と仰られていました。また「『正法』とは戒壇の大御本尊様のことです。」とも仰られていました。

まさに、仏法の道理に反し、正法たる戒壇の大御本尊様から会員を遠ざけようと誑かしているのが浅井会長以下の顕正会幹部の連中です。

顕正会の皆さんは「現証論」が大好きですが、50年もの間、戒壇の大御本尊様に手を合わせられないこと自体が「現証」ではありませんか?
日寛上人は、寿量品談義に
未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ。」
と仰せです。
「本尊に打ち向ひ」とは戒壇の大御本尊様を直接拝することですね。遥拝ではないんです。
「戒壇の地に住して」とは、大石寺の奉安堂に座ることですよ。遥拝ではないんです。
そして、「本尊に打ち向ひ」「戒壇の地に住して」唱える題目が本門の題目ですよ。遥拝だけでは本門の題目ではないんです。
日寛上人は、「登山しなさい」と仰せです。
素直にこの日寛上人のご指南を拝したら、今の顕正会のやっていることは悉く間違っていると思いませんか?
浅井さんは仏様ではありません。
日蓮大聖人は仏様です。また、御歴代御法主上人猊下も三宝一体の上からはその御内証は仏様です。
浅井さんの言葉を信じますか?仏様の言葉を信じますか?
答えは簡単ですね。

顕正会・浅井会長が僧宝?

今日、顕正会婦人部の総班長という人と話しました。

血脈の話になり、

顕:日達上人は相承をしていない。

 

私:浅井会長はかつて「かくて日道上人・日行上人・日時上人・日阿上人・日影上人・日有上人と、『本門戒壇の大御本尊』を付嘱の法体として代を重ねること67代、清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている。」( 『冨士』昭和61年11月号 ) と言っていますよ。この浅井会長の発言は嘘ですか?また相承をしていないということは断絶したということですか?

 

顕:相承はしていないけど、断絶はしていない。

 

私:???断絶していないということは、日達上人からの血脈相承はどこに行ったんですか?

 

顕:わからない。それは浅井先生しか知らない。

 

私:そんなの浅井会長のイリュージョンに騙されているんですよ。日達上人から日顕上人への御相承を無かったとしたら、大聖人の仏法がそこで絶えてしまったということじゃないですか?

 

顕:言えないけど、誰に相承があったか聞いている。

 

私:!!!!えっ?それは日達上人から浅井会長へ相承があったということですか?在家に血脈相承されるなんてありえないですよ。なに言っているんですか?

 

顕:(焦ったように)浅井会長へ相承があるわけないじゃいですか。

 

私:では誰に相承したんですか?

 

顕:・・・・・・・。

 

こんな感じでしたが、いやあ~びっくりしました。口を滑らせたけどさすがにやばいと思ったのか結局は明言しませんでしたが、顕正会内では、浅井会長が僧宝であると噂話のように言っているんでしょうね。本当に邪義です。

浅井会長を神格化し崇拝している様がよくわかります。

 

他にも日寛上人の御言葉を引用しても、日蓮大聖人の御金言を引用しても全く聞く耳を持ちませんでした。

御金言に反しておきながら、浅井会長は「日蓮大聖人の仰せの通りの信心」と喧伝します。もう理解不能です。

もはや「日蓮大聖人の仏法」では無く、「(日蓮大聖人を利用した)浅井会長の仏法もどき」の偽物でしかありません。

偽物で幸せになれる道理がありません。本当に不幸になるだけです。

 

浅井会長を信じて堕地獄の因を積んで不幸になるか、日蓮大聖人の御言葉をそのまま信じて幸せなるか、どちらがいいのでしょうか?

顕正会員のみなさんはよくよく自分の胸に手を当てて考えるべきだと思います。

 

顕正会の害毒

今日、この間話した顕正会の人に会いに行ってきました。

前回は、今度きちんと話しましょう。と約束したので、期待していたんですが、上の役職者からからストップが掛かったんでしょうね。

「今はビラを配る方が大事です。」って。。。

顕正新聞では、御宗門に誹謗の限りを尽くすのに、実際対面する顕正会員は逃げ回ってばかりです。

これで、顕正会は正しいと言えるのでしょうか?

 

私:「顕正会には三宝のうち、僧宝が無いから正しくない。」

顕:「僧宝はなくていい。浅井せんせ~が・・・・」

私:「顕正会の本尊は偽本尊だ。偽本尊には悪鬼魔神が宿る。悪鬼魔神に祈って成仏が叶うわけがない。」

顕:「偽本尊でよい。浅井せんせ~が・・・」

 

もうこれ、顕正会の害毒としかいいようがありません。

日蓮大聖人の御金言も関係ない。仏法の道理も関係ない。すべて「浅井せんせ~」のいうことが正しい。

物事の正邪、道理を判断できない妄信の域です。
これで、実生活がちゃんとなるはずがないですね。
本当に、偽本尊の害毒は恐ろしいです。
こんなものを世の中に弘められては、益々世の中が悪くなってしまいます。
ですので、顕正会が無くなるまで、声掛け続けます。
 

偽本尊は怖い~創価学会・顕正会の方々へ~

昨日は、大塚駅前でまた顕正会の人に声かけました。
人の良さそうな方だったので敢えて深くは破折せず、連絡先の交換と次に会う約束をとりつけました。
顕正会の人は本気で顕正会のことを信じ、日蓮大聖人の仏法を広めるんだという気概の人が多く、その気持ちは素晴らしいなと素直に思います。
だからこそ、残念でもあります。
「顕正会では幸せになれないんだぞ。不幸にしかならないんだぞ。」と。
顕正会では教えてもらえないからある意味当たり前だけど、御本尊のことを知らなすぎる。。。

偽本尊の害毒は本当に怖いんです。
私の父方の叔父叔母と祖父母は創価学会当時で同居してました。
祖母が老人ホームに入ることになり、しばらくして病院に入退院を繰り返すようになりました。何度か会いに行き、大分高齢で痴呆症も入ってましたが、「大石寺に行こう。戒壇の大御本尊様に会いに行こう」というと「行こうね。行こうね。」と返事をくれました。
しかし、その願いは叶わず、しばらくして帰らぬ人となりました。
そして、叔父叔母特に叔父の意向が強く学会葬で葬儀は行われました。
何とかお骨は日蓮正宗の墓に入れたいと思い、分骨してもらうために単身で叔父叔母の家に向かいました。
分骨をしてもらうことが目的だったので、激しい折伏はしませんでしたが、祖母に大石寺に行こうと伝えたら行きたいと言っていたことを伝え、少し折伏しました。
その数日後、叔母が突然脳溢血で倒れ、緊急入院しました。数ヶ月に渡り何回も開頭手術を繰り返ししたが手術の甲斐無く半年程で亡くなりました。
御本尊様の右上に「若悩乱者頭破七分」と認められておりますが、まさにこの通りの現証でした。
本当に偽本尊は怖いんです。
祖母を学会葬で送った叔母に当時かなりの憤りを覚えていましたが、この罰の現証をまざまざと見た時、憤りよりも、可哀想だなという気持ちの方が強かったです。

偽本尊に手を合わせている創価学会・顕正会の皆さん、一刻も早く偽本尊に手を合わせるのを止め、今までの謗法を懺悔し、戒壇の大御本尊様の下に参じるべきです。

事が起こってからは手遅れです。本当に。
私は祖母や叔母の時のような悲しい思いはもうしたくないんです。
だから、一人でも多くの創価学会・顕正会の人たちに目を覚まして欲しい。
そんな想いで今います。

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