【男前道】愛宕神社の“出世の石段”を駆け上がる
男前なら出世を志す?人もいるだろう。。。
というわけで、かくかくしかじかあって、
要するに4月からまた心機一転仕事を頑張ろう、
という決意のもと、
出世の神社として有名な東京都港区にある
『愛宕神社』に行ってきた。
なぜ出世で有名かというと、
神社入り口にある『出世の石段』に理由有り。
以下、神社ホームページから引用。
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その由来は講談で有名な
(っていっても近頃は知らない人の方が多いけれども)
「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなみます。
江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、
ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が咲き誇っておりました。
家光公は、その梅を目にされ、
「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」
と命ぜられました。
しかし、この愛宕山の石段はとても急勾配です。
まあ、一度いらしゃってみて下さい。歩いてのぼり降りをするのだに、
ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、
とてもできそうにありません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落とします。
せっかく江戸の平和の世に、こんなことで命を落としてはたまりません。
家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなってきます。
もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、
この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。
家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、
家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、
その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。
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ということです。
しかもこの階段、上っている途中に止まってはいけません。
出世したいなら。
立ち止まらずに駆け上がるのが出世に繋がるとのことです。
なので、当然自分は止まらずに駆け上がりました。
実は去年の1月2日も駆け上がってます。
で、出世ではないですが、派遣から正社員登用となりました。
今年も元旦に行ったのですが、夜だったので、
肝心のお守りがゲットできずだったのです。
なので、今日改めて参拝し、お守りもゲットしてきました。
今日は天気もよく、桜も満開でとても清々しかった。
4月から気持ちを新たに頑張る◎