オイディプス王について | 福岡人・井口誠司の演劇路

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路上芝居をしたり、舞台に立ったり、映像作ったり、ともかく面白いものが作りたい。

今日は隔月恒例の演劇書を読む会でした。

 

本日の議題はソポクレスの「オイディプス王」言わずと知れた古代ギリシャの名作です。

 

 

ざっくり内容を説明しますと・・・

 

名君の誉れ高いオイディプス王の治めるテバイ国で不幸が続いている。そこでアポロン神に神託を求めるのだがどうやら旅の途中殺害された前王ライオスを殺した下手人がみつからないこと、国内に近親相姦を犯した者がいることが原因らしい。

オイディプス王はそんな奴は許しておかないと犯人捜しに躍起になるのだが物語の謎が解けていくにつれ父を殺し母を犯した人間は自分だということが判明してくる。

最後、決定的な証拠をつかんだ王は自らの両目をつぶし、国を去る。

 

という感じです。

 

 

さて、まずこの話、『ギリシャ悲劇』なんてものにたいしてどんなスタンスで挑むかという話から始まりました。

 

答えは大衆演劇、とてもわかりやすい、たとえるならば橋田壽賀子シリーズのようなスタンスで受け止めるべきだという話になりました。

 

前段であらすじをネタばれ気にせずに書いたのですが、オイディプス王の逸話自体当時の人皆知っているという前提で考えてよいみたいです。

 

つまりオイディプス王=名君の誉れ高い人だったが、そうとは知らずに実父を殺し、近親相姦しちゃった残念な人。ってなイメージ。 

 

 

 

さてこう考えた上でこの戯曲の何が面白いか・・・僕が一番に挙げるのがそのくどさですww

 

 

以下本文引用(物語序盤、オイディプス王にがかかった疑いを預言者テイレシアスが告げるまでのやり取り)

 

テイレシアス登場→オイディプス王がテイレシアスに預言を伺う長台詞→

 

 

テ『ああ、なんと恐ろしいことか、知って何の役にもたたぬのに、それを知る知恵を持っているということは!ええい、私としたことが、そんなことはよく弁えていたはずではないか、それをうっかり忘れてしもうた、さもなければ、ここまで、こうしてやってきはしなかったろうに。』


オ『どうしたのか、ここへ来るなり、その沈んだ顔つきは?』


テ『王よ、家へ帰らせて下さらぬか。それこそあなたが自分の重荷を背負って行く一番たやすい道だ、その代り私も自分の重荷を一人で背負って行こう、許してはくださらぬか?』

 

オ『おかしなことを言う、自分を育んでくれたこの国に対しても、それは決して真心のこもった言葉とは言えぬ、今の問いに答えず、いきなり面を背けるとは』

 

テ『いいや、王よ、私には分かっている、今、あなたがものを言うのは時に適ったことではないのだ。私までそれと同じ過ちを犯したくなはい。』

 

オ『いや、神かけて言う、知っていることがあるなら面を背けないでくれ、われら一同こうして膝を折って頼んでいるではないか。』

 

テ『それも、王よ、みんな、何も知らぬからだ!私は決して自分の不幸を明かしはしない、あなたの不幸とは敢えて言わぬまでもな。』

 

オ『何ということを!秘密を知りながらそれを口には出さぬと言うのか。さてはわれらを裏切り、このテバイの国に破滅をもたらすつもりだな?』

 

テ『私は苦しめたくないのだ、この自分を、そして王よ、誰よりもあなたを。なぜそのような役にもたたぬことを訊こうとするのか?私を相手に何かを知ろうとしても全く無駄なことだ。』

 

オ『何を言う、この人でなし!石くれでさえ、貴様には怒りを覚えるであろう。さあ、どうしても言わぬ気か?あくまでそうしてことを済ませる気だな?』

 

テ『あなたは私の気性をを責める、が、あなたのうちにすむあなた自身は見えぬらしい、そして非は私にあると言う。』

 

オ『誰が怒らずにおられよう、今のようにこの国を蔑ろにするような言葉を聞かされれば、当然の話だ。』

 

テ『来るべきものは、おのずからやってこよう、私が沈黙のうちにすべてを覆い隠そうともな。』

 

オ『やってくるに相違ないと分かっているなら、それを私に話すのがお前の務めではないのか。』

 

テ『これ以上、もう何も言わぬ。怒りたければいくらでも怒れ、あらん限りの憤懣をぶちまけるがいい。』

 

オ『おお、そうしてやろうと、もう勘弁出来ぬ。なるほど俺は怒りっぽい、その怒りに任せて、おれの考えを聞かせてやろう。貴様だな、この悪事を企み、自らは手を下さず、それを実行に移したのは、ええい、この人非人!もし貴様が目明きであったなら、(テイレシアスは盲人)』誓ってもいい、貴様一人でそれをやってのけたと言いたいところだ!』

 

テ『そうか、そう言いたいのか?それなら私もあなたに命じる、自ら口にした布告に従い、今日、この日より、誰にも口を聞いてはならぬ。これらの市民にも、私にも。ほかでもない、あなたこそこの国を穢した許し難い罪びとなのだ。』

 

オ『その居丈高な傍若無人の嘲り、よくもほざいたな。その恐ろしい報いをどうして逃れようつもりだ?』


テ『おお、とうに逃れているは。その力は私の語る心理のうちに宿っているのだ。』

 

オ『今の話を貴様に教えたのは、一体、何者だ?少なくともそれが占いの術だとは言わせぬぞ。』

 

 

 

とかたっくるしく見えますが文庫本見開き一ページ半ほど使ってやってるのが「教えてくれ」「教えたくない」の押し問答、このあとテイレシアスの予言を受け入れられないオイディプス王の怒りでまたヒートアップしていきます。

 

 

オイディプス王に纏わる「謎」はこういったクド目の会話を通して解けていきます。

 

 

その謎が解けた先にあるのは王妃の自殺と王自ら両目をつぶして国を出るバットエンディング。

 

クライマックスこそ悲劇ですがこのくどいやり取りを喜劇的に見せられるのではないかという話をしました。・・・新喜劇とかお笑いみたいなww

 

 

さて、本文引用でだいぶ長くなってしまいましたもう幾つか・・・

 

 

オイディプス王が現在まで残った要因としてあげられるもっとも大きなテーマ、近親相姦について。

 

 

このとらえ方について今日のメンバーでも意見が分かれました。

 

 

もちろん現代社会においてもタブー視されているものですが・・・

 

オイディプス王を現代日本で上演するに当たり手を加えるとして、たとえば「愛」の一言で片付けてしまってよいのではないかということ、「困難はあるけど愛があれば乗り越えて行ける」みたいな・・・とかBL・ゲイが許される世の中だからそんなに深く考えなくてもいいんじゃないか?といったスタンスで組み立てていく。やっぱり近親相姦は許されないのでこのままあるべきだとわかれました。

 

 

ちょっと皆さんに考えてほしいのが身近な友人が近親相姦者だったと仮定してそれをどう受け入れるか、僕の読みでは(極端に若い人は受け入れられないと思いますが)今26歳の僕と同年代前後の人間は以外とショックは少ないと思うのです。

 

たぶんこれは性愛の形態が多様化しているからだと思いますが・・・


ナイーブな問題なのでブログに書くのはこのあたりにしますが、他にも色々な上演方法の話が出来ました。

 

 

たぶんこれが平田オリザ著『東京ノート』とかだったら台本上の指定が多すぎて、こんな風には話が広がらなかったろうと思います。

 

 

今回の会の参加者は3名、もっとたくさんの人と話ていろんな話を聞いてみたかったと思うと少し残念です。

 

 

オイディプス王、当時のギリシャ人がどんなことを考えてたかとか(紀元前300年とかに書かれた本ですから)ただ読むだけでもなかなか楽しい本でした。

 

 

ちょっぴりお勧めをばいたしまして本日の更新を終わります。

 

 

井口誠司企画のテンパリ狂 45 おわり

 

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