シュゴノナイブンショウ | 京都のホームページ制作会社 社長 年比于ブログ

シュゴノナイブンショウ

随分久しぶりの書き込みである。



最近は、某青年団体の活動に忙殺され、ブログを書いたり仕事をする時間が全くない・・・・・。





ん?






仕事をする時間が全くない!!???









これはおかしいのではないか!!!???








本来こういった活動は、仕事あってのものであるべきである!!





それがなぜ!?








なんなんだこの団体は!!??










おっと、失礼、








本文に戻るとしよう。









最近追い詰められ、苦痛しか感じていないこの青年団体だが、とにかく会議が多いことで知られている。現在の私の立場だと、月に3回の会議に、京都府下の団体会議に月1回オブザーブすることになっている。


この会議で一体何が語られているのか、何を議論しているのか、気になる方もいるだろう。


この会議では、某青年団体が行う活動(月に1度例会を開催したり、様々な事業をおこなってるのだ)に対し、計画書を作成し、それを理事メンバーに見て頂き、その事業をする事で、目的が達成できるのかを判断し、意見を頂く場となっている。

計画書を作った人間は、上程台と呼ばれる処刑台に立ち、自分の計画を熱弁するのだ。



この会議は半分いじめのようなものである。このような計画書の作成が得意な者もいれば、得意としない者もいる。それでも同じように上程し、得意としない者はみんなから多くの意見という名の反論を厳しく述べられ、コテンパンになって帰っていくのだ。


私は今年、ほとんど計画書を書くこともなくなり、上程される計画書をじっくり見て意見を言う事が多くなった。


最近の議案を見て思う。筋が通っていない議案が多すぎである。背景も、目的も、手法もばらばらで、一体何を理解し、どんな学びが得られるのか。それが記載していない議案が非常に多いのだ。

そしてそんな議案を見ていて共通することは、日本語の使い方や文章がきちんと出来ていないのだ。だいたい主語がない文章が多すぎてどこに発信しているのか、何を伝えたいのかが全く分からなくなっているのだ。その度に小言を言うのだ。「これ主語無い!これ文章おかしい!」もはや言い過ぎて疲れてしまう。ところが、当の本人は、「えっ、どこがおかしいですか?」のように、全く分かっていないのである。



これでは議論にもならない。




議案を作る者はその責任を背負い、しっかりと筋を通して議案を作るべきである。






なぜこんな若者が多くなっているのか・・・・・。






考えたからと言って、すぐに答えが出る訳ではないが、文章力の低下という部分では、本を読む習慣が減っているという点は大きなポイントになっているのではないかと思う今日この頃である。














さて、












話は全く変わるのだが、
















先日道を歩いていて、おもしろい店のアピール装飾を発見!
















もちろん、私はこの文章に対してこう言ったのだ!















「主語がない!」











「って言うか、何屋やねん!?」