Diego Forlan & his sister / ウルグアイ代表ストライカー

 デイエゴが22才ころ、上の姉と

12歳だった少年時代、 17歳の姉が交通事故のため下半身不随となった

「点を取れないプレッシャーも大変なものだけど、そんなの歩けない苦しみに比べたら何でもないことだよね。 ...

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 抱っこされている一番幼い子が、ディエゴ

ウルグアイ代表として1974年ワールド杯にも出場したパブロ・フォルランを父親に持つ

 2008年

姉はモデルになりたかったんだよ。実際いろんな事務所から誘いがあった。今は心理学者を目指してる。博士号も取ったんだよ

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ディエゴ・フォルラン
2003年4月10日(木)
3月28日の日本代表とウルグアイ代表の親善試合での先制打はディエゴ・フォルランにとって、代表戦6試合で3点目。しかし南米リーグからイングランド・プレミアシップへ移籍した彼の初ゴールの道のりは長かった。

フットボールエリート
マンチェスター・ユナイテッドの2人目の南米プレーヤーは、1人目のフォアン・セバスティアン・ヴェロン同様、血統書付き2世のフットボールプレーヤーだ。1979年5月19日ウルグアイ、モンテヴィデオに生まれたディエゴ・フォルランは、有名なウルグアイ代表だったプレーヤーを父に持つ。パブロ・フォルランは1960~1970年代にウルグアイ代表として、2回のFIFAワールドカップ出場経験を持ち、また彼の祖父や叔父達もウルグアイやアルゼンチンリーグで活躍していたという、まさにフットボールエリートの直系で、経済的にも恵まれた環境で育った。プライベートスクールに通い、フットボールはもちろん、有名なテニスクラブにも所属していたという。

転機
恵まれすぎるくらいの環境から、フォルランが週給約6,000円のプロに転向するきっかけとなったのは家族を襲った突然の不幸だった。12歳の時にモデルの姉アレハンドラが瀕死の交通事故に遭う。脊椎を損傷したアレハンドラは半身不随となった。その後の度重なる彼女の大手術・治療費はフォルラン家の財政を苦しいものにし、3階建ての家は改築され、うち2階分を他人に貸し出すまでになる。父パブロの古い友人ディエゴ・マラドーナもフォルラン家の状況を聞きつけ、寄付金集めに協力したという。姉に世界で最良の治療を受けさせ、回復させる事がフォルランの目標となる。そして彼は16歳の時に両親にフルタイムのフットボーラーになりたいという意向を告げ、18歳の時に1年の期限付きで承諾を受けた。その1年で結果が出なければ、大学に進学するというのが条件だった。

プロ入り
かつて父がプレーしたウルグアイリーグのペニャロール入りし、その後ダヌビオでもプレーをしていたフォルランの才能を買って、あるビジネスマンが投資することに合意する。若きフォルランの将来性を担保にしたそのギャンブルは見事に大当たりし、フォルランはアルゼンチンリーグのインデペンディエンテと契約。その契約金は姉の治療費にあてるため、即家族の口座に送金された。最近のフットボールプレーヤーの散財ぶりが目立つ中、その話題は美談として取り上げられとこともあり、フォルランは一躍注目を集めた。

イングランド移籍
2000/2001、インデペンディエンテの初シーズンでフォルランは20得点をマークする活躍をし、将来有望な若手ストライカーとしてアルゼンチン以外のビッグクラブの目にも留まるようになる。南米の次はヨーロッパ、特にイングランドでのプレーを望む本人の意向と、アルゼンチン国内の経済難の煽りを受けたクラブの財政状況が重なり、フォルラン放出の現実色は濃くなった。またイタリア系移民のフォルランは、イタリア国籍パスポート保持ということもあり、就労ビザ取得のハードルも既にクリアしている事も大きな要因のひとつだった。興味を示す数クラブの中で、ミドルズバラとの交渉が最終段階に入り、2002年1月にフォルランはイングランド入りする。

移籍逆転劇
しかし、ロンドンの空港でブエノスアイレスからニューカッスル行きの便に乗り継ぎをするフォルランを待っていたのは、ミドルズバラ関係者だけではなかった。密かにフォルラン獲得に動いていたマンチェスター・ユナイテッドの関係者は、空港で彼とインデペンディエンテ関係者と接触。ミドルズバラの分割払いよりも好条件の一括払いを承諾し、フォルランは急遽マンチェスター行きの便に搭乗することとなる。同日の午後にはメディカルチェックを済ませ、フォルランのマンチェスター・ユナイテッドへの690万ポンド移籍は成立。一方、ロンドンの空港ではインデペンディエンテ側がミドルズバラ関係者に事情を説明し謝罪。空港で数時間のうちに起きた、前代未聞の大逆転劇は幕を閉じた。

[マンチェスター・ユナイテッドでの苦闘
世界のトッププレーヤーが集まるマンチェスター・ユナイテッドはその競争の激しさと、南米とのプレーのスタイルの違いもあり、まだフォルランのブレークは訪れていない。初ゴールも先シーズンの移籍以来、プレミアシップリーグ24試合目、UEFAチャンピオンズリーグでは8試合目まで待たなければならなかった。現在移籍から1年が経過し、現在はサブ出場がメイン。UEFAチャンピオンズリーグ、プレミアシップリーグ共にタイトル奪取を狙うマンチェスター・ユナイテッドにとって正念場はこれからだ。そしてサブとして結果を出し続け、トップストライカーの1人としての地位を確立するチャンスは、フォルランにはまだ残されている。
 --.uefa.comより

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フォルラン

で、 どうして、いつも、このおじさんのところに行くの?

 彼はお父さんでは、ありませんよ、宮沢ミシェルさん!

 もう、お父さんは白髪ですから

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