よく”客観的”とか、”客観視”とかの言葉が用いられますが、人は客観的に物事を見ることができるのでしょうか?


例えば、友人2人と会った時に、今日来ている服の品評会が始まったとします。そして、友人Aと友人Bが私にどちらが素敵か、を聞いてきた時、あなたならどう判断するでしょうか?本来であれば、服の素敵さに関して、問いかけをされているので、その2つの服装を絶対的評価にかけ、結論を出したいところです。ここで、仮りに私が友人Bの服の方が素敵、と判断したとします。では、その根拠は何か?


根拠は、例えば、服の色合いが自分好みであった、服のブランドが気に入るものであった、デザインが自分の好むものであった、友人Aより友人Bの方に好感をもっていた、等々が挙げられると思います。どれもこれも、客観的な立場に立っての判断、というよりは、主観に頼った判断である、と言えます。私という人物は、なるべく私利私欲を排して客観的に判断しようと努力した、にもかかわらず、結果して、自分の判断を振り返って考察すると、自分の欲目が入っていた事に気づかされます。つまり、この場合の判断は、客観的ではなく、主観的によっていると言えます。


ですから、人というものは、頑張ってみても客観視できないもの、と捉えた方がよさそうです。敢えて、表現するならば、「準客観視」でしょうか。準客観視とは、客観視に準ずる、という事で、客観視ほど完璧なものではないが、限りなく客観視に近くなるよう努力した見方、であると、定義したいと思います。客観視を求められた時に、どうしても欲目が入ってしまうと知りつつも、頑張って欲目を少しでも排して見る、これが準客観視であると考えます。


ワンクリックお願い致します!

↓↓↓

人気blogランキング