すべてはここ(愛)からはじまる

すべてはここ(愛)からはじまる

愛で在ること。
                               

 



Amebaでブログを始めよう!

今まで、このブログを読んでくれて、みなさん心からありがとう。


今日で、このブログを終わりにします。


また、ご縁があったら、きっと会えますね。どこかで。


Love, Hiroko

プロジェクトM の終わりが見えてきた。


このM は、まぎれもなく、無空庵のMだ。


けれど、最後になって、気がふぅ~と抜けてしまった。

「よかった、よかった、よかったね、」と自分に言って、すっかり満足してしまっているのだ。

本になる前に、もう、終わった感がある。


その理由に、この本作りにおいて、師は

私の真我の成長を望んでいらしたからだ。


その目的は果たしたように思う。


私は、この本を作りながら、実に大きく、変容してきた。

驚くべき速度で。


それだけ、この本にエネルギーを注いできたわけなのだが。


一千を超える、ブログを、何度も何度も読み返し、

「さて、どうしたものかな」、と、最初、これを本に編集するのは不可能でさえ思えた。


ただ、何度も、読み返すだけだった。それで約1ヶ月はすぎていった。


そして2ヶ月めに、これは素晴らしいと自分が思ったものをピックアップした。

プリントアウトしたら、ブログのほとんどだった。約千枚くらいあったと思う。


それでは、ただコピペしているだけだった。それに途中で気づいた。愕然としたものだ。


同時に、無空庵の仲間の、素晴らしい記事も集め始めた。

これが、また、きりがない。


全員の、一人ひとりのベストを選んでいたのだけど、

途中で、ベストが選べなくなってしまった。

全部、良すぎるから。

頭のなかを、ピンポンボールが飛び交うように、混乱して、

一体どうしたらよいか分からなくなった。

「あ、これがいいかな、えっでもこれもいいよね」と。


同士の一人ひとりの変容に愛を感じながら、悦びを感じながら、読んできた。


でも、そうとうに混乱して、途中で、とりあえず、あきらめた。

まずは、師の言葉からしようと思った。

頭が混乱すると、運動をしに行った。

だから、本を作りながら、体が鍛えられていった。


それから、少しづつ、少しづつ、進めてきた。


師の言葉は、ラマナ・マハリシ の本のように、いつ、読んでも新しく感じる。

前に読んでも、また、そのときに、違う理解があるからだ。

自分は気づかないうちに、変容しているのだと思う。


だから、本当に、本当にきりがなかった。


私は、ひとつのブログ記事を一体何度読みかえし、タイプしたことだろう。

そのたびに、反芻されて、自己理解が深まっていったのだと思う。


そして、今の私が在る。


やはり、この本作りは、恩寵であった。


さあ、もう少しだから、やり終えたら。リラックスしてないでさ。

と自分に言った、今日。













リバーシング・ブレスワークのつづきです。


さて、この呼吸ですが、


意識的な循環呼吸、とレナードは呼んでいました。


赤ちゃんの呼吸、それから動物の呼吸は、吸気と呼気がつながっています。

それこそが、もっとも自然な呼吸だそうです。これを続けます。


人は、知らず知らずのうちに、息を止めていたり、

鼻から呼吸をせず、口を開けて呼吸をしたりします。


しかし、これでは、エネルギーをうまく取り入れることはできません。


呼吸は、ただ酸素を吸うだけのものではなく

エネルギーを取り込んでいるのです。


呼吸は、ドイツ語で atmen 。

これは、古代インドのサンスクリット語で、

「内なる精霊と神」 を意味するアートマンからきています。

本当に、精霊が宿っているとさえ、思います。


呼吸は奥の深い、神秘的なもの。

誰もが常に行っている、あたりまえの奇跡のようなものです。


エックハルト・トールは、

「呼吸を観察すると、いやおうなしに、いまこの瞬間に「在る」ことになる。これがすべての変容の鍵だ」 

と言っています。


意識的に深い呼吸をすると、心が、マインドが止まり、意識が普段とは違う状態になるのです。


何かを考えることなど、できなくなるのです。

やってみれば、すぐ分かります。


そして、絶対的な観照状態に、入っていきます。


そこで、何が起こるかは、誰も予測できません。呼吸が行くべきところへ、導いてくれます。


呼吸、私、クライアント、その3者がひとつになったとき、

愛でひとつになったときに、

大きな浄化が起こります。


抑圧されていた感情、痛み、とうに忘れた記憶、体の不調…様々なものが浮上します。


そして、それは波のように、現われて、消えていきます。

必ず、静まっていくのです。


それは、美しい、ひとつのドラマです。

浄化が起こり、終わったとき、心身が完全にリラックスします。

誰も口を開くことは、できなくなります。


毎回、毎回、感動します。

言葉ではうまく言えませんが、ずっと長い間、本当に長い年月知らずのうちに、抱えていたものが、

光に当たって、消えていくのです。

一人ひとりの中にある、愛と純粋さと清らかなもの、

そして私の同じものが、呼吸の力を借りて、

これをひき起こすのです。


トラウマ、心の苦しみ、超えられないこと、悲しさ、辛さ、焦り、パニック、うつ、中毒…

心理療法でよくならなかった人。

人間関係の改善、親子、恋愛、夫婦のこと。

自分を知りたい人、ちょっと元気の無い人、イライラしたり、ストレスを感じている人、

ただ、興味のある人、

私に会いたい人…


ぜひ、来てください。東京で、とりあえず、7/24~27、29します。 それからは未定です。


hiroko55@optonline.net まで連絡してください。

つづきは、また書きます。





















早くも、息子たちは、夏休みになってしまった。

まるまる2ヶ月半も夏休みだなんて!
宿題もいっさいでない。
ヤツラは遊びほうけるのだ。
脳みそがとけるまで。

これでは、仕事がはかどらない。
本は無事にできるだろうか…。

pcに向かう私の頭の上を、おもちゃのガンの玉が飛び交う。
流れ弾をくらってしまった。かなり痛い。
ムっとして、手動で投げつける。無駄な体力を使ってしまった。

かんちゃんが、ラップを歌っている。
お経のようだ。なんじゃいそれは!?笑わせないでくれ。
もっとハギレよく、歌えないもんかなあ。

おまけに、二人は、なんと頭をモヒカンにしてしまった。

うちに、わけのわからないモヒカン少年が二人もいるのは、目障りだ。
朝は元気のいい、ギンギンのモヒカンも、夕方になるとお疲れの様子。くたっとしてて笑える。
しかしその頭で、マミーのおひざに乗ってくるかな。かんちゃん…。

モヒカン兄は、野球で帽子をかぶるから、いつもつぶれてしまってる。タコ八郎のようだ。
この頭に意味はあるのだろうか。いや、意味も意図もないだろう。

彼は、友達を連れてきて、超くだらないラップソングを今コンピューターで作っている。
作りながら、ゲラゲラ大笑いだ。母は、母はぁ~
ついつい聞いて笑ってしまう。あぁ、おかしすぎる。
おまけに、私としたことが、うっかりアイデアを出していたりする。
これでは進まないのだ。

これがいつもの私のペースだ。
これで、在れるのか!?もう、笑うしかない。

現われの世界は手ごわい。
私は、とても神聖な気持ちであるというのに…。
超えていきましょう。母。
てか、
とっとと、プールにでも行っておくれ。息子たちよ。




リバーシング・ブレスワーク 日本でセッションします。


呼吸による、浄化・解放のエネルギーワークです。


以前の私の師・レナード・オアからマスターしました。

レナードは、神の呼吸と呼びます。

霊的な浄化、感情の浄化、肉体の浄化がおきます。


レナードは、この呼吸をインドの不死の聖者、ババジに実際に出会い、伝えられたそうです。

ババジは、永遠の命を持つ存在であり、たくさんの書物が残されています。


数千年以上も、肉体を20代半ばの若さのまま維持し続け、自分の意思で肉体を非物質化したり、物質化したりできると言われています。


レナードによれば、ババジはシバやラーマ、クリシュナとして現れ、インドの王としても現われているといいます。イエスを導き、モーゼやエリヤとともに働いたとも、言っていました。


レナードの寝室には、若いころのレナードと、ふっくらした、輝く子供のようなババジが、

二人楽しそうに笑っている写真が飾ってありました。


その顔は、よく写真で見かける、あのババジでした。

レナードの家には、いたるところに、ババジの写真がありました。


ババジは、スピリット、マインド、肉体におけるセルフマスタリーの実践法として、

Spiritual purification (霊的浄化)をレナードに勧めたといいます。


それは、Earth, Water, Air, Fire の浄化法です。


そのAirに当たる浄化が、このリバーシング・ブレスワークです。


ババジは西洋のプラーナヨガであると言ったそうです。


私は、やっとこの呼吸の真の素晴らしさが最近、分かってきました。

無空庵で共鳴を体験することになったからだと思います。


とにかくレナードは、言葉で私に説明をしてくれる人ではありませんでした。


感覚から、全てを学ばなければなりませんでした。


話すのは、ババジのことと、死を克服することについてばかりでした。

当時私は、ババジにも、不死にも興味をもっていませんでした。

(彼の興味は、不死と、そのときはローカルマネー、地域で紙幣を作るという運動でした)


彼がヴァージニアのある駅に車で向かえにきてくれたとき、

「君は素晴らしいリバーサーになるよ。僕にはそれがわかる。」

そういって、世間話もしないで、いきなりディパックチョップラ氏のCDを大音量でかけ、

私を驚かせ、

「これを毎日聞くといい」といったきり、

何も教えてくれませんでした。


彼の馬の名前や、犬の名前は教えてくれましたけど。

ナマハに、シバーヤに…。

彼は、火と戯れ、馬と戯れ、私が作る菜食を横から食べて、水に入り呼吸をする、

ただ、それだけでした。その繰り返しでした。


頭のへんなおじいさん、多くの人からそう、思われていたでしょう。

ほとんどの人は、彼を訪ねては、引き返していきました。

特にアメリカ人は。

世界から、多くはヨーロッパの国の人が彼の周りに残っていました。


しかし、私は、彼と共にいると、高いエネルギーにいつも包まれていました。

体は、活性化して、エネルギーが満ち、穏やかで、平和でありました。


私は、食べ物から、寝る場所まで、すべて知らない土地でなんとかしなければならず

ここで、始めてすべてを委ねるという、経験をすることになります。

「起こること、すべてを受け入れる」

そうでなければ、やっていけませんでしたから。


ほとんど、食事もしないで、3日に一度断食をし、

寝袋だけをもって座席もない、板が張ってあるミニバンに乗り込み、アメリカの東部中、彼と移動しました。


火をともに暮らしました。

そして、毎日呼吸をしたのです。


どんどん精神的にも、肉体的にも、霊的にも、クリアになっていくのが分かりました。


彼と呼吸を合わせると、

深海にもぐる、鯨のような感覚になります。

鼻から息を噴出すと、そこで世界が色濃く変わります。

ただ、涙が頬を伝っていきます。

そして、呼吸を終えると、言葉を出すことはできません。

しばらく動けなくなり、深いところから満たされていくのです。


これは、理論ではなく、実践法です。


それが、最近分かってきました。


つづく…








人は不合理、非論理、利己的です。

気にすることなく、人を愛しなさい。


あなたが善を行うと、

利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

気にすることなく、善を行いなさい。


目的を達しようとするとき、

邪魔立てする人に出会うでしょう。

気にすることなく、やり遂げなさい。


善い行いをしても、

おそらく次の日には忘れられるでしょう

気にすることなくし善を行い続けなさい。


あなたの正直さと誠実さとが、

あなたを傷つけるでしょう

気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。


助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。

気にすることなく助け続けなさい。


あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。

けり返されるかもしれません。

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。


気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。


                 マザー・テレサ




日本人は白米を食べるけど、世界的に見ると、これってかなり珍しい。



家の炊飯器が壊れました。

10年前に、日本に帰ったときに買ってきたものです。


アメリカでも、炊飯器は、昭和初期みたいな型のものが、

もしかしたらどこかで売っているかもしれない、くらいな感じです。


でも、私は日本人。

家族はどうでもいいにしろ、

白いごはんが食べたい。


おなべで炊くしかないですね。


「はじめちょろちょろ、なかパッパ、赤子泣いてもふたとるな」 を思いだし、

でも、実際は、いつパッパにするか、わからないから、

最初から、最後まで、ちょろぱ、くらいで適当に18分。


水は、人差し指の第一関節まで入れて…

赤子も泣いてないけど、気になるから、ふたをとって覗きました。


炊けた炊けた!

これが、なんと、おいしい。

炊飯器よりも、なんだか、お米が輝いているようだし、

ふっくら、ツヤツヤ。


なあ~んだ。炊飯器なんていらないです。

その上、キッチンはすっきりしていて、気持ちいい。

かわいいお花でも飾りたくなります。



これって、なんだが自我を手放すのと似ています。


これがないと!って思って、捉われているもの、

知らず知らずのうちに、

それをなくすことに抵抗を持っているもの…エゴ。


いざ、手放してしまえば、必要のないものだったとわかる。


世の中の物のほとんどは、そんなものだし、

自分のエゴもそう。


家のなかで大切なものは、究極、生きてる家族だけです。


そして、私のハートで大切なものも、生きてる、大切な人たちなのです。


それがあれば、きっと他には何もいらないのだと思います。












5年ほど前、夏が過ぎて、誰もいなくなった静かな海岸で一人瞑想をしたことがある。
それは一ヶ月続いた。
当時私は、興味のある瞑想系のリトリートがいくつかあって、参加したかったけれど、
子供が小さくて、家を空けて出かけることができなかった。

ならば海岸で瞑想してみよう、と閃いた。
それならできる。家庭と両立させて。
迷わず、朝の海の瞑想を実行してみた。
そのとき、それが私に与えられたベストなのだと思った。

子供たちが朝、7時ころ家を出ると、海まで車をとばす。
ロングアイランドに住んでいるので、海まで15分たらず。

朝の1時間は、予想をはるかに超えた素晴らしい時間で、
私に恩恵をもたらした。

それは、部屋のなかで瞑想するのと、まるで違い、
本当の静寂を、そのとき始めて知った。

自然と一体化する感覚、自分との境界線がなくなる感覚を味わう。

海と、風と、波の音と、かもめの鳴き声と、潮の香りと、水鳥の羽ばたく姿と、砂の感触…。
五感で感じながら、静かにそこに入っていく。

そのとき、共鳴というものは知らなかったけれど、
それは、自然との共鳴だったのだと今思う。

深く懐かしい、自分の知っていた、寛ぎの場であった。
どこまでも広がる、たったひとつの場であった。
命が響いていた。目の前の自然と。

時間と空間の感覚は、簡単に超えられる。
目を開けると、いつもすぐ近くに、かもめがたくさん集まっていて、
私をぐるっと囲んでた。とても楽しく、幸せだった。

リトリートに行く必要なんてまったくないな。。そう思った。
私たちは、気が向けばいくらでも、こんな風に自然と瞑想ができるんだ、と感嘆した。
身近な自然と瞑想を。

結局、ニューヨークの秋の海は、風が冷たすぎて、
たった一人毛布をかぶって座る、怪しい私に、ポリスが巡回にやって来たりで、
一ヶ月でやめてしまったけど。

それは、かけがえのない体験になった。
今の共鳴が、より深く理解できる。

そう、私たちは、いつでも自然と共鳴できるのだ。


最後の最後に残っていた、難所を通り越してから、



あまりにも、大きな浄化を無空さんを通して、クリアしてから、



私はエネルギーが急上昇し、どうしてよいかわからない状態だ。



もう、食べないでも生きていける、とさえ思う。



プラーナ(気)を食べて生きるブレサリアンに、このままなれるかもしれない、とさえ。



このエネルギーの高まりを、もてあまし、


「元気ですかー!!!」とアントニオ猪木になって、誰かまわず声をかけたくなる。


さらにこのエネルギーに点火して、大爆発を起こさせたくなる。いかんいかん。



運動したりして、発散させているが。


セッションで無空さんとお話ししたら、


このエネルギーを外側でなく、自分の内側にためたい、といったところ、


それでは、自我がそこでコントロールしているので、



やはり自然体がよい、とのこと。


自然、ただ在る、そこにやはり戻る。


これは、私が精妙になるチャンスかもしれない。


以前、共鳴中、「神聖なものに向かいなさい」とメッセージを受けたこととも、重なる。


アントニオ猪木になったり、ビヨンセになったり、、、そうではなく、



昇華させる道があるはず。




先日のセッションで、自分のなかで、「コトッ」と何かが動いた。




我が家は、週末は、必ずフィールドの上で過ごす。


フィールドだけでない。


体育館、インドアトラック、ステートパークの森…。


どれもこれも、息子たちのスポーツの試合だ。


長男は、野球選手。そして、ランナー。これがメイン。


野球は、5歳からチームに入り、お父さんが監督したリトルリーグを無事12歳で卒業してから、


トラベルチーム、学校のチームに入っている。ピッチャーで二塁手。


春夏で、60試合をこなす。


そして、秋からは、ランナーになり、


クロスカントリーという、道のない土の上の山坂を駆け巡る、超ハードな中距離レースをする。


これで才能を発揮し、ど根性と忍耐力で、中学生のころから高校のチームにスカウトされ、走りまくる。


これを知ったら、野球など遊びだ!と彼は言い切る。それほど、苦しいらしい。


ゴールをきる瞬間、その場で意識を失いそうになって、倒れこむ息子の姿を見て、

母も意識を失いそうになっていた。今は、もっと体力がついたけど。もう、私も泣かないですむ。

なぜ、こんなことをするのか??


学校が終わってから、練習で毎日15キロも走るから、母として、体力管理に気を使う。

とにかく、それ以上、痩せないように。

私にとっては、食事が難題になる。アメリカは食材も限られているから。


そして、次男。


彼は、メインはサッカープレイヤー。ディフェンダーだ。

あたりに強い。チームを支える、陰の柱。


町を代表する、トラベルチームに入っていて、一年中、遠征試合をする。

彼は、3歳のときから、サッカーをやってる。


そして、野球もする。ピッチャーで三塁手。

兄より力があるから、当たると飛ぶ。

お父さんは、「チチロー」になって、本当に小さいころから手塩にかけ仕込んできた。


冬は、バスケをする。秋は、バレーボールのセッター。


彼の場合、故障に悩まされてきた。

成長に伴う、軟骨の痛み。サッカーで負荷をかけ、あらゆる場所を傷めてしまう。

かかと、ひざ、足の裏、

ひざの問題で、キャッチャーになりたいけど、できない。

ピッチャーで投げれば、腕を痛めた。


こんな風に、週末は、朝からずっと、フィールドのはしごだ。

彼らを送り…応援して。

かれこれ、10年も。

何がどうして、私の人生は、こんなになってしまったのか。。。

やらせた覚えは、これっぽっちもない。

だいたい、やって欲しい唯一のこと、日本語の勉強は、かんたんに拒否された。


家へ帰ると、私は、野球もサッカーもしていないのに、なぜか一番疲れてる。

三振などしてくれると、疲労が倍になっている。

彼らの胃袋を満たす、仕事が待っているというのに。



あ~、本題まで、なかなかたどり着けない。


今日、サッカーシーズン、最後の試合だったのだ!

ものすごく盛り上がった。


また、今度、書くことにする。