アメリカの「スーパー301条(包括通商・競争力強化法、1988年施行)」とは、不公正な貿易慣行や輸入障壁がある場合に相手国とUSTR(米通商代表部)が交渉し、改善されない場合には報復関税をかけるという非常に強力な条項であり、たびたびGATT(関税と貿易に関する一般協定)違反ではないかという疑われることによって失効しているものです。

もともとあった「通商法301条」の改正強化版であることからこの名前が付けられています。
1,700億ドル近い経常赤字にアメリカ政府が苦しんでいた1989年、アメリカ政府が議会に提出した「外国貿易障壁報告書」の中にTRONが含められるとともに、電気通信分野における対日制裁候補リストが発表されることになりました。つまりTRONがスーパーコンピュータや人工衛星とともに不公正貿易リストに掲載されるという汚名を着ることとなったということです。


「なぜだ?!理由が分からない!」
困惑したのは坂村氏自身です。USTRの言い分はTRONとは日本政府が主導または支援する研究開発によるものではないのかというものでしたが、それはまったくの誤解でした。坂村氏はTRONプロジェクトのスタート当時から産学協同研究体制によるオープン・アーキテクチャを標榜しており、実際にTRONパソコンに関する調査が行われれば不公正貿易に該当するものではないことはすぐに分かったことなのです。


日本はコンピュータの分野ではアメリカに次ぐ世界第2位の市場であり、学校教育用パソコンとして広く全国の子供たちがTRONパソコンを学ぶことによってBTRON仕様OSそのものが大きく普及すると予想され、それによってアメリカ製のソフトウェアが結果的に市場から排除されてしまうとUSTRは判断したのではないかと今では考えられています。


これに対して坂村氏とトロン協会は、TRONはあくまでオープンなプロジェクトであるので使用料すら徴収せず、もちろんアメリカ製品の排除を目的としているものでは断じてないと強調し、アメリカ政府の誤解であるとして強く抗議しました。


その後日米政府間折衝などが行われた結果、TRONはスーパー301条対象品目から外されることとなりました。しかしCECの側はアメリカ政府に対しては何ら抗議や反論をすることなく、どういうわけか早々にCECの教育用パソコン仕様からもTRONが外されるという多数のTRONプロジェクト関係者にとって理解に苦しむ処置とともに、「通産省がTRONに決めることを断念した」と公表するに至りました。
しかし、TRONプロジェクトを支持するメーカーによるTRONパソコンの開発そのものは着々と進行していたのです。