先日のオフィスのクリスマスパーティでのこと。
「マンデラさんが亡くなってしまって、大変残念です。ご冥福をお祈りします。
ただ、ちょっと教えてほしい。
野暮かもしれないけど、彼が亡くなってしまって、今、どんな心境なの?」
この問いに、オフィスの同僚は、
「俺は、マンデラが死んで、ハッピーだ。全く寂しくない。」、と。
おぉ、、、
---
今、日本でどんな報道がされているのかさっぱりわかりませんが、
ここ数日、テレビや新聞のメディアではマンデラさん特集が組まれて、
すごいことになってます。
とりあえず、テレビでは24時間、ずーっとマンデラさんの歴史を振り返る特番があって。
新聞は、どこを開いても、マンデラさんの功績を称えております。
確かに、彼は実質的にアパルトヘイトを終わらせ、
今の南アフリカの基盤を作った人物だからわかる。
彼を敬愛してやまない友人や同僚がたくさんいるからね。
95歳の大往生。
たっくのヨハネス最後の晩餐も兼ねて、マンデラスクエアに7日に行ってきました。
きっと、いろんな人がマンデラさんに祈ってる、その場に行こうと思ってね。
そして、やってきてみると、すごい人だかり。
まちなかでは、半旗を掲げ、国全体が悲しみに包まれている感じ。
彼の足もとにも花が手向けられていました。
そして、人種問わず、本当にいろんな人が別れを惜しんでいました。
大量の花やメッセージ。
どれだけ、いろんな人から慕われていたのか、垣間見ることができました。
まさに、"No to Racism"。
ちょっと、ピンボケ気味ですが、とにかく全員で祈ってた。
合掌。
---
とは言っても、やっぱり現地の人と話してみないことには、彼らの真意なんてわからない。
そう思って、冒頭の質問をしてみたわけね。
当初は、かなりのショックで、ボロボロに悲しんでいるのかなぁ、と。
そりゃーねぇ、ちょっと思いますよね。
ただ、そのこたえは、その予想とはかけ離れているものでした。
「マンデラは歳を取りすぎた。(南アの平均年齢53歳)
普通の南ア人なら、ここまで生きることは、経済的にも難しい。
しかし、彼は英雄ゆえ、お金や人に恵まれていた。だからここまで生きることができた。
それでも、誰の手も借りずに、ご飯も食べることもできないし、
歩けない、当然トイレに行けない。
厳しい言い方をすれば、彼は”人”として生きていなかった。
そんな生かされている状態から解き放たれて、俺はハッピーだ。」
「だけど、俺は、彼をいつまでも尊敬している。
彼のこれまで行ってきた功績や、彼の言葉は、消えずにこれからもずっと生きていく。
だから、全く寂しくない。
寂しいときってのは、小さな子供が死んでしまうとき。
だって、彼らは、何も達成せずにこの世を去ってしまうのだから。」
「彼の魂は、大地に眠ることになる。
だから、悲しんでる暇があるなら、マンデラに届くように踊ろう!」
「それでも、この国には新しいマンデラが必要だ。」
簡単に、まとめるとこんな感じ。
ただ、これが南ア人すべてに言えることではないので、
あんまり鵜呑みにせずに。
この話を聞いて、思った以上に彼らは冷静だったことに、びっくり。
話を聞いていく中で、彼らの根本にあるキリスト教やアフリカならではの土着の考えが土台に
あるため、なんだと。
そして、恥ずかしながら、私自身、聖書を最後まで読んだことがないのもあり、
私の勉強不足ゆえ、いろいろ丁寧に教えていただきました。。。
・・・
そして、本日、10日は、追悼式。
朝からしとしとと雨が降っていたので、テレビ中継にかじりつき。
もう、とにかく騒がしい!
歌っては、踊り、もはや、お祭りムード。
さすがは、南ア。
それでも、スタジアムからの歓声を聞くたびに、ちょっと震えます。
マティーバよ、永遠に。俺は、今、ハッピーだ。
「マンデラさんが亡くなってしまって、大変残念です。ご冥福をお祈りします。
ただ、ちょっと教えてほしい。
野暮かもしれないけど、彼が亡くなってしまって、今、どんな心境なの?」
この問いに、オフィスの同僚は、
「俺は、マンデラが死んで、ハッピーだ。全く寂しくない。」、と。
おぉ、、、
---
今、日本でどんな報道がされているのかさっぱりわかりませんが、
ここ数日、テレビや新聞のメディアではマンデラさん特集が組まれて、
すごいことになってます。
とりあえず、テレビでは24時間、ずーっとマンデラさんの歴史を振り返る特番があって。
新聞は、どこを開いても、マンデラさんの功績を称えております。
確かに、彼は実質的にアパルトヘイトを終わらせ、
今の南アフリカの基盤を作った人物だからわかる。
彼を敬愛してやまない友人や同僚がたくさんいるからね。
95歳の大往生。
たっくのヨハネス最後の晩餐も兼ねて、マンデラスクエアに7日に行ってきました。
きっと、いろんな人がマンデラさんに祈ってる、その場に行こうと思ってね。
そして、やってきてみると、すごい人だかり。
まちなかでは、半旗を掲げ、国全体が悲しみに包まれている感じ。
彼の足もとにも花が手向けられていました。
そして、人種問わず、本当にいろんな人が別れを惜しんでいました。
大量の花やメッセージ。
どれだけ、いろんな人から慕われていたのか、垣間見ることができました。
まさに、"No to Racism"。
ちょっと、ピンボケ気味ですが、とにかく全員で祈ってた。
合掌。
---
とは言っても、やっぱり現地の人と話してみないことには、彼らの真意なんてわからない。
そう思って、冒頭の質問をしてみたわけね。
当初は、かなりのショックで、ボロボロに悲しんでいるのかなぁ、と。
そりゃーねぇ、ちょっと思いますよね。
ただ、そのこたえは、その予想とはかけ離れているものでした。
「マンデラは歳を取りすぎた。(南アの平均年齢53歳)
普通の南ア人なら、ここまで生きることは、経済的にも難しい。
しかし、彼は英雄ゆえ、お金や人に恵まれていた。だからここまで生きることができた。
それでも、誰の手も借りずに、ご飯も食べることもできないし、
歩けない、当然トイレに行けない。
厳しい言い方をすれば、彼は”人”として生きていなかった。
そんな生かされている状態から解き放たれて、俺はハッピーだ。」
「だけど、俺は、彼をいつまでも尊敬している。
彼のこれまで行ってきた功績や、彼の言葉は、消えずにこれからもずっと生きていく。
だから、全く寂しくない。
寂しいときってのは、小さな子供が死んでしまうとき。
だって、彼らは、何も達成せずにこの世を去ってしまうのだから。」
「彼の魂は、大地に眠ることになる。
だから、悲しんでる暇があるなら、マンデラに届くように踊ろう!」
「それでも、この国には新しいマンデラが必要だ。」
簡単に、まとめるとこんな感じ。
ただ、これが南ア人すべてに言えることではないので、
あんまり鵜呑みにせずに。
この話を聞いて、思った以上に彼らは冷静だったことに、びっくり。
話を聞いていく中で、彼らの根本にあるキリスト教やアフリカならではの土着の考えが土台に
あるため、なんだと。
そして、恥ずかしながら、私自身、聖書を最後まで読んだことがないのもあり、
私の勉強不足ゆえ、いろいろ丁寧に教えていただきました。。。
・・・
そして、本日、10日は、追悼式。
朝からしとしとと雨が降っていたので、テレビ中継にかじりつき。
もう、とにかく騒がしい!
歌っては、踊り、もはや、お祭りムード。
さすがは、南ア。
それでも、スタジアムからの歓声を聞くたびに、ちょっと震えます。
マティーバよ、永遠に。俺は、今、ハッピーだ。