常識?非常識? | KozZou (コツ僧)随喜

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・・・生かされている喜びの日々・・・

トヨタ自動車を辞めた時、、、

色々と見えてくるものがあった、、、



豊田市に14年住んでいたにもかかわらず、

トヨタ自動作を辞めて豊田市民となった感じがした、、、



ある意味、ダイレクトに自分と社会が向き合っている感じ、、、



それまでは豊田市と言う空間にい住みながら、

トヨタ帝国という空間に身を置いていた、、、



、、、同空間に重なり合っている沢山の異空間、、、



、、、この様子をレイヤー空間と言ってます、、、



同空間で異空間に移動すると、空間は一緒だけれど、

トヨタ自動車で働いていた時の、社会的?な常識とは異なる、

何か違和感を感じることが多くなった、、、



それは、

良い方向に向かう、人間らしい方向に向かう感じの違和感、、、



、、、いわかん、、、い~わかん、、、良い和感、、、べーっだ!


俗に言う「常識」の違いに戸惑う(憤る)ことが多々あった、、、



戸惑いや、憤りは、色々と気づかせてくれて、

人間的に戻してくれるガス抜きのようにも都度感じた、、、



会社という空間に身を置いて、

定年で空間を移動すると、その衝撃は相当なものになる、、、



34歳(12年前)で経験して、本当によかったと思う、、、


34歳で出所してべーっだ!、本当によかったと思う、、、



、、、そういえば、今日がトヨタ最終出社記念日(12周年)だったキラキラ、、、



トヨタ自動車の大先輩で、他社に行かれ、

その後定年を迎えた方と話している中で、

「トヨタが常識なのか?異常(非常識)なのか?

分からなくなってくるときがある、、、」と言われたのを覚えている。



良い成果を出しているのを常識としがちだが、、、

自分を常識としがちだが、、、

世の中の習慣を常識としがちだが、、、



、、、今の様相を見てみると如何でしょう、、、

、、、T社は凄い打撃ですね、、、GショックならぬTショック、、、べーっだ!



常識は、

良さの捉え方、自分の捉え方、生き方、世の中の捉え方、、、

個々の捉え方で、色々ある。



言い換えると、人の数だけ常識がある、、、



全てが常識、、、



ということは、自分の常識から見ると全て非常識、、、



大括りで常識が一致していても、

その中の細かな個所に非常識がある、、、



その非常識を受け入れることで、

平静が保たれる、、、

事が運ぶ、、、

和が広がる、、、

知見が広がる、、、

自らが養われる、、、



色々な関係の中で、

個々の常識は、個々の中で生き様として育み、

外との対応は、それぞれの常識を尊重して交流する、、、



、、、異文化交流のように、、、



この、他者の常識(自分の常識からは非常識であっても)の尊重によって、

自分の常識が育まれる、、、



自分の常識の育みが、心を育む、、、



常識は争いのためではなく、心の育みのために存在する、、、



「心は貧しいほうが幸せである」

という言葉の意味、意図するところがなんとなく分かるような気がする、、、



本田宗一郎氏の言葉

「非真面目に不常識にやれ」



真面目ではなく真剣に、、、

世間の常識にとらわれることなく、、、

自分の常識を育む取り組みを行う、、、



、、、そこに、あらゆる物事が具現化する、、、



自分の常識を育むのは、

自分ではなく周りの様子(自然環境、他者環境)、、、



自分の常識を常識とせず、

周りの常識を常識とせず、

自分の常識を育む、、、



育むのではなく、育まれるということを感じながら、、、



身が生かされ、心が育まれる、、、生育は他力、、、



他力を尊重する時、他力が自力となる、、、



、、、な~んてことが、

雨(天)音の中で頭の中を駆け巡った、梅雨の朝でした、、、


雨あじさい雨カエル雨かたつむり雨足あと雨