コロナの状況下、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は仕事は全く変わりなくありがたいことです。家族も今のところ元気。
次男が結婚しましたがコロナの為に結婚式はキャンセルとなり代わりにフォトウエディングをしました。
先日、相手方のご両親やご兄弟の皆さんとウチの家族と、改めてお食事会をしました。
こんな状況ですが、サッカー観戦も行っていました。座席は全指定になり席もスペースを空けてあり、入場時の検温、チケットはQRコードと徹底した環境下でした。声を出せないのでチャントも歌えないけど拍手やクラップでの応援と、静かなピッチに響き渡る選手たちの声はとても新鮮な経験でした。
現在マリノスはカタールでのセントラル開催によるアジアチャンピオンズリーグを戦っています。次の試合で引き分け以上でクラブ史上初のグループリーグ突破ができる状況です。ですが・・その試合を私は仕事で観戦できません。ネットで経過を追うことになるかと思います。がんばれ~マリノス。
このコロナの状況で今年7月に俳優の三浦春馬さんの急死がありました。この件についてずっと書きたいと思いながらも考えがまとまらず書けないままでした。
NHKの「世界はほしいモノにあふれてる」という番組が大好きでいつも見てました。私の中での春馬君は、同番組でのMCとしての存在でした。彼の俳優としての顔よりせかホシでの彼がとても身近でした。彼の人間性とかふと見せる素顔だったりがとても魅力的でそんな春馬君をみているのが大好きだったし同じくMCのJUJUさんとの掛け合いは最高でした。
だから突然もたらされた彼の死は本当に受け入れがたいモノでした。今もせかホシは大好きな番組で、新しいMCの鈴木亮平さんも本当に素敵で安心して見ています。けど、やっぱりいまだにあのスタジオに春馬君の存在を感じずにはいられず苦しい気持ちになります。
自死はいけないこと、とは私個人は思っていません。変な言い方だけど「生きるための手段の一つ」と思っています。
自分自身が過去にひどい鬱にかかり一度自死を選択したことがありました。駅で電車に飛び込みかけました。その時の気持ちは
「死にたい」ということではなく、ここで一歩を踏み出せば私は楽になれるという思いだけでした。覚悟を決めて、とかじゃなく咄嗟の気持ち。まあ、そこに至るにはそれなりに積み重なったものがあったからと思います。
だから当然遺書など書いてないし、本当にその時の咄嗟の感情のみだったのです。だから春馬君の死にまつわるいろんな邪推を見るにつけ、ちがうよな~といらだつ気持ちでした。遺書もないのになんで自死と決めつけるのですか?と言った声を見ました。
遺書を残すってこと自体がほぼ少ないと思います。積み重なった苦しみがあったうえで咄嗟にその方向にシフトする瞬間があって、だから覚悟の死ではないし、だから自死だからといって遺書があるべきというのは違います。
ただ、春馬君の死は本当に残念すぎて喪失感が大きすぎていまだに整理はつきません。
もし春馬君が自死をするほどに抱えていたものがあったのなら、私は「楽になれたならそれでよかったね」とも思います。
その気持ちはわずかでも私には理解できるからです。私もあの時自死を完遂できていたならきっと楽になれていたと思います。
けど、今、春馬君を失って「遺された人の感情」を初めて味わって、私はあの時死ななくて良かったと思いました。
もしあの時死んでいたら息子たちを一生苦しめたであろうことが今はっきりとわかるからです。自分は楽になれても残された息子たちの人生を狂わせていただろうと思うと、自分の命は自分のものではないことをはっきりと知ることができました。
大好きな春馬君を失った今、苦しい気持ちは何度もぶり返します。あんなに素敵で素晴らしい人だったのに、春馬君は一個人としては苦しみの中で、そして出自も含めていろんな複雑な糸に絡めとられていたのだと思うと胸が痛みます。兄妹でもいればまたちがったのかもしれないけれど一人っ子の彼は何もかも一人で背負うしかなかったのだと・・・。
多分彼は翌日も「カネ恋」の撮影には行くつもりだったと想像します。だけど積み重なった苦しみの果てになにかがきっかけとなって咄嗟にあのようなことになったのではないかと思うのです(想像にすぎませんが)
私もあの時はサッカー応援の帰り道で、明日の仕事のことも考えていたのです。それでも、もう限界を超えつつあった自分が自分を見失いホームから身を踊り出そうとしていたのです。不思議なのはその時アイポッドで志帆ちゃんの曲を特に意志もなく聞き流していたのですが、ホームから一歩踏み出した瞬間に耳元で志帆ちゃんの声がボリュームが一気に上がって、それで我に返ったのでした。あ・・・と思い体を引いた瞬間に山手線が目の前に滑り込んできた光景を今も忘れることがありません。思い出すたびに涙が出てきます。生きていてよかったと最近やっと思えるようになりました。
遺されたものの感情を味わっている今は、本当に辛いけれど、ただただ春馬君が天国で笑顔でいられることを祈っています。
さて、私はコロナの状況下でいろいろと多忙なことが重なりブログをおさぼりしてました。そんな私を心配してくれるお友達がいました。その人は最近まで長い間ご自身の親御さんの介護に苦労されていました。何の力にもなれない私でしたが、ブログを更新しない私を心配してくれた心優しい友人に感謝の気持ちでいっぱいです。
大変な時期を過ごしてきた友人の体も心配してますが、これからは自分の時間を大切に過ごしてほしいと願っています。
人生はいろんなことがあるけれど生きていれば楽しいことも素敵なことも、そして出会いもあります。死ぬまで生ききる・・・それが大切なことだと思います。この疫病の状況がいつまで続くかはわかりませんが強くしなやかに生きて行きたいと思います。
生きてるだけでえらい!そう思います。皆さんに幸あれ!
春馬君に続くように亡くなった芦名さんや竹内さんなど、皆様のご冥福を心がお祈りしています。