アタシのライフライン 誕生~幼稚園時代 | 融通無碍(ゆうずうむげ)

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自由に無邪気にのびのびと。
死ぬまで学び続けたい。
モットーは「良い悪いではなく好きか嫌いかで選ぶ」
そんな人生ありのままを綴ります。

今までの人生を一本の線で表したものがライフライン。
感情の起伏の良し悪しを縦軸に、年月を横軸にして書いたもの。
これからお話するのは、アタシのライフライン。
人生で起きた出来事とそのときの感情をパーセンテージで表していきます。


1969年9月26日17時ジャスト、今回の人生が始まりました。

大工さんの父、専業主婦の母の次女として産声をあげました。

姉とは4つ離れていて、あとで聞いた話では姉とアタシの間には産まれるはずだった命があったそうですが、この世に肉体を持つことを両親の意思により断たれたのだそうです。

ちなみに、2歳下の妹、4歳下の弟がいます。


幼少期は小児喘息に悩まされました。

と言っても、悩んでいたのは母親のほうで、当の本人は喘息の発作が出るとみんなが心配してくれるので、カラダはめちゃくちゃしんどいけれど幸せを感じていたりする変わった子どもでした。

幼稚園時代は、おゆうぎ会で主役を演じたり、路線バスの中で大声で歌ったりとなかなかの芸人ッぷりだったようです。

ごっこ遊びでは、お母さん役をやらされることが多くて、すごく嫌だったのを覚えています。

今まで誰にも言ったことないんですけど、この頃の記憶で、なんとなく、なんですけれども、、、

性的虐待を受けたような、未遂だったような、追いかけられただけのような、なんかそんな、やな感じの記憶がうっすらあります。

子どもらしくないのを必死で隠してるような、そんな幼少期だったような…。


さて、この頃のアルバムを見ると、なかなか羽振りのいい経済状態だったのか、着ている服とかオシャレな感じです(笑)

大工さん、儲かってたんでしょうか?


この頃をライフラインで表すと感情の起伏は70%ぐらいで、まあまあのラインです。