1968年に栃木県矢板市で起こった実父殺し事件
 この事件は、
最高裁違憲立法審査権を発動し、初の違憲判決を出した事件として、憲法の教科書などでは、「尊属殺重罰規定違憲判決事件」の別名で紹介されている有名な事件です。

 このブログを立ち上げた際の『序章~ブログ始めました』で書いたように、私は、
政治家弁護士と、どちらが自分の夢への近道か、迷っていましたが、その迷いを払拭し、弁護士になろうという思いを強めてくれるきっかけの一つとなったのが、この事件でした
 この事件当時、私はまだ生まれていませんので、私がこの事件を知ったのは、事件からずっと後のことではありますが・・・

 そこで、今回は、栃木実父殺し事件概要を、お話ししたいと思います。



◇事件の端緒

 
1968年10月5日22時頃、栃木県矢板市のとある雑貨商に、親しく近所付き合いしている女性が訪れ、こう告げてその場に崩れ落ちました。

 「今、父親を紐で絞め殺したんです。」

 その女性は、近所の市営住宅に住む
29歳のA子。
 驚いた雑貨商はすぐに110番通報し、A子はその場で
尊属殺人罪刑法200条の嫌疑緊急逮捕されました。
  尊属殺人の被害者は、A子の
実父で、植木職人のV(当時52歳)でした。



◇A子の壮絶な過去

 
取調べの中で、A子の壮絶な過去が次第に明らかになります。

 1953年のある夜、当時
14歳で、中学二年の三学期を迎えたばかりだったA子の寝床に父Vが入ってきて、いきなり体を求めてきました。当時A子一家は9人の大所帯で、いつも茶の間に両親が寝て、奥の間に、長女のA子を頭に、妹2人、弟4人が折り重なるように寝ていたため、A子は家族を起こしてしまうと思い、唇を噛んで父を受け入れてしまいました

 その後、Vは1週間に一度くらいの割合で、妻・X子の目を盗んでは体を求めるようになります。多い時には、2日連続ということもあったそうです。

 A子は、朝起きて父親の顔を見るのも嫌になり、関係が始まってから約1年後、母親X子に泣きながら訴えました。
 「お父ちゃんが私のところへ来て変なことをする・・・。」

 それに対し、母親X子はこう答えました。
 「どおりで私のところにこなくなった。おかしいとは思っていた。」

 A子の前ではそのように答えたX子ですが、子供のいないときに怒りを露わにしてVに詰め寄ります。
 「A子に何するんだ!実の娘にそんなことするなんて、あんたはケダモノだよ!」

 それに対し、VX子包丁を突きつけて、凄んで見せました。
 「ガタガタぬかすと、殺すぞ!」

 それまでは優しい夫であったVでしたが、X子は夫の人格が変わったと思い、A子と次女のY子を置き去りにして、他の子供たち5人をつれて、知人のいる北海道に家出をしてしまいました。
 そのため、A子は、妹Y子と父Vの3人で暮らすことになります。
 その後、Y子が東京都荒川区の工場に就職したため、VA子夫婦同然の生活をするようになりました。

 1956年春、A子が17歳のとき、母X子が5人の子供を連れて、北海道から戻ってきて、母の実家の敷地に小さな小屋を建て、再び一家全員で暮らすことになりました。
 母X子は、父Vの行動を厳しく監視し、Vが酔ってA子の寝床に入って体を求めようとすると、X子が止めに入って、喧嘩になることもしばしばありました。
 しかし、そのようなX子の監視の目をかいくぐって、VA子の寝床に侵入し、体を求めてきました。
 そうこうしているうちに、A子は、妊娠してしまいます。



◇駆け落ち

 17歳で父の子を妊娠し、どうしていいのかわからず、A子は田植えのときに知り合った28歳の男性B男に、「私と逃げて下さい。」と哀願し、黒磯市へ駆け落ちしました。
 ただ父から逃れたい一心での行動でした。

 しかし、父は黒磯まで追いかけてきます。

 「貴様、勝手なことをするんじゃねえ!」
 そうVに一喝され、B男はあっさりA子を手放します。
 愛ゆえの駆け落ちではなく、A子に同情しての駆け落ちだったB男には、Vの恫喝に抗う度胸は残っていませんでした。
 
 結局A子は父Vに連れ戻され、それ以後、県営住宅を借り、そこでA子とA子の妹Z子、父Vの3人で他の家族と離れて暮らすことになり、A子はこの年の11月24日、長女をここで出産します。
 A子は、父Vの子を産んだことで、父から逃れられないという諦めが深くなったと後に供述しています。

 1957年には市営住宅に引っ越し、そこでA子は二女と三女を出産します。
 父Vは酒を飲むと強暴になり、色魔に変貌し、精力が尽きることはなく、この頃は、毎晩一度では終わらず、A子が断ると、大声でわめき散らしました
 A子は、自分の子供や近所の人にそれを聞かれたくなかったため、しぶしぶ応じ続けました。

 その後、妹Z子は中学を卒業し、千葉県の工場に就職したため、A子は父Vと子供3人だけとなり、完全に夫婦同然の生活となります。
 この市営住宅で、A子は事件が起こるまでの12年間を過ごし、上記3人の子供の他、2人の子供を産みますが、その2人は生後間もなく死亡しています。
 その他にA子は5回妊娠中絶をし、6回目のとき、医師に体を壊すと忠告され、不妊手術を受けるよう勧められ、父Vも賛成しました。

 A子は、父との性行為について、このように供述しています。
 「父とのセックスで、快感がなかったと言えば、嘘になります。」

 しかし、不妊手術後は、不感症になり、苦痛以外の何物でもなくなっていました。
 そんな生活がいつまで続くのかという不安を抱えながら、A子の心は、常に諦めという闇が覆っていたことでしょう。
 


◇初恋

 1965年から、A子は、家計を助けるため、印刷会社で働き始め、そこで7歳年下のC男と知り合い、初めての恋に落ちます

 A子は、以前駆け落ちしたB男のことが頭を過ぎり、自分から気持ちを伝えられずにいました。
 
 A子が29歳になった年の8月の終わり頃、仕事を終えて帰宅中のA子に、C男は、「工場をやめようかな。」と言いました。その理由については言いませんでしたが、その翌朝、A子C男からこう告げられます。
 「あんたが悪いんだ。あんたが会社に入って来なければ良かった。あんたが好きになってしまった。」

 A子は、その後、C男と仕事帰りに喫茶店でおしゃべりしたり、東武デパートで買い物をしたり、花屋敷で映画を見たりと、デートを重ねていきます。

 A子は、この時のことを、こう供述しています。

 「勤めに出て、普通の女の生活は、こんなに明るくて楽しいものか、と思いました。職場の女性が、恋愛だとか、デートだとか、青春だとか、幸せそうに話し合っているのです。でも、そういう職場からいったん家に帰れば、恐ろしい父と、子が待っているのです。」

 C男は、A子に子供がいることや、不妊手術をしていて子供が産めない身体であることを知りながら、結婚を申し込みました。
 その夜、A子は父Vに結婚の相談をします。

 V:「お前が幸せになれるんなら良い。相手はいくつだ?」
 A子:「22歳。」
 V:「そんな若いんじゃ、向こうでからかってるんだ。子供はどうするんだ?」
 A子:「お母さんに頼む。」
 V:「何を言う!俺の立場がなくなる。そんなことができるか!お前の子供なんだぞ!」

 その直後、父Vは焼酎を一気に飲み干し、こう叫びました。
 「今から相手の家に行って話をつけてやる!ぶっ殺してやる!」

 A子は、必死になだめました。
 「勤めを辞めて、家にいるから。C男さんのところには行かないで。」

 父に結婚を否定された日の翌朝、A子は工場に電話を入れ、C男にこう告げました。
 「夕べお父さんに話したが駄目だった。今から矢板駅に行くから来てくれ。」

 C男はすぐに
駅に行きましたが、A子は姿を現しませんでした。

 その頃、A子余所行きの服を箪笥から持ち出し、近所の家で着替えていました。しかし、父Vに見つかり、ブラウスを剥がれ下着まで破られました。悲鳴を聞いた近くの人が父Vを押さえている間に、A子はバス停に向かいましたが、バスが来ない間に父Vに連れ戻されました。

 9月20日、A子は父から逃れるため東京に出ようと決心します。
 その前に1度だけC男と会って、お別れを言いたかったのですが、彼の自宅も、工場も電話を取り次いでくれませんでした。

 C男は、工場長からA子が父親と関係を持っていることを聞かされ、「深入りしないように。」と言われていたのです。
 A子も工場を辞めてしまったので、C男は、もう忘れようとも思っていました。

 
 父が
仕事を休んでまで監視していたため、A子東京への逃避行も、実現不能となってしまいました。

 

◇事件当日

 1968年10月5日、この日も父VA子監視するため仕事を昼で切り上げ、泥酔し、こう言いました。
「俺はもう仕事をする張り合いがなくなった。俺を離れてどこにでも行けるんなら行ってみろ。一生つきまとって不幸にしてやる!どこまで行ってもつかまえてやる!」

 20時過ぎ、父
VがいつものようにA子の体を求めてきて、こう言いました。
「俺は赤ん坊のとき親に捨てられ、苦労に苦労してお前を育てたんだ。それなのに十何年も俺を弄んで・・・・。この売女(バイタ)め!」
「出ていくんだら出ていけ!どこまでも追って行くからな。3人の子供は始末してやるぞ!」


 この罵声を聞いた瞬間、
A子は父Vを押し倒し跨ったうえで、傍にあった股引の紐をつかんで、首にかけ、絞めました。
 Vは、なぜか抵抗しませんでした

「殺すんだら殺せ!」
「悔しいか?」
「悔しかねえ。お前が悔しいからしたんだんべ。お前に殺されるのは本望だ。」
「悔しかねえ。悔しかねえ。」


 Vはそのまま絶命しました。
 A子にとっては、父の呪縛から解き放たれた瞬間でした。
 
 その後、事件の端緒で記したように、A子は近所の親しい雑貨商を訪れ、「今、父親を紐で絞め殺しました。」と言って崩れ落ちたのです。


◇次回予告

 
以上が、栃木実父殺し事件の概要です。
 A子は、この後、尊属殺人罪(刑法200条)で
起訴されます。

 《刑法200条》

  自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス 

 ちなみに、当時の殺人罪(刑法199条)の規定はこうなっています。
 《刑法199条》
  人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役若シクハ三年以上ノ懲役ニ処ス 
 
 次回は、第一審から最高裁の上告趣意書提出に至るまで、A子の弁護人がこの裁判をいかに戦い、どのような顛末を迎えたのか、そのお話をしたいと思います。

 
A子の運命やいかに 

 

 

 

 本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m 

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