カルネ | 映画まみれR

カルネ

『カルネ』(‘91/フランス)
監督: ギャスパー・ノエ



映画まみれR-Carne



フランスの奇才ギャスパー・ノエが1991年に発表した、たった40分の作品『カルネ』。
この短い時間の傑作の中には、彼独自の陰鬱な世界観とヴィジュアルが詰まっている。


カルネというのは、色とその安さからフランス人から軽蔑の意味でつけられた馬肉のことを指している。
映画冒頭に、「注意!感受性を傷つける危険な部分があります。」とのメッセージの後に画面に映るのは
馬の凄惨な屠殺映像。このシーンだけ見て、この映画がただならぬ作品なんだと観客にイメージを植えつけさせ、これから語られるこの男の話から絶対に目をそらすな、と叩きつけられるような感じだ。


CARNE 1



舞台はフランスのパリ郊外。そこで小さな馬肉屋を営んでいる男(名前は語られない)。
幼い頃から男手ひとつで育て上げた娘と二人で暮らしている。
今までまったく口を開かない娘をこの男は何よりも溺愛していた。


馬肉屋を営んでいる彼は、馬肉と同じく周りの人間からも小馬鹿にされているような描かれ方をされている。
そして、いわゆる知恵遅れでまったく口を聴かない娘。体も女性らしくなってきた娘を未だに風呂に入れてやり、下着まで履かせる男。
観客は恐らく、この男が「あること」をしないかととても嫌な予感を感じながら観ることになる。

その予感はこの作品でこそ的中はしないが、娘への愛が親が子を想うそれとは明らかに違うことは十分感じられるだろう。ギャスパー・ノエはぼくらの安っぽいモラルやタブーをことごとくぶち壊す。

「本当はこういうのがみたいんだろ?」と言わんばかりに。

この『カルネ』の中で、度々現れる銃声のような音の後に観客に向けられるメッセージ、血を連想させる画面を覆う赤色、そして、劇中映し出されるテレビの画面からも、不穏な感情を掻き立てるような気味の悪い映像が流れる。
語り部となるこの男の心理を反映するかのようなこれらの演出は、見る者によっては胸が圧迫されるような嫌な息苦しさを覚えさせる。


CARNE 2



まったくユーモアのかけらもなく、絶妙な編集で見せる息が詰まりそうな映像のリアルさ
は、この手の作品を見たことがない人にとっては「二度と観たくない」「気持ち悪い」
といったネガティブな感想を持つと思う。それでいいんだ。そもそもノエは
誰もが愛してくれるような映画を作ろうとは、これっぽっちも思ってないだろうし、
少しでもネガティブな印象を受けたのであれば、それはもう彼にとっては成功なんだろう。


この作品はいわば、続編である『カノン』のイントロのようなものだ。
少なからずのモラルさえが崩壊し、娘からの愛ただそれだけを望む男が人生のどん底において、
どんどんネガティブな感情をエスカレートさせていく。


テーマを見出すのであれば、それはもちろん愛だろう。娘に対して子以上の愛を持ってしまった男。
ただ、彼女との会話はない。言葉のコミュニケーションがない娘は、果たして自分のことを父として
そして男として愛してくれているのか。そんな屈折した想いが爆発するのが『カノン』である。