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恥ずかしい日々は元の場所に。
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――昭和初期。北海道南知床村。
鈴蘭の花の匂いが夏の近いことを知らせる夜、商店街のある国道沿いから一本海寄の少し坂になった道、通称「下り(くだり)街道」を行く小さな影がひとつあった。
影の主は小学校へ上がるか上がらぬかといった年端も行かぬ娘であり、その小さな両腕で、酒の入った一升瓶を重たそうに抱えていた。
帰りが遅くなってはいけない使いなのか、それとも、鈴蘭の白い花が群れ咲き、明るい国道沿いと違い、ただえさえ少ない街灯が鬱蒼と茂った柏の葉に隠されてしまう暗い道が怖いのか、娘は小走りになるのだが、すぐに疲れたように歩をゆるめてしまう。そして、その度に後ろを振り返っている。
自分以外に下り街道を歩く者が誰もいないことにホッとしているのか、それとも不安に思っているのか――ただ、その心許なく見える仕草は、魚を誘う疑似餌のような動きに見えなくもなかった。
その夜からほんの数週間前より、下り街道にひとつの噂がたっていた。
昼間はそこそこ人通りも多いが、夜も更けて人通りも少なくなった頃、一人で歩いていると、ふと背中に冷水を浴びせかけられたような寒気を覚え、誰かがついてくるような怪しげな足音を聞き、振り返るとそこには身の丈が倍以上もある大きな影が立っている、という噂というより怪異談だった。
下り街道は次の集落への近道として地元の者にはもちろん、旅人にも知られていたように、噂は誰もが知っており、怖い思いをした者も多かった。
娘の足音に、後ろからもうひとつの足音が重なった。
早足になる娘に合わせてもうひとつの足音も早くなる。後ろの足音の主は、煤のように黒く、馬のように大きな塊であった。
ふいに娘が振り返った。
否、振り返るのではなく、一回転した。
一回転した途端、娘の姿は掻き消え、一陣の風が巻き起こったかと思うと、その風は大きな黒い塊をあっと間に吹き飛ばしてしまった。
塊、つまるところ“物の怪の影”を散らした風は、つむじを巻くようにひとつところにたまり、薄紅色に光りを帯びたかと思うと、先程の娘よりも少し大きな、ぼんやりとした人の形になった。
そして風に散らされた塊も、やはりひとつところにたまり、青白く光る狐のような形になった。
狐の形をしたものはうなだれたように首を垂れているかのように見える。
光る風は、その狐を叱責するように周囲を何度かまわり、それから国道のほうへ去って行き、狐の形をしたものは、うなだれたまま国道とは反対側のほうへと去って行った。
南知床村の駅から西へ少し行ったところに、海から山へと続く南北の道と、東西へと走る国道との十字路があった。
南北の道は丁度、風の通り道になっており、十字路の角には、知床神社があった。
海から来る道を薄紅色の風が通った。
風は神社の鳥居をくぐり、社へ入っていった。
それから、下り街道の怪談は鳴りを潜め、代わりの噂が立つようになった。
それは、南知床村では天気が崩れる前に必ず吹くやわらかな風がある、というものだった。風の報せは、村人たち――農家や漁師――そして旅人にとってありがたいものだった。
その風の報せのおかげだけでは無いにしても、北海道にしては温暖な南知床村は、大きな港と工場のある町に近いという地の利もあり、それからずいぶんと栄えた。
だが、戦争を境に国道の位置も変わり、村も単なる通過点となり、宿場として寂れると共に、下り街道という呼び名は忘れられ、やわらかな風の噂も、言い伝えられることもなくなっていった。
神社も、村の要所から海沿いの空き地に移転されていた。
――現代。
由佳のいる部署の人員は、この海沿いの田舎町に小さな営業所が開設されてから彼女一人だけしかおらず、毎日のように残業が必要だった。
週に一度か二度、定時に帰られればましなほうで、最低でも毎日一時間から二時間は残業しなければ、翌日に繋がるまでの仕事をこなす事が出来なかった。
時計に目をやると、針は二十時半過ぎを指している。窓に目をやると、レースのカーテン越しに夜の闇が見える。書類の下から自分の携帯電話を探して取り出すと、メールの着信を知らせるランプが点滅している。
同じ営業所で同僚として出会った恋人からのメールが二通で、何を書いて送ってきたかは想像がつく。
【先に帰ってる】と、【まだ残業してるの?】だ。
同僚として毎日顔をあわせることはあっても、恋人同士の時間を過ごすことは、残業の薄い、週に一度か二度の、その時だけだった。
休日は溜まった洗濯や他の雑事をこなすことで一日が潰れた。
いつまでこんな毎日なんだろうと、ノートパソコンのディスプレイを見つめる。
一瞬、目の前が暗くなったかと思うと、時計に目をやるまで打ち込んでいた表計算ソフトの数字が全て消えていることに気付く。事の深刻さに呼吸が止まりそうになる。そして、「ああ、またやっちゃった」と独り言を言う。
何のことは無い、[Enter key]に指を置いたまま、ほんの数秒、寝てしまったのだ。
それから、仕事をひと段落させるか、またひと眠りしてしまうかしたら、帰宅する。
由佳は、こんな毎日を昨年の春に支社から転勤して以来、一年以上繰り返していた。
夏至が近づき、昼が長くなったその日もまた、残業をしていた。そして、いつも以上に疲れていた。
通用口を出た由佳は、自分の足元しか見ずに駐車場へ向かった。
顔を上げない理由がある。通用口を出てすぐ、海に面した道沿いの海側にある建物を見ないようにする為だった。
その建物とは、古い神社だった。
いつもより遅い残業が長く続いた先月末のことだった。出社してきたが駐車場の空きが無く、神社の参道沿いにある空き地に車を停めたその夜、小さな鳥居の向こうに何気なく目をやると、二十二時近い時間にもかかわらず、本殿の格子戸が開いていたのだ。
戸の向こうに灯りが点いているわけでもなく、何かを食べようと大きな生き物がぽっかりと口を開けているようにも見えるのその様は、何とも不気味であり、遅い時間まで営業所で一人残業をこなすことの多い由佳でさえも、恐ろしく感じた。
その夜から、由佳は同じ夢をほぼ毎日見るようになった。
夢の中で由佳は、あの神社の鳥居をくぐり、戸が開け放たれた本殿に向かって呼ばれるように歩いていた。薄暗い本殿の中は、誰かがうごめいているのが見える。ひっきりなしに出入りしている者もいる。ただしそれらは、二本足で立っているというだけで、その他の身体の造りは、人間の姿から程遠い生き物だった。
(鬼だ。あれがきっと鬼だ。助けて、誰か助けて)と由佳は叫ぶ。
いつも夢はそこで終わり、目を覚ますのだが、夢のせいで疲れが取れることは無く、ここひと月は仕事上の小さなミスも毎日のように続いていた。
続く
友人・Kの死因は、病気でもなく、事故死でもなかった。
休日、自分のマンションで、“心不全”を起こし死亡、ということだった。
Kは、ごく普通の男だった。両親がいて、弟がいて、親戚がいて、同僚がいて、友人がいて、隣人もいて、付き合っていた女性が居たこともあった。
人は、一人で生きてはいない。日常においては、必ず誰かと接点がある。
Kが死んだ時、外部との接点は一切無かったという。
わたしは、文字通り、接点が無くなったのだと思う。
Kを知る全ての人に、Kの死亡時間、何をし、何を考えていたかを訊きたい。
あなたはあの時間、Kを忘れてはいなかったかと。
もちろん、私も含めて。
みなさんは、不意に誰かのことを思い出す、ということはないだろうか。
例えば、高校生の頃の同級生、特に親しくも無く、名前も思い出せないような仲だったのに、不意に思い出したりはしないだろうか。
小さい頃、近所に住んでいた人でもいい。そんな思い出し方をしたりはしないだろうか。
わたしが考えるに、その時あなたは、その人を“助けている”のではないかと思うのだ。
誰かが、自分を想っているからこそ、自分が、ある。
逆に、自分を知る人々の誰の心からも、自分が消える瞬間があるのだ。
まさに、死神の鎌が振り下ろされる瞬間だ。
Kが死んだ2008年6月1日の午後12時26分、わたしを含め、誰一人として、Kを想う者がいなかった。
Kと我々を繋ぎ止める何かが切られたのだ。
だから、Kは、死んだのだ。