福岡県の東端、築上郡吉富町に鎮座する八幡古表神社(はちまんこひょうじんじゃ)は、大分県中津市の古要神社とともに養老4年(720年)の隼人征伐、後の宇佐神宮の放生会にも深い関わりをもつ宮のひとつです。
古くは吹出濱神社(ふきいではまじんじゃ)とも称されていました。吹出濱とは八幡古表神社の縁起に関係する皇后石(こうごいし)の付近から八幡古表神社の近くにあった浜辺です。本殿の息長大神宮(おきながだいじんぐう)と西脇殿の住吉宮(すみよしぐう)は欽明天皇6年(545年)9月21日、東脇殿の四十柱宮(よそはしらぐう)は天平16年(744年)8月15日に鎮座したと伝えられています。
八幡古表神社
[所在地]
福岡県築上郡吉富町大字小犬丸353-1 (地図)
[経緯座標]
北緯:33度36分52秒/東経:131度10分50秒
八幡古表神社は、宇佐神宮よりも古い宮として、高濱の吹出濱(たかはまのふきいではま)に祀られて以来、今年で鎮座1464年の歳月を重ねます。社号に八幡を冠しますが八幡大神は祀られていません。四十柱宮の譽田大神(ほむたのおほかみ)は八幡大神(応神天皇)とは別の神として祀られているそうです。ご祭神は、56柱にも及びます。御祭神は次のとおりです。
[御祭神]
息長大神宮(本殿)
息長帶姫尊(おきながたらしひめのみこと)
虚空津比賣命(そらつひめのみこと)
住吉宮(西脇殿)
住吉大神(すみよしのおほかみ)
【表筒男神(うはつつのをのかみ)】
【中筒男神(なかつつのをのかみ)】
【底筒男神(そこつつのをのかみ)】
四十柱宮(東脇殿)
古表大明神(こひょうだいみょうじん)=神相撲に登場する傀儡子(くぐつ)の神々
【天之御中主大神(あめのみなかぬしのおほかみ)】
【大國魂大神(おほくにたまのおほかみ)】
【伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)】
【伊邪那美大神(いざなみのおほかみ)】
【大綿津見大神(おほわたつみのおほかみ)】
【水波能賣大神(みつはのめのおほかみ)】
【廣田大神(ひろたおほかみ)】
…撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまざかるむかつびめのみこと)
【立田大神(たつたおほかみ)】
…國御柱命(くにのみはしらのみこと)
【八衢姫大神(やちまたひめのおほかみ)】
【豐受姫大神(とようけひめのおほかみ)】
【稚日女大神(わかひめのおほかみ)】
【美奴賣大神(みぬめのおほかみ)】
【爾保都姫大神(にほつひめのおほかみ)】
【石坂姫大神(いしざかひめのおほかみ)】
【久久奴智大神(くくぬちのおほかみ)】
【大穴持大神(おほあなむちのおほかみ)】
【金山彦大神(かなやまひこのおほかみ)】
【宮簀姫大神(みやすひめのおほかみ)】
【高良大神(こうらのおほかみ)】
…高良玉垂神(こうらたまたれのかみ)=武内宿禰命(たけうちすくねのみこと)
【玉手大神(たまてのおほかみ)】
【四大夫(しだゆう)】
…中臣烏賊津臣(なかとみのいかつおみ)
…大美輪大友主臣(おほみわのおほともぬしのおみ)
…物部膽昨臣(もののべのいぐひおみ)
…大伴武以臣(おほとものたけもつおみ)
【八意思兼大神(やこころおもひかねのかみ)】
【譽田大神(ほむたのおほかみ)】
【若宮大神(わかみやのおほかみ)】
【伊多手大神(いだてのおほかみ)】
…五十猛命(いそたけるのみこと)
【長田大神(ながたおほかみ)
…事代主神(ことしろぬしのかみ)
【大美輪大神(おほみわのおほかみ)】
…大物主神(おほものぬしのかみ)
【三嶋大神(みしまおほかみ)】
…大山祇命(おほやまつみのかみ)
【白髭大神(しらひげおほかみ)】
…猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)
【熱田大神(あつたおほかみ)】
【磯良大神(いそらのおほかみ)】
【酒殿大神(さかどののおほかみ)】
…酒彌豆男神(さかみつをのかみ)、酒彌豆女神(さかみつめのかみ)
【祇園大神(ぎおんおほかみ)】
…須佐之男命(すさのをのみこと)
【龍田大神(たつたおほかみ)】
・・・天御柱命(あめのみはしらのみこと)
【生田大神(いくたのおほかみ)】
…稚日女尊(わかひるめのみこと)
【鹿嶋大神(かしまおほかみ)】
…武甕槌神(たけみかづちのかみ)
【香取大神(かとりおほかみ)】
…經津主大神(ふつぬしのおほかみ)
【塞大神(さいのおほかみ)】
…猿女君命(さるめのきみのみこと)
【高龗大神(たかおかみのおほかみ)】
【闇龗大神(くらおかみのおほかみ)】
【春日大神(かすがのおほかみ)】
…天之児屋神(あめのこやねのかみ)
【大歳大神(おほとしのおほかみ)】
【若歳大神(わかとしのおほかみ)】
【松尾大神(まつをおほかみ)】
…大山咋神(おほやまくひのかみ)
さて、八幡古表神社の縁起は次のように伝えられています。
昔、中津川(なかつがわ)のほとりに玉手翁(たまてのおきな)という人が住んでいました。 神にも等しいほど美しい心を持った人格者でした。欽明天皇6年(545年)のある日、玉手翁が吹出高濱(ふきいでのたかはま)を散歩していると、西の方より美しい白雲が飛来して、(中秋の)名月のように光り輝く弓矢を持つ神女(しんにょ)が乗っていらっしゃいました。 玉手翁はすぐに神であることを察し、畏(おそ)れ拝むと、次の神託がありました。
「吾(われ)は息長帯姫(おきながたらしひめ)なり。昔、三韓征伐の砌、軍卒集まり難しにより諸国を歴視し、此の処に来りて海辺の石の上にて神々を祭祀(まつ)る。 よって、軍卒多く集まり船をも調達、険しき浪(なみ)を渡り三韓を伐つ。 しかるに後世これを知る者なし。 今よりこの良き地に住みて永遠に国家国民を守護せむとす。 汝(いまし)この処に社(やしろ)を建て吾を祭れ。」
翁は平伏して再拝(さいはい)し、さっそく社殿を造営すべき土地を探し、吹出高濱の最も荘厳な処(ところ)を選んで、欽明天皇6年(545年)9月21日、田川の銅鏡を御神体として祠を建て、氣長大神宮(おきながだいじんぐう)と称したと伝えています。こうして本殿の息長大神宮(おきながだいじんぐう)と西脇殿の住吉宮(すみよしぐう)の社殿が鎮座しました。 さらに、天平16年(744年)8月15日に傀儡子(くぐつ)の神々を祀る東脇殿の四十柱宮(よそはしらぐう)が鎮座しました。
~『古表宮縁起書』より~
「海辺の石の上に神々を祭祀る」とある石は、八幡古表神社から西へ約1㎞ほどの所にある「皇后石」(こうごいし)と呼ばれる大きな岩で、今も大切にされています。現在は、毎年9月の秋季大祭の日に八幡古表神社の神輿が幸行し、皇后石の前で祭礼が執行されます。この皇后石こそが八幡古表神社の発祥地であり、江戸時代の古地図では「海岸の小高い丘の上の巨石」として描かれているそうです。昔は今より海岸が近い場所だったようです。四十柱宮の神々は天平16年(744年)8月15日に祀られるまでこの石に鎮座していました。
皇后石(こうごいし)
[所在地]
福岡県築上郡吉富町大字広津(地図)
[経緯座標]
北緯:33度36分55秒/東経:131度10分24秒(推定)
古表神社の4年に一度の「傀儡子神相撲(くぐつかみずもう)」と【国指定重要無形民俗文化財】で使用される傀儡子【国指定有形民俗文化財】47躰は四十柱宮(東脇殿)。鎌倉時代の作とされる木造女神騎牛像(もくぞうめがみきぎゅうぞう)【国指定重要文化財】は息長大神宮(本殿)にそれぞれ安置され、細男舞(くわしおのまい)・傀儡子神相撲が奉納される年の放生会(ほうじょうゑ)で公開されます。この4年に1度の祭礼で、息長帶姫尊が三韓出兵の時に、妹の虚空津比賣命を従えて牛に乗り川を渡る姿をあらわした木造女神騎牛像【国指定重要文化財】が公開出御されます。