このブログの全体地図はこちら
なお、コメントやメッセージやメールで、皆さんの陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、陰徳と結果の体験談を大募集中です。ご遠慮無く、書き込み下さい。
その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、
そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。
【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】のシリーズ記事一覧はこちら
改過を実施する際の、工夫(テクニック)三原則です。
事上(個々の悪事)を改める方法と、理屈から改める方法、そして心から直接改める方法の三つです。
事上(個々の悪事)から改める工夫
前日に、殺生の悪事を行ったが、今、戒めて改過して、殺さないようにした。
前日に、激怒し罵詈雑言したが、今、戒めて改過して、怒らないようにした。
これらは、個々の事象(イベント、アクション)について、改過する者である。
この方法は、個々の事象について、外部から制圧、抑制することであり、実は他の方法と比較して、百倍くらい難しいやり方である。
しかも、このやり方では、問題の病根は残ってしまい、最後まで、抜本的な解決はしないものである。
東に攻撃して滅しても、西に生じてしまう。
いつまでたっても、綺麗さっぱり根幹から無くならないのである。
要するに、アレですね。
「くくく・・・よくぞワシを倒した・・・!褒めてつかわそう勇者よ・・・!」
「だが、人の心に闇がある限り・・・!再び、第二、第三の魔王が蘇ろう・・・!」
「果たして、貴様はその時に生きてはいまい・・・!」
「ふふふふふ・・・・はーはっはっはっはッ・・・!シュウウウウ(消える音)」
ドラクエの悪の大魔王とかの、ラスボスですね。
人の心に闇がある限り・・・!
人生の大切なことは、みんなドラクエから学んだ・・・!
そもそも、社会の構造的に悪役がなくなっては困る人がたくさんいるのです。
警察が予算縮小したら、おまわりさんがどこに就職すると言うのでしょうか?
戦国時代が終わって、平和な時代になったら、殺人しか社会スキルのない武士が大量に溢れ出ました。
秀吉さんが、朝鮮半島にリストラしてポイ捨てしたりして、余剰人口の武士を減らしたりしましたが、やっぱり江戸時代に困った武士が大勢出ました。
昭和の時代の復員兵や、平成の時代の氷河期世代と同じですね。
正義のヒーローは悪がいないと成り立たないのです。
暴力しか能が無い、正義のヒーローは悪役がいなかったら、どうやって食べていくというのでしょうか?
当然、犯罪者になるしかありません。
正義のヒーローと悪役は、表裏一体の陰陽関係です。
お互いに依存して、生きているのです。
DV夫とだめんずが共生依存関係にあるように、お互いに必要としているからこそ存在しているのです。
ケンシロウも、ルフィも、アンパンマンも、暴力しか能が無い穀潰しですが、働いているカタギの皆様に、上から目線の立場でいられるのは、ひとえに悪役がいるからです。
さて、なぜかまた話がそれていますが、一体何の話をしていたのでしょうか?
別に、ケンシロウなどはどうでもいいのです。
そうそう、改過モグラ叩きゲームの話です。
改過するのに、いちいち個々の悪事の現象に叩いて回るという、モグラ叩きゲームはダメだと言う話です。
雑草をいくら表面上をとっても、すぐに生えてきます。
根っこから、除草剤を撒くかしないとダメということですね。
とは言え、
この
「深い原因があって、それを解決しないとダメ」
という発想は、それはそれで一面的な考えです。
この手の発想法は、近代では、フロイトやユングのような心理学が流行したことによりますが、目に見えないところに、原因があり、それが問題の元であると。
それはそれで解決出来る問題もあるのでしょうが、実際にはそうでない可能性も多いと私は考えています。
要するに、単に、偶然も含む、行動主義的な問題ではないかと。
具体的に言えば、朝、どうしても起きられないという問題があったとします。
これの元は、幼少期の親との関係にあるという奥深い問題が原因で、それを解放したら治ったということもあるでしょうし、単に夜食の時間の問題かも知れません。
科学的なことが原因だったり、単なる習慣だったりと、浅い理由の可能性もあるでしょう。
深い原因の問題があるというのを否定はしませんが、単に行動主義的な解決(ご褒美や罰で誘導)で、あっさりと解決する改過もあるのではないでしょうか?
具体的に言えば、健康的な生活をすることで、朝気持ちよく起きられるとか。
要するに、わざわざ深いところまで潜らなくても、大抵の問題は、個々の改過で修正していけば、何とかなる可能性はあります。
儒教では、
「心の中などどうでもよい。一生、君子の真似をして君子の行動をし続けたら、彼は君子なのだ」
というものがあります。
たしかに、人が見てるところで見てないところでも、行動し続けられたら、その通りです。
そして、この人が見てないところというのがポイントです。
誰だって、子供の時は純粋無垢で、かつ善悪の概念はありません。
平気で虫や小動物を殺します。
しかし、成長するに従って、世間から賞罰を喰らって、善悪の判断がついてきます。
生まれつき邪悪な人間でなければ、大抵、これで矯正されます。
賞罰が強力であればあるほど、それがトラウマになって、やがてそれが善悪の観念となって、人が見てないところでも、有効に働くようになるのです。
※社会的罰が無い位置にいたら、仮面が外れるのでは?ということは、今までも記事にしてきました。
ただし、逆に言えば、この矯正法は、賞罰(苦しみと快楽)がなければ、矯正効果が無いということです。
行動主義の原理は、パブロフの犬のように、何かしらの行動と現象をリンクさせることです。
悪いことをしたら、電気ショックを与える方法がこれです。
当然のことながら、これは自分では出来ません。
悪行を行う毎に、自分を傷つける剛の者もいるかも知れませんが、ごく少数でしょう。
つまり、一生の間、今まで目に見えないところでの善悪を学習出来なかった人は、自分の行動を、自分で完全にコントロールするのは、不可能だと言うことです。
よく言われる通り、
世界で一番の敵は自分なのです。
自分に勝てというのは、よくスポーツでも言われます。
そして、世の中で一番信用出来ないのが自分です。
自分という自我は、自分自身のためならどんな嘘でも付きますし、屁理屈を思いつきます。
自分など絶対に信用してはいけません。
善行ですら自己満足なのです。
※そもそも、陰徳をして開運しようという発想自体が・・・。
釈迦もこう言っています。
諸法無我と。
所詮、自我は思い通りにならないのです。自分の物ではないのです。
とは言え、自分自身を、徹底的に、管理してくれる奇特な人など、ヤンデレの女の子か、全体主義国家の強制収容所か、カルト教団しかいません。
そのため、行動をモグラ叩きするだけでなく、自分自身を、自己洗脳する残りの二つの工夫が必要となります。
※完全に自分の行動をコントロール出来る人は別ですが。