【陰隲録】積善㊳ クジラ問題になると途端に愛国者になる左翼は多い | (旧館)豊河怜の開運ネットワークブログ

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なお、コメントやメッセージやメールで、皆さんの陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、大募集中です。
どうぞ、ご遠慮無く、ご書き込み下さい。
その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

 

今回は、積善の章の、善行まとめの十項目の、

⑩物命を愛惜すること。
 ※人間以外の命にも。原文に載ってないけど、果ては、物質も。

になります。

 

積善の章もようやく終了です。

次で⑩の後半をやり、その次で改悪の章に入ります。

 

 

物命を愛借とは何ぞや?

それは、およそ人の人たるゆえんは、ただこの惻隠の情(心)、これのみである。

仁を求める者は、これを求め、徳を積む者はこれを積む。

 

周礼に、「孟春の月、犠牲に牝を用うるなかれ」とあり、

孟子に、「君子は庖厨(屠殺や肉の調理があるから)を遠ざく」とある。

これらの生き物の殺への配慮は、惻隠の情を全うさせるものである。

 

故に、昔から四不食の戒というものがある。

①(材料を)殺したことを聞いたら食べない

②殺したところを見たら食べない

③自分で育てた生き物は食べない

④自分のためだけに殺した物は食べない

 

真理への学を進む者で、まだ肉食を断つことが出来なければ、ひとまずは上記の四不食の戒から初めて、順々に精進していくと良いであろう。

 

 

【戒律から見る食事制限】

 

ベジタリアン大勝利の内容です。

肉を食べるなと、食肉業界に喧嘩を売っています。

やめてください!

オージービーフを輸出しているオーストラリアさんが死んでしまいます。

 

まあ、オーストラリアはどうでも良いのですが(非道)、ざっと見た感じ、肉食禁止は、健康に良いからとか、そういうぬるいものではなく、道徳的にという観点で、要するに単にかわいそうだからという理由です。

 

糖質制限(炭水化物)ダイエットが流行っている昨今、流行に容赦なく逆行しています。

炭水化物もダメ、肉もダメなら、一体我々は何を食べていけばいいのでしょうか?

そもそも、昔はコレステロールが悪役だった時代ならともかく、今は肉を食えと栄養学が掌返しをしています。

真実とは一体、何なのか?

世界の謎は深まるばかりです。

 

で、ここらへんは、基本、仏教が入ってきている日本と同じで、肉食が悪だと言う認識が支那(仏教の元祖のインド思想)にはあります。

今でも、インドの上位カーストの司祭階級は、肉食をしないため、栄養学的に問題なのか、いつもボーっとしているそうです。

 

文明的に、穀物摂取で、小麦の文明圏は肉食で、米の文明圏は魚食だと言う話があります。

日本人は肉食に忌避感を感じていましたが、魚(クジラは哺乳類ですがでかい魚扱い)を結構食べています。

 

まあ、魚も生臭扱いですが、一般的には魚食は、肉食よりも忌避感は日本人にはありません。

また、とかく屠殺業や漁業は殺生を行うということで、歴史的に賤業扱いでした。

ここらへんは、戦後日本の闇社会の一翼である部落の問題にもからんできます。

 

実は、ベジタリアンの話を持ち出すまでもなく、肉食をやめようぜという話は、開運系の話でもよくある話です。

(有名どころとしては水野南北が有名です。いずれ記事で取り上げるやも)

 

単純に考えて、この陰徳の理論的にも、肉食は、生き物を殺すのはよくないという理屈で、語られれば、はあそうですかというしかありません。

※正直、私はやってません。

善因善果、悪因悪果の因果応報の原則だと、他の生き物に害を与えるのは悪という考えですから、当然、他の生き物を殺して食べるのも悪になってしまいます。

理屈的にはたしかにそうなります。

 

坊主(宗教一般の)が肉食を控えるのも、この理屈が原因です。

一応、坊主は殺生戒を守らなきゃいけませんから、厳密にこれを行えば、食事にもこれを遵守する必要があるのは、論理上当然の展開です。

 

当然、その深浅は、所属するグループや状況によって様々ですが。

例えば、上座部仏教クラスでも、基本、肉食はダメだけど、托鉢とかでの貰いもんだったらOKみたいな感じの裏技の話も結構あります。

やはり、栄養学的に制限があると色々と差し障りがあるのでしょう。

 

ここらへんの戒律の適用には、日本でもお酒を般若湯と言ったり、セックス禁止だけど、稚児という名目で囲ったショタっ子を愛でるのはOKだよね?みたいな裏技は結構あります。

実際の社会上の法律のように、お上が法を作れば、下の民は色々と抜け道を探すのは、世の常です。

貧乏人が重税で巻き上げられ、金持ちは専門家を雇ってタックスヘイブンなどの節税脱税が出来るのも、今更な話ですが・・・。

 

で、本文に有る四不食も、基本、仏教由来です。

同じような戒律が、仏教や修験道には、結構あちこちにあります。

逆に、これを裏技として抜け道に使えば、①~④に接触していなければ食べていいということにもなります。

先程の上座部の貰いもんだったら食べていいよね的な。

 

現実的な話としては、不労所得生活している乞食坊主の立場から見たら、せっかくくれた物を、好き嫌い言って食べないのは、スポンサーの在家の心象が悪くなりますから致し方の無いことかと思いますが・・・。

 

 

 

【宗教と食事制限】

 

 

まあ、坊主の話はともかく、基本、この霊的世界の歴史においては、この食に関する話は結構重要なテーマです。

不食一つとっても、レベル(?)的に、段階がいくつもあります。

 

肉食から始まり、匂いの強いネギ系(ネギ、ラッキョウ、ニンニク、タマネギ、ニラ)の物の禁止。

※俗に言う「葷酒山門に入るを許さず」の葷酒ですね。

神仏が匂いを嫌うというのもそうですが、単純に性欲が亢進しちゃうのも理由です。

 

肉食どころか、穀物の禁止などの辟穀。

一日三食を二食や一食にする食事制限。

この流れの果ては、断食という食事をしない究極の段階まで色々あります。

 

上記のように、肉食制限から断食まで難易度のレベルがあります。

当然、ハードな修行するぞ徹底的にハードな修行するぞ(オウム風)だと、きついレベルの縛り食事制限プレイになってきます。

大抵の古今東西の聖者の、修行時代の自慢話には、「こんなハードな断食修行したぞ!」というドヤ顔話が載っています。

結局、食というのは、人類の普遍的なテーマですので、ここらへんは古今東西を縱橫する共通ということですね。

 

さて、そもそも宗教は、何で食事に注文つけるの?

という理由としては、上記したように肉食は倫理的に良くないというロジックもありますが、もっと言えば、食事というのは生存イコールこの世というか大地にカテゴライズされた行為です。

もっと言えば、物質全般です。

 

宗教は基本、物質世界を嫌います。

神仏というのが、目に見えない存在でこの世(物質)の範囲ではない(と考える)からです。

物質や生存や肉体を構成している食事が、連鎖的に嫌われるのは当然です。

宗教の理想としては、肉食忌避は当然として、できれば断食、絶食レベルが望ましいわけです。

 

要するに、汚らわしい肉体(肉欲の元)から離れて、清らかな神仏の世界にエスケープするというのが宗教の本音なわけです。

「生まれてきてすみません」

というのが、宗教の基本的なドグマです。

 

古代の豊かな自然の中で狩猟時代という大地母神時代には、自然に感謝、世界に感謝する系の宗教が人類の普遍的な信仰でした。

神道などは古代のこの信仰を残しています。

 

しかし、地球が寒冷化した時代には、自然は人類の敵になり、ひいては世界そのものが敵となります。

狩猟時代から農業時代になると、国家が誕生していますから、特に寒冷化の時代には国家の抑圧や戦乱や飢饉により、世界は地獄と化すからです。

ここで、従来の「自然に感謝系」の大地母神信仰に代わる、枢軸時代の世界宗教が宗教市場を制覇して今に至るというのが、人類の宗教史の大きな流れです。

 

この世界宗教は、要するに上記のような発生トリガーのため、世界そのものが大っ嫌いです。

よく、我々は、フィクションの世界や一般通念で、神が創りしこの世界に対して呪いをかけ、世界戦争を起こすような存在が悪魔だと思っています。

 

全く逆です。

 

宗教というのは、上記で説明したように、基本、この物質世界が大嫌いで、プラトンの言うイデアの世界、宗教的な神の国に比べれば、とっとと滅びろと思っているのが実情です。

その証拠に、一神教であろうと、仏教であろうと、基本、この物質世界に対してヘイトスピーチをすること山のごとしです。

神仏というこの世を超越した完全原理を、経典という中二病ノートに設定構築してしまえば、当然その論理になります。

 

キリスト教だろうと仏教だろうと、彼らが敵視する悪魔は、古代の地母神系のローカル宗教が主で、自然に感謝系です。

まあ、野蛮な時代の宗教なため、生贄やったり乱交やったりと、色々ツッコミどころはあるのですが、基本、自然崇拝の宗教です。

要するに、この母なる地球を守っている側が、世界宗教が敵視する悪魔(太古のローカル神)です。

 

ちなみに、何で食事制限の話から、悪魔を擁護する展開になっているか、豊河もさっぱりわからないのですが、いつもの如く、無意識のお筆先で書いているので、気にしないで下さい。

というか、普通に、悪魔崇拝ですね。

やべ!バチカンの異端審問官から襲撃を受けてしまう!

 

で、その自然崇拝が世界宗教から見たら、悪魔崇拝に見えるわけです。

世界宗教は、何度も言いますが、今のこの母なる星(この母というテーマも世界宗教から見たら悪魔ですが)ジ・アースは、イデアの理想世界から見たら、一ミリたりとも価値の無い穢土ということです。

 

要するに、我々が豊かな自然よありがとうと考えることは、本来、世界宗教から見たら、異端中の異端なのです。

宗教というのは、金も含めて物質が大嫌いなのは今までの歴史を見ればわかります。

近代に入ってようやく、金儲けが資本主義のロジックで倫理的に認められるようになってきたのです。

歴史的に見れば、まあ古代に戻ったというべきなのでしょう。

逆に、世界宗教の物質世界ヘイトの時代の方が人類史から見れば、異端だったのかも知れませんが。

 

溢れ出る世界と物質と生存への抑えきれないヘイトが、徹底的なヘイトスピーチの風評被害を生み出します。

全ての大地の属性や女性原理、女神や生産や現世利益を敵視し、悪魔(仏教でさえ修行を邪魔する俗世の欲望を悪魔呼ばわりしています)のレッテルを貼り付けるのです。

 

その意味で言えば、キリスト教などの一神教と、一見多神教に見える仏教は同じ穴の狢です。

表向きの教義は、日々の生活に感謝しろと在家に説教を垂れるも、教義的には、この世から離脱することが目的です。

要するに、食事に関して言えば、そもそも食事なんかしないで、太陽光線をパクパク(鳩首相の嫁が有名)して生活したいというのが宗教人の理想です。

 

 

 

【宗教体験(物理)】

 

比較的、多民族に比べて、肉体や現世利益を重視する傾向の有る中国人(ハッキリ言えば拝金主義)の宗教の、道教(仙道)でも同じです。

彼らの修行の過程が載っている修行本を読むと、食事制限が必ずあります。

 

面白いことに、修行がある程度まで進むと、食事制限をしないと逆に苦しくなるそうです。

彼らは不老不死が目的ですので、気功で、身体を陽神化(不老不死の気のボディにする)します。

その段階に近づくと、今までの身体に詰まった不摂生のヘドロが排出されますが、その際に食事をしているとそれだけ余計なヘドロになりますので、食べれば食べるほど苦しむという理屈らしいのです。

 

インドのアーユルヴェーダも、健康のために強制的に身体のヘドロを排出(穴という穴から出しまくる)しますが、発想は同じです。

食事は人間の栄養となりエネルギーとなりますが、それは当然、肉欲を始めとする煩悩になるし、消化された後は不浄の存在となります。

禅の用語に、「人間は五尺三寸の糞袋」というのがありますが、この自虐発言は、肉体を嫌うという前述の宗教的な思考だと正しいわけです。

 

記事冒頭の画像の山岡さん(一流新聞会社のコネ入社の正社員で上流階級)も言っていますが、人間というのは基本生きているだけで、他生物を殺して食っている弱肉強食の糞袋です。

 

もっとも、山岡さんの解釈だと、だから肉食は仕方がないというロジックで使っていますが・・・。

本来は、仏教的(というか宗教的)には、だから人間は生きる価値が無いというロジック帰結です。

早いところ、解脱するなり、天国に行くなりして、この汚れた世界から抜け出そうというのが宗教的には、本来の意味です。

(日本仏教は在家のための大乗仏教なので、実はそれはそれで正しいのですが)

 

あと重要な点としては、宗教的に、食事制限は、医学的には大脳の化学的なコントロールという意味でもあります。

 

人間は食事をして栄養をとっています。

そのエネルギーで動いている動物なのです。

自立型の、動くモバイルPCと言ってもいいでしょう。

 

当然、脳も同様です。

食事のエネルギーを体内で変換して、そのエネルギーで脳を動かしているわけです。

つまり、これを逆に考えれば、食事から脳をコントロール出来るわけです。

そんな馬鹿なと思う方は、では精神科のお薬というのが存在する事実を想起して頂ければおわかりになると思います。

歯医者で麻酔代わりの笑気ガスを受けたことがありますが、人間の精神などは所詮、脳の化学的な処理情報です。

 

宗教が食事制限するのは、上記した「物質世界が嫌いというイデオロギー」だけではありません。

食事を制限することで、今までの生活パターンを崩し、また飢えさせて、非日常空間を作ることが出来るのです。

早い話が洗脳です。

 

心理的にも食を握られているというのは生存本能的に、死活問題ですので、従属性が高まるのです。

さらに睡眠剥奪など色々とテクニックがありますが、これらは要するに洗脳や修行のための「特殊な変性意識状態」を喚起するための、仕組みなわけです。

 

修行場所や神社仏閣が山の上にあるのも、龍脈を抑えるためという以外に、高山での薄い空気で変性意識に陥りやすいという意味もあるわけです。

※洗脳の基本の、社会からの隔離、人里離れた状況という意味も追加。

 

この変性意識状態は、古来からこれを喚起するために、生贄やったり酒やドラッグやったり乱交したりと色々創意工夫を人類はしてきたわけです。

インド人などは今でも普通に道端の聖者様が、薬物のガンジャを決めています。

明治維新以降、見えなくなってきましたが、普通に日本でも上記のようなことはやっていました。

 

しかし、古来のこういう方法は、現代では問答無用で邪教扱いですので、隠れてこっそりと秘密結社やカルトがやるしかないわけです。

表の宗教は、少なくとも表立っては出来ないので、仕方なしに代替案として、上記したような迂遠なテクニックで、変性意識を作りだすしかありませんでした。

 

というより、何でそもそも、宗教で変性意識状態なんか作る必要があるんだ?

という疑問がわきますが、簡単です。

宗教的に意味がある現象が起きるからです。

 

催眠を思い出して頂ければわかると思います。

変性意識状態というのは催眠と同じで、本人や周りの人間に、変な現象を起こすことが可能なのです。

具体的には神の姿が見えたり、盲人や足萎えが、プラシーボ効果で感動の奇跡を起こしたりするわけです。

 

宗教は、信者に安心立命を提供するサービス業です。

それが個人の救いを求めて山に登る個人救済の目的にしても、大抵は、修行が完成して、自分が救われれば、高確率で、自分の至高の体験と神仏から与えられた使命感で、衆生に伝え布教し始めます。

あの、煩悩を克服した釈迦ですら、衆生救済という「煩悩」に負けて、布教したわけです。

 

ましてや、いったん宗教の体裁を整えれば、宗教組織のシステム運営上、他の営利企業と同じく、信者を集めて金や労働力を回収するしかありません。

聖職者のご飯や聖堂の維持や、お上への賄賂など色々と、聖業や衆生救済にも、現世に居る限り、金がいるのです。

 

そもそも、聖者は労働をしないニートです。

乞食(こつじき)に頼って、他人の慈悲にすがる穀潰しです。

そのため、どうしても、愚民を洗脳する必要が生じます。

 

そのためにも、信者に「奇跡」を体験させるしかありません。

宗教業界は、西洋の中世や、日本の江戸時代のような封建時代の利権で安定した時代と違って、今も昔も、他宗教のライバル教団との、血で血を争う(比喩的な意味と実質的な意味で)、仁義なき過当競争業界です。

 

能書きばかりで、現世利益が無い宗教は、信者が集まりません。

水からぶどう酒を錬金したり、パンを無限増殖したり、海の上を歩いたりする芸達者な聖者でないと、他宗教に負けてしまいます。

※仮に権力を掌握しても愚民相手には現世利益を与えるような教義にせざるを得なかったことは、キリスト教や仏教という世界宗教が証明しています。

 

特に、悪魔崇拝の野蛮な邪教(世界宗教から見た現地宗教)は、上記したろくでもない方法で変性意識状態を容易に生成するため、この手の「力」が強力です。

変性意識を信者と共有して、幻覚を見せたり、病気をプラシーボ効果で直したりしてしまいます。

当然、この手の奇跡は、ライバルとして見過ごせないものがあるのです。

※まあ、実際には、この手の邪教(現地ローカル宗教)は、後進国で教義が未熟なため、世界宗教の哲学論理の前に、ディベートでボコボコにされてきたのが宗教史なのですが。

 

布教担当のプロはこうしたライバルに負けないように、変性意識になれるよう訓練する必要があります。

それが、食事制限などの様々なテクニックです。

 

一般にこれらの変性意識生成の技術は「修行」と呼ばれています。

他人(信者)を獲得するための、布教勧誘技術であると同時に、修行中の変性意識において、神仏と邂逅し教えを賜ったり、悟りを開くために修行するのです。

 

今や、脳の科学は急速に進んでおり、宗教的な体験すらも脳の特定の箇所を操作することで再現が可能です。

幽体離脱や全体(究極)との一体感など、従来なら宗教カテゴリに入る体験すら再現可能です。

 

要するに、医学的な脳の操作テクニックなのです。

いずれ、薬やバーチャルな操作でこれらを簡単に体験することが可能になるでしょう。

とは言え、近未来とは言え、しばらく先の話でしょうが少なくとも我々の閾値得る間には一般化する可能性が高いと思います。

 

 

【修行から得る力と倫理規定】

 

 

科学の進歩はともかく、伝統的宗教の話に戻ると、これらの変性意識状態に入る技術は、当然、危険も伴います。

 

何が危険かと言うと、「力」だからです。

日本では刃物や銃器が禁止されており、武道の有段者は武器所持者扱いです。

国際的には核は管理されており、テロリストが所持することは禁止されています。

力には責任が伴います。

銃器は法的な規制がありますが、他人に強い影響力を与える力は、法的な規制がありません。

 

禅で言う「魔境」が有名ですが、変性意識状態は理性のフィルターを飛び越えた危険な領域に入る技術です。

そのため、精神障害を起こしやすく、昔から、師僧がいないと独習は危険と言われています。

伝統的宗教ではこうした技術を独習すると地獄に堕ちるぞと脅しています。

 

この細木数子のような脅し文句は、実は、ぶっちゃけマジな話です。

誤った師僧や教団での修行の末路を、我々は、オウムの例で見ています。

LSDや洗脳の技術を使った彼らは、強度の変性意識状態を生成していましたが、その結果、サリンを撒きました。

彼らが地獄(多義語)に堕ちていることは言うまでもありません。

 

このような変性意識状態になるテクニックは、色々ありますが、基本、「密教(仏教に限らず)」です。

密教というのは、日本仏教の真言宗や天台宗だけでなく、他の宗教でも同様に使われます。

技術は、一子相伝形式や、内弟子や秘密結社のような形でないと、伝授されないのです。

その理由は、昔のギルド制の慣習という以外にも、その志の無い者に、「力」を持つことは危険だからという意味があります。

 

なぜ食事制限からこんな話を長々とやるのかと言うと、今まで言ってきた、「権力と倫理」の話に繋がるからです。

今まで言ってきたように、開運をすると、当然、地位も名誉も金も女も、簡単に手に入ります。

今の時代(今の時代でなくても)、これは人間の願いでしょう。

 

巷に溢れている自己啓発では、これらの達成が、全てです。

無意識の世界を開くのもよく言われています。

しかし、それは、実は大変危険なことなのです。

 

開運の技術をやると簡単に(時間は数年単位でかかりますが)、現世利益は手に入ります。

自己啓発や無意識の開発でも簡単に出来る人もいるでしょう。

しかし、それには「力の責任」が伴います。

 

山高ければ谷深し。

このブログで何度も指摘しているテーマです。

 

金や地位や権力は、誰しも求めるものですが、本来これらは、強い責任と克己が必要な物です。

少なくとも、まともな名家は代々、権力者の家系として厳しい帝王学として教育しています。

今で言えば、自衛隊の幹部教育も、相当な物です。

 

身分制度の時代では、生まれた時から権力を与えられた者は、それにふさわしい教育を受けてきました。

※少なくとも、教育、補佐としての人間を成長後も、スタッフとして持たされている。

それは権力の維持としての意味があると同時に、権力の濫用を防ぐためです。

 

現代、宝くじに当たった人間の悲惨な末路を我々は耳にします。

アメリカンドリームを成し遂げたスポーツ選手の同様の末路も耳にします。

 

ここで身も蓋もない話になるのですが、人間の道徳というのは実は、善性から行われる物ではありません。

単に、自分の都合のために行っているのが実情です。

人に優しい人間は、善性からでなく、弱い人間だから他人に媚びへつらっているだけというのが実際です。

 

人の本性は悪なのです。

 

 

そうしなければ生きていけないからそうしているだけのこと、つまりは生存競争のワンシーンなのです。

ある意味、荒野でモヒカンがバギーに乗りながら略奪するのと、同じ行為なのです。

 

子供の時を思い出してください。

虫や小動物を平気で殺していませんでしたでしょうか?

成長するに従って、世の中が自分を制御する物に溢れている場所だということを実地で学習し、適応するため、善性の仮面(ペルソナ)を被ります。

やがてその仮面が本来の自分だと思うようになって今に至りますが、それは自分が弱い環境だからこそ纒っている仮面です。

 

もし、自分が強者の環境であったら、今の自分と同じ善性を保っていられるでしょうか?

好きなことをやっても、反発されない。

絶対に安全な環境。

自分の嫌なことを我慢する必要のない世界。

 

このような世界に居たとしたら、今までの自分と同じでいられるでしょうか?

現代資本主義では、その状況は金によって作り出すことが出来ます。

具体的な事例としての結果は、上記の宝くじやアメリカンドリームの成金の末路が答えを出しています。

たまたま、環境が自分の本性を抑えていただけで、それが外れた場合は、最終的に見の破滅に至ります。

 

表面意識の自分は全く知らないことですが、無意識領域の自分は、こうした自分の本性と仮面の存在意義を、よく知っています。

そして、無意識の自分は、「自分を守るために」貴方に、自分の身の破滅に至るような危険な力を与えません。

具体的には、健康や金や地位や名誉や交尾相手を与えません

密教の先達が一見さんには、危険な変性意識生成の技術を与えないのと一緒です。

 

もし、貴方が、自分は何をやっても成功できない、なぜ俺だけがこんな目にと、人生を嘆いているのでしたら、それだけ無意識が貴方の為に頑張っているのです。

 

要するに、貴方の無意識の自分は、

「ふー。今日も疲れたぞい。まったくこの馬鹿は身の程も知らずに成功しようとするから、一生懸命邪魔してやったぞい。この馬鹿が力を持ったら、身の破滅になるだけだろボケが、少しは自重しろ」

と貴方のために日夜頑張っているのです。

 

身の程を知らず幸せになろうとする貴方を四苦八苦して足を引っ張っているのです。

この努力量は、下手な親や守護霊よりも、遥かに貴方のことを助けています。

何しろ、貴方自身なのですから。

他人は親であっても貴方を裏切るかも知れませんが、貴方自身は貴方を絶対に裏切りません。

最後まで、貴方の面倒を見てくれます。

具体的には貴方が成功しないように邪魔を一生涯し続けます。

 

だからこそ、この無意識領域を簡単に飛び越えるような「密教」や自己啓発は危険なのです。

せっかく、無意識の自分が一生懸命、貴方の人生を妨害しているのに、それを無視して無意識を開いて、「力」を手に入れさせて、成功させてしまうのです。

その後の悲劇は推して知るべしです。

 

チベット密教では、最上位の段階である無上瑜伽タントラ(後期密教、日本は中期密教のレベル)の伝授は、10年単位の前行が無いと伝授されません。

甚だしくは、一生伝授されない僧も、チベットにはいっぱいいます。

理由は危険だからです。

レベルの低い貴方に伝授して、サリンを撒かれたらエライことになります。

 

そして、これは貴方の無意識も同じ考えです。

子供がおもちゃを欲しがるように、表面意識は、無意識領域の力を求めます。

それに対して、無意識は貴方にその資格がない限りは、絶対に「力」を渡したくないと考えています。

 

「力」の伝授。

即ち、影響力、金、名誉、地位、権力とあらゆる力です。

例え、それが無いため、貴方の人生が、貧困や迫害、生命の危機など、悲惨なことになっても、無意識から見れば些細なことなのです。

 

なにせ、「力」を乱用して、広範囲に被害を与えて、結果として莫大なカルマを積んで、貴方が地獄に堕ちることに比べたら、些細なことなのです。

基本、無意識の領域には自他の区別がありません。

無意識には貴方だけの意識ではなくて広範囲の人間の集合無意識と繋がっています。

 

要するに貴方は、この集合無意識領域で、村八分にされているのです。

個人の無意識の検閲者がいると同時に、集合無意識の検閲者がいると考えるべきでしょう。

彼らは、ブラックリストに載った貴方を監視して、万が一でも成功しないように、日夜、世界の平和のために頑張っているのです。

オウムを監視する公安警察の無意識版です。

 

 

【そして開運へ】

 

では、この検閲を突破するにはどうしたらよいでしょうか?

裏口(危険な技術)ではなく、危険無しに、表口から検閲を通り抜けて、成功をして後生も保つにはどうしたらよいでしょうか?

 

それは上記した内容、および今までのブログ内容から見れば、もうお気づきのはずです。

検閲を通り抜けるような資格、「力」を手に入れる資格を身につければいいだけです。

貴方が力を持っても暴走しない、倫理を保てるという証明書を無意識に提出すれば良いだけなのです。

 

この検閲者は当然、集合無意識の命で動いています。

少なくとも自分自身の安全のために、ひいては全体のために存在しています。

その目的は、危険物取扱者の資格を与えるか否かを判断する役目です。

 

言ってしまえば、仕事でやっているのです。

審査を許可する融資担当者、役人の生活保護申請の担当者と同じです。

ここらへんは以前にも記事にしました。

毘沙門天流 生活保護申請マニュアル~貴方にも出来る!申請裏技情報(情報商材風)~

 

 

となれば、対策は簡単です。

錬金術の教えにある、「上なるものは下にも同じ」の原則です。

人間界の役人と同じならば、彼らは何を持って動くのでしょうか?

書類(前例)です。

 

役人は前例が無ければ動きません。

これは古今東西の鉄則です。

役人の世界は徹底した前例主義なのです。

逆に言えば、前例があれば役人は動くのです。

 

よく自己啓発に触発されて、

「一生懸命成功をイメージしているのに成就しない!」

とお嘆きの方がおられますが当然です。

 

貴方の無意識の融資担当者の役人は、貴方の小賢しい偽装申請など相手にしません。

「融資するにふさわしい資格所持の証拠を持ってきて下さい。はい却下」

の一言です。

 

単純に出してやりましょう。

成功の資格を。

「力」を手に入れても問題ないという証拠を。

具体的に言えば、貴方がやった陰徳の前例です。

 

「成功したら陰徳に出す」

のでは無いのです。

逆です。

「陰徳をするから成功するのです」

順序が逆なのです。

呼吸でも、呼(吐く)が先で吸(吸うのが後です)。

 

出すものを出さないと入れられません。

お腹がいっぱいなのに食べ物は入りません。

それと同じです。

 

 

自己啓発で成功したイメージをしたり、「成功したら寄付するから先に寄越せ」とか言ってるのは、事業計画書も出さないで融資を得ようとする不心得者と同じです。

担保も実績も無いのに、「絶対成功しますよ!成功したら世のため人のために尽くしますよ」と口先だけで言っている慮外者です。

 

まあ、こう言えば、こんな連中は無意識でなくても相手にしたくはないでしょうが、ところが、無意識の元型(世の中の神仏)はやっぱり善人の塊のような方々ですので、哀れに思って、始めの初回は助けてくれたりします。

しかし、その後で、全然性根に変更が無いと、次からは融資してくれません。

仏の顔も三度までというのは、俗な戯言ではありません。

 

とは言え、そこは善の塊のような神仏です。

そんな恩知らずの屑でも、心を入れ替えて、方針を入れ替える(陰徳をしだすと)、すぐに対応してくれます。

この底知れぬ善人さは一体何なのか不明ですが、現実世界にあったら、まず間違いなくカモにされるような存在ですが、まあだからこそ神様仏様なのでしょう。

 

実際に人間でいたら、ある意味狂気の存在ですが、生物と言うよりも、もはや神仏クラスになると、「概念」に近い存在なのでしょう。

「正義」や「善意」が狂気と紙一重であるのは、人類の歴史が証明しています。

生物であるので、人間の善意のエネルギーを食しているのでしょうが、その思考回路は人間と同じだと思わない方がよいでしょう。