【開運講座:陰隲録・功過格/袁了凡】立命の学⑰ さりげなく日本の敵国の主人公な件 | (旧館)豊河怜の開運ネットワークブログ

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なお、コメントやメッセージやメールで、皆さんの陰徳や積善積徳、改過の話やコツなど、大募集中です。

どうぞ、ご遠慮無く、ご書き込み下さい。

その事例が、他の閲覧者様の、新しい積善改過の参考となり、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

 

前回、陰徳を積んだ功徳で、運命から外れ、改善の道に入り、未来を切り開いていった主人公。
出来ないと言われていた子供も授かり、陰徳の霊験の偉大さを証明しました。

 

私は、一つの善事を行えば、それを筆記して記録しておいた。
しかし、汝(主人公の息子)の母は文盲のため、一つの善事を行うたびに、
朱色のスタンプをカレンダーの当日に押していたものだ。
(夫婦仲良く陰徳に励んでいた)

 

ある時は、貧困者に施しを与え、ある時は、生き物を買って放してやった(放生)。
そのため、一日に多い時は、十功もの善事を積む日もあった。

 

前回の請願から四年後の、癸未年の八月に至って、三千行の善事がまた完成した。
今度も、諸上人たちを家に招いて、回向したが、
さらには、その年の九月十三日に、最難関である科挙の進士試験に合格するという請願を起こし、善事一万行の実現の誓いをなした。

 

三年後の、丙戌年になり、進士に登第し、宝抵知県(河北省)の知事に任ぜられた。

 


とうとう、科挙の最終試験にまで合格してしまいました。
官位にしても、元の運命の、四川省の長官(と言ってもトップではない)等と言う、田舎の窓際官僚(問題発言)ではなく、
河北省の県(首都の北京のそば)の、知事様にまで立身出世しました。

 

ちなみに、本文には書かれていませんが、この後も、我らが太閤秀吉の朝鮮征伐に、明側の将軍として参加して、加藤清正に勝って大手柄を上げるなど、その権勢は留まるところを知りません。
 

まさに、陰徳で運命に勝利し、因果をねじ曲げた人間です。
余談ですが、寿命まで伸ばしています。
※53歳で死亡の運命が74歳まで伸びてます。
 

今までの陰徳を知らない、無知な主人公ではありません。
変われるのです。
現に主人公は変われました。
陰隲録に出会って(書いたの本人ですが)、主人公は変われたのです。(画像ネタ)

 

通常、こんな運命の変更は、悪魔に魂でも売らないかぎり(どこで売買しているのか不明ですが)出来ない芸当です。
その場合は、大抵、非倫理的な行為や、生贄などの碌でもない代償が必要です。
しかし、そんなことをしなくても、陰徳という善行にて、正道を歩みながら、運命改善することが可能なのです。
 

世に、風水や奇門遁甲など、運命を改善する術は数多有りますが、それらも、陰徳が無ければ、風の前の塵に同じです。
※古書には、良い風水を手に入れても、徳が無いため、無益に終わる話がいくつもあります。

ましてや、死後の世界があると仮定して(無い可能性も充分にありますが)、他の方法よりも、明らかに後世の心配がいりません。
仮に、現世で、陰徳の応報がなくても、間違いなく、極楽浄土(じゃなくても別の天国でもいいですが)に行くことは、間違いありません。
例え、本人が、いやいいですよ遠慮しておきますと言っても、容赦なく拉致されて、強制連行されるでしょう(極楽に)。

そうではないことがあろうか?いや無い(反語)