阪神大震災から学ぶ | 南七郎の一歩・二歩・散歩

南七郎の一歩・二歩・散歩

「努力は人を裏切らない」と駆け抜けてきた半世紀。明日が笑顔でむかえられるように言わせてや。

阪神大震災から15年が過ぎましたね。
あの地震の衝撃は今も忘れることができません。
大阪の南部でも震度3を記録しましたが、突然の揺れの箪笥を必死に押さえたものです。
8時頃の余震は私たちにも恐怖を与えました。
職場についたのは昼過ぎでした。
当時は高層ビルに入っていたので関係の書類が散乱しておりました。

しかし、神戸では。
私が生でその惨状を見たのは1週間後でした。
労働組合としてつながりのある職場に入りました。
街中の建物の損壊、ぶら下がる電線、道路の隆起と想像を超えるものでした。
避難所になっている学校に徹夜で救援物資の受け入れなどを手伝い、翌日は罹災届出証明発行となりました。

「うちも全壊です」押し寄せる住民の方々の顔は忘れるこおとができません。
後日、正式な罹災証明がでるようになるのですが、この届出証明はそのつなぎの役割を果たしたようです。
私たちの自治体も後日正式に応援部隊を派遣することになりました。
しかし、初動時にもっとすることができたのではと、疑問が残りました。
以来、震災時緊急マニュアルを各自治体が作成をすることになったように記憶しております。

あの地震で家族を亡くされた皆さんの無念ははかりしることができません。
また、震災ショックで今も心の中に痛みをもつ方々もおられることでしょう。
震災の記録と記憶を私たちは忘れてはなりません。
そして、地震を人災にしないためにもこれからも様々な措置や対策が求められているでしょう。

わたし事ですが、二男が大学の志望校を神戸大学と決めたようです。
彼も考えるところがあってでしょう。
頑張ってほしいと心から思っております。