もん太@射水市民です。
先日、うっかり新潟県の親鸞学徒
に会いに上越市
に行ってきました。
上越と言えば、NHKの大河ドラマ「天地人 」の舞台ということで、市内のあっちこっちが「天地人ゆかりの地 」ののぼりが立っていて戦国武将マニアに限らず、賑わっておりました。上越市内から見える山が、上杉謙信の居城だったといわれる春日山城 の跡ということで、この忙しいのに行ってきました。
春日山城の本丸と天守閣跡は平日でも観光客だらけ
平日だというのに、多くの観光客がガイドのおっちゃんと一緒にウロウロと歩いていました。皆さん、仕事は?と聞こうと思いましたが、もん太もご多分に漏れずウロウロとニートっぽく写真を撮っていたので、聞くのをやめてみました。今になって思えば、聞く必要もないんですけどね。
でも、オレたち親鸞会 の人間にとっては上越と言ったらアレですよね?
そう!
「親鸞聖人流刑の地」
浄土真宗の開祖である親鸞聖人が法然上人のお弟子であった頃、世に「承元の法難
」と呼ばれる国家権力による宗教弾圧では日本史上最大の事件が起こったわけです。このことで、死刑になるお弟子もあり、法然上人は四国
の土佐に、親鸞聖人は越後に流刑になられたんですね。
そういうことで、上越市は親鸞聖人と非常にご縁の深い土地だったりするわけです。親鸞聖人が上越に上陸された場所が、「居多ケ浜 」という海岸ですね。そんなわけで、高速道路を下りてすぐに居多ケ浜にGo!
近づくと、こんな案内板が……。
「親鸞聖人ゆかりの地」案内板に感動!
よ~っく見ると、親鸞聖人に関わる御旧跡が非常に近い距離にコンパクトにまとまっているんですね。これは、箱入りの射水市民にとってはありがたい!では、直進して居多ケ浜に行ってみたいと思います。
居多ケ浜の周辺になると「天地人」ののぼり旗よりも「親鸞聖人ゆかりの地」という大きなのぼり旗が多くなってきます。これはオドロキでした。
「親鸞聖人ゆかりの地」のぼり旗もあった!
そして、居多ケ浜に到着!
「親鸞聖人御上陸之地」石碑にこみ上げてくる
海の見える丘といった感じで、海岸へと延びる道の入り口に「親鸞聖人御上陸之地」と書かれた石碑が建っています。
そして、さらに海岸沿いの道まで行くと……、
「居多ケ浜」の石碑。聖人もここを歩かれたのだろうか?
といった感じに非常に趣のある書体で書かれた「居多ケ濱」の石碑が建っています。
ちなみに居多ケ浜の石碑のある丘の上は、親鸞聖人が上陸された場所ということで整備されていまして、
御伝鈔のお言葉が刻まれた石碑
「抑また大師聖人、もし流刑に処せられたまわずば、我また配所に赴かんや。もしわれ配所に赴かずんば、何によりてか辺鄙の郡類を化せん。これなお師教の恩致なり。」
と流刑を喜ばれた御伝鈔のお言葉の一部が彫られた石碑が建っています。 流刑にあわれた事を「越後の人々に阿弥陀仏の本願をお伝えせよとの阿弥陀如来のご方便」と微笑まれたお言葉です。
もちろん、権力者の無法な弾圧で、最も尊敬された大恩ある法然上人と生木引き裂く思いで離れ離れにさせられたわけですから、大変、親鸞聖人は天皇や大臣に対して激しいお怒りをぶつけられています。それが有名な教行信証の化身土巻の、
「主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し、怨を結ぶ。これによりて真宗興隆の太祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥しく死罪に坐す。」
のお言葉ですね。
「断じて親鸞、許すことはできませぬ」の大憤懣が、「これなお師教の恩致なり」と、煩悩即菩提、転悪成善と飛躍され、大衆教化の原動力となられたわけですね。このことは「親鸞聖人の歌 」で、
流罪の身をば 方便と
都に散りし 法の花
厳寒深雪の 越後路に
御法の春をぞ 迎いける
と歌われています。
この転悪成善が原動力となって、越後布教がなされ、今の上越の方々の仏縁があるんですね。親鸞聖人のご苦労が偲ばれて、こみ上げてくるものがありました。
さて、居多ケ浜の広場には、
整備された広場には、上陸される聖人のレリーフが
このような案内板と、聖人の御上陸の様子をレリーフにしたものがあります。
案内板の横は、居多ケ浜が一望できる展望台もあります。
広場の展望台からは居多ケ浜を一望できる
今でこそ、観光気分でやってこれますが、聖人はあくまで流罪人。大変、厳しい流刑生活だったに違いありません。
ちなみに、現在の居多ケ浜の様子は……、
昼の居多ケ浜。少しゴミが気になるかな……?
こんな感じ。これは、西側の糸魚川や親不知方面を眺めたものです。親鸞聖人は、あちらから船でやってこられたんですね。この東側には、海の家なんかもあったりして、完全に海水浴場のようになっていました。
夕方になると、
西に沈む夕日から延々と押し寄せる波
こんな感じです。非常に美しい夕日でした。親鸞聖人も同じ夕日を眺められたのでしょうか。西の空に沈む夕日から、押し寄せる波を眺めていますと、
「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり。
我なくも 法は尽きまじ 和歌の浦
あおくさ人の あらんかぎりは」
……の御臨末の御書 が思い出されます。
ここは片男浪ではありませんが、お亡くなりになられてからも上越の地に、寄せかけ寄せかけ戻られてご布教をされているように思われました。
親鸞聖人の時代の上越の人も、平成の今の上越の人も、なぜ生きるのか分からず、苦しんでいる人生に変わりはありません。上越の方に、親鸞聖人の教えをもっと知っていただきたいと思うのでした。
(居多ケ浜-2 )につづく!
P.S.写真をクリックすると、少し大きめの写真を堪能できまっせ!