今日は、娘の兄の命日です。

我が家の、初めての赤ちゃんが

誕生したのは、8月の暑い日でした。

夏の嵐にも負けない大きな木のように丈夫で、

夏の強い太陽から守ってくれる木陰のような

やさしく元気な子どもでほしい。

 これが、両親の願いでした。

しかし、そんな願いも空しく

最愛の息子は、1ヵ月半とゆう短い生涯をとじた。

 乳幼児突然死症候群と医師から告げられました。

当時は、何が何だか現実を受け入れることが出来なかった。

昔から、死んだこの歳を数えるなといわれますが、

やつぱり、今生きていれば高校生だねなどとはなしています。

そんな思いが、娘のこころの中にも自然と生まれたのでしょうか?

娘の生まれる2年前に他界した兄を思って小学校にあがる前ぐらいの時

よくないていました。

 そんな娘も、もう中学二年生

先日、娘がこんなこと話しました。

ともだちから、兄弟いると質問されると何と答えたらよいかわからないと

自分が生まれた時は、すでにお兄ちゃんはお墓の中で会うことが出来ない。

それでも、お兄ちゃんは、お兄ちゃん一人っ子ではないし、

でも、もういないだからずーと何と答えたらいいのかと

悩んでいると話してくれた。

 そんなときは、兄弟はいたけど、私の生まれる前に他界した。

と答えればよいとアドバイスすると納得したようでした。

 どうしても、親の気持ちの中にお兄ちゃんの分もと

娘に、期待をして仕舞いがちになりますが、

娘には娘の人生が待っているのです。

だから、むすめには、やりたい事をやろう。

嘘でなく、こころから本当にやりたい事を!

でも、やりたい事をやるためには、やりたくない事も

やらないといけない事があると教えていますが・・・・

そんな娘ですが、心やさしい娘にそだっていると思う。

 親ばかです。

姿は、みえないけど兄がこころの支えになつていると思う。


そんな、ことを感じた今日でした。