今日のオタキングこと岡田斗司夫メルマガが面白かったので一部引用してみます。
と、その前に【無料】ブログでは書けない「なかだ」公式メルマガというメルマガを不定期で書いています。
メルマガを始めたのは岡田斗司夫さん含めて面白いメルマガが多かったことからが1つの理由でした。
しかし、先週の金曜日を境にあれ程面白かったその他多数のメルマガが面白くなくなってしまったので、今はこの岡田斗司夫メルマガのみの購読をしています。
自我変っちゃいましたね。
Yes,I`m good!と自己満足。
さて、岡田斗司夫メルマガのタイトルは地獄への道を舗装するもう一つのレンガ「正義」というタイトルでした。地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions)という言葉をほんのりと思い出します。
政治の話をするのはイヤだし、特に橋下さんがらみの話はイヤなんですよ。なぜかというと、「正義感の強いバカが絡んでくるから」です。この世の中に「バカな人」はいません。
「バカな言動」があるだけだと思います。
しかし唯一、「正義感」だけが人を恒常的な「バカ言動」に誘います。
性欲や金欲や名誉欲などより、はるかに人を「バカ化」する危険な因子じゃないかなぁ。でも「正義感」がないと、この世の不正は減りませんし、社会が困るのも確かです。
正義感の強いバカが絡んでくるというと認知科学者のダニエル・カーネマン著のファスト&スローの一文(p43)を思い出します。二年前に躓いて以来、最近までこの意味が分かりませんでした。いや、今も正確にはわかっていないのかもしれません。
「君たちのところに患者がやってきて、これまで受けた治療はどれも間違っていた、などと興味をそそる話をすることがあるかもしれない。その患者は、これまで何人もの医者にかかってきたが、どれもだめだったと言い、医者が自分をどう誤解していたかを要領よく説明する。そして、今度の先生を見た瞬間に、これまでとはちがうとわかりました、先生とはフィーリングが合います、先生なら私をわかってくれ、助けてくれるでしょう、などと言う。」そこで教授は一段と声を張り上げて断言した。「そうなったら、その患者を診ようという気さえ起こしてはいけない。そいつを放りだせ。そいつはまずまちがいなくサイコパスだ。サイコパスを助けることはできない。」
おそらく正義感の強いバカの例のようにSystem1(直感)の認知的な錯覚が起きている中、System2(推論)の介入無しにSystem1を鵜呑みにするのは危険だという意味なのではないか?と考えています。
認知の直感的エラーであるということです。
我々になじみ深い言葉でいえば、正義感の強いバカの例やサイコパスのような例の時には、バックやディレイや一歩引け!少し冷静になれ!ということかな?と思います。
そうすれば、重大なミスは防げるかもしれない、と。
「なかだ」の場は宗教や新興宗教(新宗教)、スピリチュアルとは一切関係ありませんが、啓蒙のために新約聖書マタイ7章13節から引用すると、
狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。(すなわち困難であっても多数派に迎合せず、救いにいたる生き方の喩えである。)
ということでしょう。
狭き門と言えば、2013年12月24日の講座のときでしたか?JR渋谷駅とJR池袋駅の周辺で宗教勧誘で狭き門から~と淡々とした口調のトランストークで宗教勧誘をしていたキリスト教を思い出します。
宗教は勧誘は信仰の自由がありますし、まったく構わないのですが、我々は正義感の強いバカにならないためにも、認知エラーによる重大な失敗を防ぐためにも、もっと狭き門から入っていくと良いのではないか?と考えています。
では、もっと狭き門とはどこにあるのでしょうか?
もっと狭き門から入っていくとよいですね。意味が分からない方は何度も読むとよいかもしれません。何十回と読んでやっとわかってきたことですから。
カーネマン教授が助言してくださっているように、
私たちが教えられたのは、たび重なる治療の失敗の話をする患者に強く惹かれるのは、平行線につけられた羽根に気を取られるのと同じで、危険な兆候だということである。
わけですから。
ファスト&スロー (上)/早川書房

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