負けないオンナの底力

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先日、実在した女医の生涯を描いた映画を観ました。

いしゃ先生

 

1910年、

主人公・志田周子(ちかこ)は、
雪深い山形県の無医村で生まれた。

その父・荘次郎には、

一つの願いがありました。

 無医村に医者を・・・

その願いを叶えようと、
周子は東京女子医専

(現東京女子医大)に進学。
 

卒業後、附属病院の医局で

医者修行に励んでいったのです。

その2年後の昭和10年(1935年)。


 3年でいいから

父親の懇願で、

周子は大沢村に帰郷します。
 

そこは
陸の孤島と呼ばれる無医村。

治療を受けたくても受けられず、
命を落とす村民が後を絶ちません。

 

父の母親(周子の祖母)も、

実はその一人だったのです。

それを聞かされていたのでしょうか。

 

周子は覚悟を決めて

無医村での診療を始めたのです。

 


その時、わずか24歳。

医師になって2年目でしたので、
多くの医療知識と診療経験が

必要な時期でした。

 

 自分の手には

 1000人余りの

 村民の命が委ねられている。

 

その責任の重さに

恐ろしさを感じていたのかもしれません。

それでも 

 

 父の願いを叶える! 

 村民の命を守る!

その想いが彼女を突き動かし

支えとなっていったのでしょう。

彼女は覚悟を持って地域に根を生やし、
結婚もせずに

村民の命と共に走り続けました。

人びとは

彼女を称えてこう呼びます。
 

 辺境のナイチンゲールと。

後に保健分野の最高賞ともいわれる

 

「保健文化賞」を受賞。

 

東北初の受賞者となりました。

 

そして1962年、

数々の功績を残して

大沢の地で生涯を閉じました。


1961年。
彼女が去る前の年

「国民皆保険制度」

がスタートしました。
 

 

戦後から十数年。

病気やけがの治療には

高額な治療費がかかり、
治療を受けられずに命を落とす人さえいました。

 

そんな状況でしたので、

国民皆保険制度がスタートしたことで、
貧富の差を問わず、
誰もが質の高い医療を

安心して受けられようになったのです。


それから60年を経た今もなお、
保険制度が機能していて

多くの人がその恩恵を受け取っています。

 

その一方で、
医療の発展ともに

自由診療(自己負担診療)が増えてきて

治療の選択に迷う患者たちも少なくありません。

 


 どちらの治療が私に相応しいのだろうか
 自分にとって最善の治療を受けたい。
 健康な体を取り戻したい。

誰もがそう思いながら、
自分にとって

最善の治療法を見つけていくのだと思います。

 

今はネットで調べれば、

ある程度の医療知識を得られる時代です。
 

自分に合った治療法や

セカンド・オピニオンを探して、
質の高い医療の選択が

可能になりました。

 

その一方で、

医療のビジネス化していき
モラルとハートが欠けた

医療関係者も少なくありません。


現代の医療ビジネスを

否定するつもりは毛頭ありません。
 

ですが、
志田周子先生が切り開いてきた

あの時代を振り返ると、
本来の医療の姿が見え隠れしている

そんなように思えるのです。

 

 医者に命を委ねる患者。

 患者の命と尊厳、

 家族の想いを受け取り、

 最善を尽くす医者。

 

そこには「治療」という枠を超えた、
目に見えない大きな存在があるのかもしれません。

 

 国民皆保険制度
 

豊かになりすぎた今だからこそ

その本質を

見直してみる必要があるのかもしれません。