会話 | 陶芸屋黎明(れいめい)の日記と商品

陶芸屋黎明(れいめい)の日記と商品

日々の作業や日記、商品の紹介、愛犬、JA11ジムニーの事

旅ももう少しで終わりだな

けどもう少し

お付き合いお願いしますニコニコ


これは

宮城県南方仮設で

住民の方と話したこと…


ある一人暮らしのお婆ちゃん

私はね南三陸の戸倉に居たのよ

震災にあって

息子がすぐに一緒に住もうと

言ってくれたのだけどね

息子には息子の家庭があるからね

私は仮設での一人暮らしを決めたの

でね

息子は警察官なんだけど

よく話するの

人の為にいざとなれば

命を賭けなきゃいけない事もあるけど

それでもし死んでしまったら

私も息子の家族も残された者は

どうしたらいいの

だから

人様には後ろ指さされてもいいから

いざというときは

自分の命を守ってね

南三陸町の防災庁舎

遠藤未希さんの話し知ってます?

必死に最後まで防災放送を繰り返して

命を落としてしまった…

新婚だったし

残された家族はたまらないよ

だから

私は逃げてほしかった…


俺もそう思った

けど

その行動で助かった命もある

どちらの命にも家族がある

難しいね


それから

戸倉には

僕たち震災の夏にも行って

それから毎年行ってるんですよ

と伝えた


すると

どうでした?

と問われた


現実のなかに居るはずなのに

非現実過ぎて

とにかく涙が止まりませんでした

そしてごめんなさいと呟いてました

何と言うか

思っちゃいけない事を思ってしまって

あの光景を見たときに

正直、自分の身に起きた事じゃなくて

本当に良かったと思いました。

それとまた反面に

戸倉小学校の回りには

実際は流れて建物の基礎と

ガレキばかりだったけど

家が建ち並んでて

登下校の子供達と

その家々の住民の方達の挨拶が

聞こえてきそうで

間違いなく自分があの小学校に通ってたら

帰りに寄り道して釣りしてますね

なんか

なにもないんだけど

にこやかな想像もできました

と伝えると


お婆ちゃんはにこやかな顔で

そうでしょ~

と答えてくれた


その後

私たちも身に起こったから

こうやって考えたり

辛いと感じたりできたけど

阪神淡路の大震災…

募金したりもしたのよ

だけど

どこかで他人事

あなたが言った様に

自分の身に起きた事じゃなくて良かったと

思いました。

ただ自分が体験すると

やっぱりこうやってあなた達みたいに

心配して来てくれる

人間てありがたいと思います。

私からしたら

あなたも息子の様に思う

だから

来年も会いに来てね



ありがとうと言いたいのは

俺たちの方です

どこの馬の骨かも知らない我々を

待ってくれる

受け入れてくれる

寝るところを与えてくれる

話を聞かせてくれる

聞いてくれる

本当にお婆ちゃんお元気で

来年も会いに行きたいです。

来年も一緒にビール飲みましょうビール



それから

何人かに聞いてみた

俺自身疑問に思う事だから…

それは

もと住んでた所に戻りたいかということ


いつかは戻らなきゃいけないと思います

先祖の墓もあるし

ただ同じところには住みたくない

高い所に住みたいです。



この間、お盆で墓参りに行ったんだけど

あそこに戻ると

あの光景を思い出して

目眩がするし吐き気もしたり

だから今は戻りたくない

この症状なんて言ったかな

Pなんとか…

スンマセン思い出せない

この答えが自分が聞いた中では多かったね

精神的なダメージは

今も強くあるとも思ったし

どこかで

戻るという選択もあり

その間で必死にもがいてる

そう見えたな



それから

俺に死にたい死にたいと

連発したおんちゃん

とにかく生きててくれよ

確かに

地震や津波が色んな事を引き起こした

おんちゃんにも話したんだけど

その地震や津波がなければ

俺は皆に会えてないし

おいちゃんとも会えてない

それに

ここに来て仮設の方と接してると

完全に被災者なんて言葉は感じない

ただ

最初に話したお婆ちゃんの様に

話を聞いてるときに

そうだと思い出す。

おいちゃんや皆さんの

大変さは

正直自分の体験ではないから

俺自身の勝手な

想像でしかない

だから本当というのが解らないけど

来年も愚痴聞くから

とにかく生きてて

来年も会おうよ

おいちゃんも

待ってると言ったんだ

だから

とにかくまた一年生きててくれ





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