昨夜、久しぶりにジムに行きましたら
本日はメッチャ筋肉痛の珠里です
さて、引き続きの幕末です
150年前の今頃、つまり慶応3年4月某日。
島田魁さんが、堀川弾正大忠さんに、10両を貸し付けております
証
一、金拾両也
右正ニ借用仕候、帰京次第早々返済可仕候。以上。
卯 四月
堀川弾正大忠 (花押)
嶋田甲斐様
(霊山歴史館蔵)
これ、ものの本(?)によっては
島田さんが堀川弾正さんに10両借りたと、書かれています。
が、明らかに島田さんが貸してますよねっ
前にもありましたね
その時は、500両。
始めに100両で、あと50両づつ8年分割で。
(その時の記事は こちら☆ )
しかも、まだこのあとも6月にあるわけですが…
島田魁
何者
これ、公費か
どうなんだろう…
でも、500両はともかくとして、10両くらいなら私費
金融業は、勝手な金策には…
利息とらなければならないか
あとひとつ、重要なポイントが、この手紙の名前。
「甲斐」です
「魁」は、ご子孫によれば、「さきがけ」と呼んでいたそうですが
(令孫塩津敦子氏談)
少なくともこの当時は、「かい」と称していたという史料ですね
貸付先の、「堀川弾正」さん。
どういう方かは、よくわかりませんが
(ちょっと調べたのですが、不明。ご存知の方、教えて下さい)
この借用書が残されているという事は
踏み倒した
それとも「帰京」してない
晩年の魁さんは、ちとお金に困っていたとも聞き及びますが
これ、回収できたら良かったのにね
2017年皐月23日 汐海 珠里