Cannes2011report01:Adが外れた2011 | 福田敏也 オフィシャルブログ PEACE! Powered by Ameba

Cannes2011report01:Adが外れた2011

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10日ぶりのご無沙汰です。

東北に社員旅行に行ってたり、
業務がたてこんで
毎日泣きながら企画書を書いていたりで
ブログを書く時間がありませんでした。はは。
いやはや、どうも。

6月末に終了した
今年のカンヌ広告祭、
あ、じゃなくて
カンヌクリエイティブフェスティバル。
約2ヶ月半の時を経て
ようやくじっくりと見渡す時間ができました。

そうなんですよね。
今年のカンヌ。
名前からして変わっちゃったんですよね。
Cannes International Advertising Festivalから
Cannes International Festival of Creativityへ。

カンヌって、
世界で最も権威ある広告祭であると同時に
世界で最もしっかりしたブレーンがついてる広告賞でもある。
と思います。
広告の今、広告産業の今、クリエーターの今、
コミュニケーションの今、伝わるの今、
クライアントニーズの今、、、
アワードの時代価値を高く維持し続けるために
常にそのあり方を自問自答し続け
変化と進化を遂げてきた。
Filmからスタートし、Press&Outdoorができ、Cyberができ、
Mediaができ、Directができ、Titaniumができ、
Radioができ、Promotionができ、Designができ、PRができ、
Film Craftができ、Grandprix for Goodができ、
Creative Effectiveness Lionができ。
それは、ビネネスとしてのカンヌが
顧客を増やしよりたくさん儲けるために
対象となる産業を拡大してきた結果
という側面もある。
でも、同時に、
時代変化とそれにあわせたニーズ変化を
きちんとウォッチ&分析し
アワード価値を高く維持しつづけるための
変化と進化でもあったと思う。

帰するところ、
広告活動が果たすべき役割は
ブランドを好きになる理由をつくることであり
商品を買いたくなる理由をつくること。
メディア環境が多様化し情報環境が変化し
生活者の情報生活が変化した結果見えてきたことは
目的が果たされるなら
そのアプローチは自由であっていい。ということ。
ベタに広告的な活動であろうが、
広告っぽくない活動であろうが、
広告とはとてもみえない活動であろうが。
伝わり、届き、広告投資の目的が果たされるのであれば
それが広告的かどうかは
もはやどうでもいい。

カンヌの名称から「AD」が外れたことの意味は
そこにあるのだと思う。
「いわゆる広告」というタガを取り払い
届くため、伝わるための活動全般を対象とするぞ、
そのための知恵とクリエイティビティを評価するぞ、
って大きな意志表示をした。宣言をした。
カンヌが広告的じゃなくなったのか?というと
まったくそんなことはなく、
逆にカンヌはどんどん広告の本質に向きあおうとしてる。
届くこと、伝わることに
ストイックにこだわろうとしてる。
だからこそ、
Creative Effectiveness Lionを新設し
効果を前提とした領域も
その評価の幅に取り込みはじめた。

そうした流れを見て
「広告効果を語るなんて、カンヌがつまんなくなった」
と非難する声もある。
でも、そうだろうか。
そんなことは全くないはずだ。
どんどん面白いカンヌになっていくことに
さらなる期待を感じてる。
なぜなら、
メディアが多様化することの意味は、
感じ方、伝わり方、届き方の多様性を意味するわけで
それは「クリエイティティブの面白さ」のあり方の多様性を
意味することになると思うから。

僕たちの脳みそはいろんな面白さのあり方に反応する。
左脳的面白さ、右脳的面白さ、左右両方混ざった面白さ。
つぎつぎに生まれるメディアは
それぞれに届き方の違いをもっている。
その届き方の違いをよく考え、自己内整理し、
いろんな面白さのあり方を考えること。
それが大切な時代になっている。

そのことの大切さを
Adを外したカンヌは伝えようとしてる。