「だいたい」と「ディテール」の間 | 福田敏也 オフィシャルブログ PEACE! Powered by Ameba

「だいたい」と「ディテール」の間

「だいたい」と「ディテール」の間。

今年の自分の行動指針的なものをあげるとすると
そんな感じだろうか。

かつてCMプランナーとして
いろんな商品のキャンペーん企画をしていた自分に
とある上司が言った言葉がある。

「だいたいあってればいいのよ、福ちゃん」

そのころの自分は、
青臭さ全開の時代で
どんな仕事にも自分なりのユニークネスを考えるあまり
仕事が表層的ディテールに終始する傾向があった。
ディテールばかりに目がいくと
その積み重ねとしての全体像が見失われ
気がつくと
その最終型は当初意図したものとは
違うものになっていたりする。
こだわりのディテールポイントも
最初は微差であっても、
それが重なるといつの間にか大きな差になってしまうのだ。

上司が僕に伝えたかったことは
そんなディテールばかり見とらんで
もっと全体視をせい!ということ。
もっと肩の力を抜いてクリエイティブにとりくまないと
個人的思い込みの塊にしかならないということ
だったんだと思う。

特に、変化の時代には、この
「だいたいあってればいい」の精神は大切になる。
変化の時代のクリエイティブで重要になるのは
限られた領域でのディテールの詰めよりも
そもそも「どこで戦うのか」を考える視点と思考だからだ。
「だいたい思考」をフルに働かせて
まずどんなクリエイティブにするのかの大きなイメージを固め
その後にディテールに入っていくという順番。
大枠の落としどころと設計図を書いてから
言葉やビジュアルの詰めに入っていく流れ。
それは固定概念から自由になることが重要な作業でもあるから
「だいたい」という言葉に象徴される
いい意味でのゆるさといいかげんさが大切になる。
そこをストイックになりすぎると
しなやかな着地はできにくくなる。

でも、ディテールが重要ではないと言いたいわけではない。
ディテールもものすごく大切。
大きな視点で落としどころをイメージしたら
次は、その落としどころでの最高のアウトプットの形を
徹底的にシミュレーションする必要がある。
いろんな言葉、いろんなビジュアル、いろんな音、いろんな構成。
考えうる様々なディテールのあり方を試し
もっとも効果的な細部のあり方を検証する必要がある。
その精度が低い人は、
正しいけどつまんない
結局、仕組みだけの人と言われてしまう。

大切なのは、
「だいたい」と「ディテール」の
セルフマネージメント。
練習を繰り返して
二つの行き来を自由にできるようになること。
行き来の感じを習得すること。
中村勇吾さんも多摩美特別講義の中で
全体とディテールを行ったり来たりしながら
仕事を組み立てるコトの重要性を語っていた。
2つのビューを自由に操りながら
アウトプットの最終型を組み上げていくこと。

この2010年。
777はいっそう柔軟に
「だいたい」と「ディテール」の間を行き来する。
そいうい会社でありたい
と思うフクダなのでした。