平成22年2月2日 続き 


夕方 主治医からの説明あり


PM5:00~T先生より説明があった。この時は、相棒、相棒のお父ちゃん、相棒のお兄ちゃん、お姉ちゃん(お兄ちゃんの奥さん)、私の5人で話を聞いた。


T先生より『説明書』と言う紙を渡され、私の手術と病気について説明された。


骨盤内のう胞性腫瘍があり、迅速病理診断にて平滑筋肉腫と診断された(診断されるまで、時間がかっかったらしい。午前10:00からの手術開始だったが、手術中に迅速病理診断が出たのは、夕方だったらしい)。骨盤壁、動脈・静脈にも強固な癒着があったとのこと。そのため、他の科の先生方にも急遽来てもらい、尿管や血管のつなぎ合わせや、腸の移動もしてくれたとのこと。残念ながら、希望していた子宮と片方の卵巣の温存は出来なかった。手術もこれで、最後だと言われた。もう、手術は二度とできないらしい。輸血も、4000ℓぐらいしたらしい。。。


最終病理検査結果は、子宮平滑筋肉腫。CT上、多発肺転移が疑われるため、抗がん剤治療を行い、転移巣の消失に期待したいと話があった。


治療方法としては、

① イホスファミド   day 1~5

             ・・・出血膀胱炎になりやすい

   アドリアマイシン  day 1 

             ・・・血管外漏出時に壊死性皮膚炎になる場合がある


② ジェムザール   day 1,8(保険適用がない)

   ドキタキセル    day 8

             ・・・浮腫になる場合がある


現在は、子宮平滑筋肉腫に対し、スタンダードな転移・再発治療は存在しないが②が有望視されている。(←これは、私が聞いた先生のこの時の話でありますので、今は違っていると思います。少しづつ色々とお薬も出てきています。)


③ ホスピスも含む緩和治療もいずれは必要(←これも、この時の先生の話であり、今の私は元気にしています。肉腫の患者さんでも、5年以上も元気にしていられる方もたくさんいます。今、現在も治療をしながらも元気で過ごされている方もいます。この時もそうでしたが、あまり、肉腫と言う病気は知られていなかったり、患者数が少ないので、先生も万が一のことを言ったのだと今は思います。)


と治療方法の話がありました。珍しい病気でもあるし、肺にも転移しているから、早めに次の治療をした方がいいとも言われました。治療をしても効くかどうかは分らない。。。放射線は効かないのかと聞いてみたところ、やったとしても、多数あるから、苦しくなり息がしにくくなるらしい。。。


今現在は、私の病気に対して何も治療方法がないらしく・・・T先生が示してくれた①か②とのこと。②の方が、体の副作用も少なく、確率が高のでお勧めだと話してくれた。


抗がん剤治療②の場合は、3回のサイクル(ジェムザール1日目、8日目にジェムザールとドキタキセル投与で1サイクル)ごとにCT検査をする。CT検査で確認した後、変化がないか小さくなっていれば同じサイクルで続ける。大きくなっていれば、効果なしと判断し、そこで辞める感じになるそうだ。確率は・・・30%らしい。


30%の確率に私は入れるように、頑張るぞぉ~~~力こぶ



肺の転移。これと言った治療法がない。珍しい病気。。。何度も繰り返し、この話を聞いた時に、私はもう生きれないんだ。。。死んじゃうんだ。。。もっともっと生きたい。子供も欲しかったのに・・・。と心の奥の方で思いながら、心の奥では泣きじゃくっていた。家族の前では泣いちゃいけない、泣く姿を見られたくないと思っていたが、この時ばかりは、我慢が出来なく、必死でこらえていた涙もどーっと出てきた。絶対、家族の前では泣かないって決めて頑張っていたのに・・・。泣かないつもりだったから、ハンカチも何も、もっていなく、1冊のノートと鉛筆だけ。


涙が出てきた時に、そーっとお姉ちゃんがポケットティッシュを手渡してくれたのを思い出す。なぜだったか忘れたが私のことを思い、相棒が先生に向かって怒っていたこと、T先生がそれに対し逆切れし、『・・・私は、化学者ですから・・・。』と言っていたことも思いだす。その言葉は、胸の奥にささった。化学者であるから、医師ではなく、治そうとはしてくれないのかと思ってしまったからだ。でも、化学者でもありながらも、医師でもあり、どんな治療法があるのかと先生も色々と調べてくれたり、知り合いの先生にも私が治療できるようにと交渉してくれていたりと、本当は、とっても良い先生だった。あとから気がついたんだけれど・・・。ただただ、先生も、ぶっきらぼうなんだなぁと今では思う。医師でありながら、化学者であることも今では、大事なことなんだと思う。どんなにいい先生がいても、お薬が出来なければ、治らないこともある。化学者として、いろいろと研究しながら、色々な治療法を見つけてくれたり、お薬を作ってくれたりできるのかもしれないと思うからだ。


化学者でありながら医師としても先生は、頑張って下さっていた。その証拠に、AM10:00~開始した手術が、私がベットに戻ってきたのは、夜の10:30過ぎだった。それまで、先生はお昼も夜も食べずに頑張って手術してくれていたのだ。説明の終わりに、喧嘩別れになるのが嫌だったから、『先生、手術中は、お昼食べれたんですか?』と笑いながら聞いてしまったことも思いだす。(その質問は、良かったのかどうかは分らないけれど・・・。必死で考えた質問だったと思う汗。)先生は、『そんな、食べれませんよ!』と笑いながら答えてくれたので、『長い時間、ごはんも食べずに手術してくれて、ありがとうございました。』と感謝の気持ちもお伝えしました。やっぱり、喧嘩別れのような感じは、嫌ですもんねにひひあせる


説明してくれた部屋を出た後、みんなの目はウルウルしていたのも、思いだすなぁ・・・。もちろん、心配させまいとガッツポーズをしながら、『私、大丈夫ですからビックリマークだって、先生は、30%も確立あるって言っていましたから、私、それに入りますよビックリマーク大丈夫ですビックリマーク』って言ったグッド!みんな、ウルウルした目で、『うん。そうだね。』って答えてくれたような気がする。


でも、正直に言うと。。。怖かった。自分がもう長く生きれないんだと思ってしまったから。。。みんなと別れ、病室に一人で戻った時に、カーテン閉めて泣きじゃくっていたのも思いだすなぁ。。。もっともっと生きたかった。もっともっとやりたいことあるのに。。。って思ってすごくすごく悔しかった。子供のことも・・・諦められなくて。。。


それなのに、今の私は、そんなことも忘れて、今生きていることに、生かされていることの感謝の気持ちも忘れかけている気がするし、いっぱいやりたいことあるのにって思っていたことは・・・何もできてないきがする。毎日、残業続きで、考える時間もないからかもしれないけれど、こうして生きて残業できるぐらいの体でいられることは、本当に幸せなことなんだよね。毎日、何も考えないで過ごす時間も、もちろん、幸せなことなんだ。だって、こうして生きられているんだもん。生きていれば、苦しいことも悲しいこともあるかもしれない。だけど、それは、生きている証拠であって、なかなか気がつかないかもしれないが、実は、幸せなことなのかもしれない。


一日一日を、もっと大事にしないといけないですねあせる自分の日記を読み返しながら、ウルウルし、ちょっぴりあの時の気持ちもよみがえり、大事にしないとと思い反省しました。


ぷ~。ちゃんと生きろよ!!ちゃんと、大事に生きろよ!!相棒も大事にしなよ!!


と、今の私に、昔のあたしが言っていそうです。。。にひひ汗