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しばらく使ってませんでした。あまりマメではないんですねorz
先日30歳になりました。
音楽業界に入ったばかりの十代の頃は子供扱いしかされず、はやく三十代になりたいとずっと思っていましたが、考えてみたらその頃の方が今より大人でした。歳を重ねるごとに中身はどんどん幼くなってゆく気がしているのですが気のせいでしょうか。。。
20代前半はがむしゃらに様々な音楽を広く作っていました。
20代後半になり、それまで出来なかったことをやりました。
小さい頃からずっと感覚だけで音に触れてきたので
改めて言葉としての音楽理論を学んだり、
もともと印象派的な考えで音楽を作っていたので
メロディーワーク、コードワーク、展開などの楽曲においての骨組みを根本的に見直しました。
色々やっている中で感じたことがあります。
音楽というのは基本的に人間の本能に従って成り立っているわけですが、
こうしたら誰もが心地良いだとか不快だというような、本能的な感覚を基準にしている分、ある種お決まりのパターンがたくさんあるわけですね。
だから演奏していると、無意識ながらにその感覚を満たす方向へ向かいます。
演奏する時も、呼吸をするように、流れを感じながら音を出してゆく。
人間的というのでしょうか。20代前半のある時、それに飽きたんです。
クラシックやジャズを通してずっと無意識に大切にしてきた、音楽においての感情というものを出すことが嫌になったんですね。
それ以降、演奏は出来る限り無機質で感情が見えないように、それまでの自分では弾いていても喜びを感じないようなものを中心に演奏してきました。
曲作りにおいても、感情的な部分をひたすら隠して作っていました。
それまでの感覚からしてみると音楽的ではないし、心地良くもないですよね。
もちろん演奏していて全く喜びを感じないのですが、それが心地良かったのです。
ずっと浸かっていた人間的な表現にそれほど飽きていたからです。
なので可能な限り無機質な音楽の良さを追求していました。
20代後半は、自分の中である種そんな異次元においての実験をやってました。
ミュージシャンやリスナーからは感情がないだの何だのと散々言われましたが、まぁそれは当然ですねw
しかしこの先長い音楽人生の中で、意識しない限り決して行かない方向にあえて行くということも僕にはとても大切なことでした。感情のまま演奏することはいつでも自由にできます。
誰の得にもならなさそうなそんな挑戦をやっていて感じたのは、人間らしさというものの大切さです。
もともと頭ではわかっていた当然の結論なんですが、実際に身をおいてやってみないと、人間的・非人間的のそれぞれの長所、短所は感覚的にわからないものです。
元々はすごく感情的な音を好んで出すタイプなので、多分寂しくなってきたんですね。
そろそろ感情を制限せず、本来の自分が感覚的に良いと思える次元に戻ろうと思います。
まるで何年もずっと笑わず、無表情を貫いてきたような気分です。
最近は2ndアルバムを作っています。
現在6thシングル(歌もの)が完成し、マスタリングをして頂いている最中です。
前回のマスタリングエンジニアであるイギリス人の方が亡くなってしまい、
今回はまた新たにドイツのスタジオでのマスタリングということなのですが、どんな仕上がりになるのか今から非常に楽しみです。