男女に関わりなく、みんなが生きやすい世の中になってほしいと本気で思う。社会的な視点というよりは、男の子と女の子の親としてそう思う。そのために何ができるか。

 

夫の未熟な家事への嫌みを言わない(上手なコーチングならいいが)ようにした社会と、正論なんだから嫌みの一つくらい言ってもいいでしょという社会と、どちらが、男女に関わりなくみんなが生きやすい世の中になるか。前者だろう。「正論を言って何が悪い」と、目下自分の溜飲を下げることを優先するために、結局自分にも不満がたまる状況を継続させてしまうのであれば賢くない。

 

妻から嫌みを言われたからもうやらないとすねてしまう夫が多い社会と、妻から嫌みを言われてもくじけない夫が多い社会と、どちらが、男女に関わりなくみんなが生きやすい世の中になるか。後者だろう。嫌みを言われて傷つくのは人の感情としてしょうがない。しかし、だからといってそこで止まってしまっては、自分自身が成長できない。妻には不満がたまる。妻に不満がたまれば、自分にも不満がたまる。それは賢くない。

 

過去と他人は変えられない。しかし未来と社会を変えることはできる。過去と他人に対しては「自分」は影響を与えることができないが、未来と社会に関しては「自分」はその一部であり「自分」が変われば全体にも影響をおよぼすことができるから。

 

いつまでも「他人」に変わってもらうことを期待している社会は変わらない。でも、個々の「自分」が変わろうとすれば社会も変わる。一人でも多くの人が、「他人」を変えることに向けているエネルギーを「自分」を変えることに向ければ、社会の変化は加速する。

 

「産後クライシス」にしても「家事ハラ」にしても、それ以外のことにしても、他人を変えることばかりに意識を向けていて、自分が成長する機会を逸している人が多いように感じる。