前回(前々回?)のブログに続いて、峯岸みなみの今回の件について。

髪を丸めたことについて、コメントをいただいたけれども、
前回自分が書いたのは、あくまで「研究生降格」についてのみ。

そこは勘違いしないでほしい。

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自分は、混乱を避けるため、今回の件は下記の3つに分けて考えるべきだと思う。

(1)運営が「研究生降格」処分とした件

(2)峯岸みなみが自ら坊主にした件

(3)運営が謝罪動画を撮影し、公式サイトにアップした件。


というわで、先日は(1)について書いたけど、
簡単に結論を言えば、自分はかねてから

「法律を破ったわけではないのだから、
 恋愛ごとでの処分は最大でも謹慎・降格でいいのではないか」


と考えている。
残念ながら、クビ(活動辞退)となると、
その後はまるで犯罪者のような評価を受けてしまう傾向があるからね。

だから、今回の処分は(自分から見れば)、一番いい結果かなと思っている。

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ところで、(2)、(3)について書く前に、
このブログの読者の方に、ぜひ読んでほしいブログがある。

おそらく、AKB48や48グループのことをあまり知らない方が、
今回の件について意見を述べたブログだ。

●Matimulog 2013/01/31
「見損なったAKB48」
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2013/01/akb48-d9ad.html


(一部引用)
 ・・・それはともかく、このビデオで見られることは
 セクハラ、パワハラ、いじめ、リンチ、そして体罰と呼ぶべき行為だ。

 例えてみれば、小学生とか中学生とかが、
 仲間内で気に入らない逸脱行動(仲間内のルール違反も含む)をしたメンバーに対して、
 制裁だといって性的に屈辱的な格好をさせて謝らさせ、
 それをビデオにとってネットにアップするという、
 いわゆるサイバーブーリングと全く同じである。


これまで、どうして多くの人が今回の件を
「いじめ」や「体罰」と同等に語るのか、わからなかった。

でも、この人のブログを見てわかった。

たぶん、AKBのことを知らない一般の人から見たら、
寄ってたかって、「責任を取れ」と迫り、

「頭を丸めるなり、何か責任を示せ!
そしてカメラの前で懺悔して、その動画を投稿サイトにアップしろ!
そうしたら、AKBに残ることは許してやる!


と言った…という印象なのだろう。

たしかに、それなら「いじめ」だし、「体罰同然」だ。

たぶん、この人はyou tubeに投稿したといっても、
実際には「AKB公式サイト」であることは知らないだろう。
完全に個人の投稿サイトにアップしたと思っているだろう。

この人は、過去に平嶋夏海や増田有華が握手会で何千・何万人を前に謝罪したことも、
指原莉乃がラジオの生放送で謝罪してHKT48への移籍を告げられたことも、知らないだろう。

48グループでは、嬉しいことも悲しいこともすべてファンがドキュメントで共有されて、
それが共感を呼んでいることを知らないだろう。

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ただ、誤解しないでほしい。
この人を責めているのではない。

この人を糾弾するために、紹介したわけではない。

AKB48が国民的アイドルとなった以上、こういう人がたくさん、
彼女の謝罪動画を見ることになる。

このブログの筆者と同様の印象を持った人も、きっと多いだろう。
残念だけど、AKBのことを知らないんだから。
知らないまま、動画をみてそう思ってしまったんだから。

しょうがない。残念だけど、しょうがない。

今回の件は、そこまで十分に認識せずに、また、どう思われるかまでは意識が回らずに、
この動画を上げてしまった運営側の失策であると、やはり言わざるを得ない。

「配慮が足りなかった」のは事実だろう。

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とはいうものの、やはり、こういうブログは残念だ。

本当は、こういう人にこそ、
現在公開中のドキュメンタリー映画を見て欲しい。

心から願う。本当に、切に願う。

映画の代金は自分が出してもいい(結構本気で言ってます 笑)

だから、ぜひ見てほしいと思う。

彼女たちの必死に生きる姿も、恋愛禁止との狭間で悩む姿も、
泣きながら謝罪する姿も、見てほしい。

見た結果として、
この動画が「不適切」という結論は変わらないかもしれないけど、
少なくとも、印象は全く変わるはずだ。

少なくとも、戸賀崎氏の男泣きをみたら、少なくとも、今回の件が

「いじめ」

の部類ではないということは、わかってもらえるはず。


そう思う。