THE NIWAKA の甘棠館show劇場での公演が先日
千穐楽を迎えました。
カーテンコールでも喋りましたが、博多仁和加振興会の皆様、博多町人文化連盟、博多21の会の皆様はじめ「博多の先輩」に感謝です。
博多どんたくに劇団で参加させて頂き!
東雲堂さんのご厚意で「にわかせんぺい」とコラボさせて頂いたり
ユメニティのおがた公演や、更に地域での公演のお話しも頂き感謝、感謝です。(^ ^)
役者としては生田徳兵衛さんを演じ、段物にわか「電話室」に出演しました。
この作品はどうしても出たかった作品です。
演出の僕が出演するより、他にもいい役者はうちにはいるし、沢山の苦労はわかっていたけど、どうしても出たかったし、「座長」と呼ばれている以上、その気持ちから逃げたくありませんでした。
「電話室」という脚本には役者としての僕のあこがれがいっぱいありました。
「電話室」には、沢山の笑いという金脈が隠れていました。
20代、テアトルハカタに所属して頃、佐賀にわかの筑紫美主子先生の舞台と劇団がコラボしたことがありました。そのご縁でテアトルハカタの劇場で正月公演をやって頂いたことがあり、その時、僕はテアトルハカタ側の担当でした。
30代の頃、ローカルタレントとしてテレビに出ていたご縁で筑紫美寿子先生の記念公演に東京ゲストが常田富士男さんでローカルゲストが僕という経験をさせて頂いたことがありました。
また、肥後にわか出身のばってん荒川先生にはことあるごとに、「知っている若手」という態度をとって頂き、その現場がどれだけ僕にとって楽になったか、緊張がほぐれたか。
本当に感謝しております。
そして、今回、劇団の作家の生田晃ニが博多にわか最後の名人と言われた「生田徳兵衛」の末裔だったことがきっかけで作品創りがはじまりました。
また、徳兵衛さんは劇団が拠点を置き、甘棠館がある唐人町に晩年は住んでいたそうです。
実はまだまだ書き足らないご縁があり、それより何より僕がやりたかった「ショーマンシップ溢れる芝居創り」が「にわか」や「大衆演劇」の中にあり、あの頃観ていた筑紫美寿子先生やばってん荒川先生の芸に対する憧れを具現化できるシーンが「電話室」にはいっぱいありました。
もちろん、今を生きる我々の創りになってますが、先人たちもその時代を生きる創りをしていたはずです。
ショーマンシップは2年後に25周年を迎えますが、今回はそれを意識した公演になりました。
25周年の客席に、これを読んでいるあなたがいてくれますように。(^ ^)