独自性は行動の後付けだったりする(苦笑) | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

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先日、お邪魔した露天風呂でも、ついついどうしてもやってみたくなって、撮って

もらったアホ画像です(苦笑)。


露天風呂でチ◯チ◯丸出しの素っ裸でいるのは全くもって普通ですし、

真冬にムートンの革ジャンを着用しているのも全くもって普通なわけです。


ところが、露天風呂に革ジャンを着用しているだけで、異常であったり奇抜であったり、

「こいつは普通じゃない」と評されることとなります(笑)。


私は、個性とか独自性というのは、わざわざ探すものではなくて、実は、人には誰にでも

必ずあると思っていますが、他人からは、強烈に認識されるほどに目立つには、

一定の基準以上のものを存在させるのが、最も簡単で、それは、大きく分類すると、

①そこにないはずのもの、必要のないものが、いきなりそこにある。

②そこにあるのが必要なもの、あるいはあって普通だけれど、必要以上にあり過ぎる。

の二つになると思っています。


画像の露天風呂アホ画像は①に分類されるでしょうし、

私のアホ事務所は②に分類されることになります(笑)。

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ただ、私はこの二つの分類に則して意図的に何かやろうとしているかというと、

そういうわけじゃなくて(笑)、ただやりたいからやったり、面白そうだからやったり

していた結果、人から言われたり、後から体系的に纏めた本や誰かの話を聞いて、

後付けで論理立てているだけです(笑)。


論理に基づいて意図的にやろうとすると、私の場合は限界があります。

①も②も、一定期間以上の継続や、俗に言うコツコツ少しづつやりながら徐々に制度を

上げていく性質は付きまとうわけで、それは、好きでもないことを論理に基づいてやり

続けるのに限界があるということです。

好きでもないことは継続はできません。

だから、私には無理があるとなります(苦笑)。


加えて、最初は他人から新しく思えて独自的だと認識されても、それをやる人が

増えてきて一定数を越えると、それはいつしか普通となりますから、いつもいつも

他人や他社を見ては自分の独自性を考えるなんてのは面倒臭いし、そもそもそんなこと

考えてる時点で独自的じゃねーだろ?と思うし(笑)、そんなことで時間を使いたく

ない(苦笑)。


どんなに論理を知っていても、実際に行動しなければ認識されないのだから、

行動してみたことで他人からどう見られたかをヒントに、論理づけした方が早いんじゃ

ねーか?と思うわけです。


一つ一つの欠片は普通の好き程度です。普通と普通が組み合わさったり、掛け算に

なったりして、後から考えてみたら異常値と認識されていた、というだけのことです。


露天風呂では丸裸は普通。冬の季節に革ジャンは普通。勉強机の上にオモチャがあるのは

普通。自分のプライベートの部屋に趣味のモノがあるのは普通。

一つ一つは大して当たり前で普通のことを、一度にやってしまったり、結果として

組み合わさったりしたら異常と目されているだけなんですね(笑)。


論理に基づいて行動するのか、行動してみたことを論理づけてみるのか、ビジネスに

おいては、行ったり来たりしながら進めていくのでしょうが、こと独自性や、圧倒的な

個性ということに関しては、自分では普通だと自覚していることでも、他人から白い目で

見られたり(苦笑)、変だ、と言われたりすることに大きなヒントがあるのだと思って

います。



よって私は、『飽和時代のビジネスは「好き」と「好き」で突き抜けろ』と言うの

だと思います。


と、いうことを、露天風呂アホ画像をネタにブログを書きたくて仕方なかったので、

後付けしてみたわけです(笑)。



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