継続がなぜできないのか?と、その打開法を考えてみる | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。




今よりもより良くなることを前提に、何かしらやることを決めたとします。


やることとは、例えば、本を読んだり、セミナーを受けて、「あぁ、なるほど。」と

思ったこと・・・・、毎日ブログを書くとか、マラソンをするとか、

毎日一枚は手描きPOPを描くとか、大きなコストをかけずに、やろうと思えば

すぐにでもできることだったりします。


それらは、やり始めてから、一定期間継続してこそ成果が表れてくるということは、

多くの人が知ってはいるけど、実際にはそれがなかなかできません。


三日坊主とはよく言ったもので、一日二日程度なら、「ちょっといいな。」と思えた

新しい行動を起こしてみる、というのは十分可能だけれど、その行動を継続して

自分の生活の中で日常化してしまうするとなると、これがなかなかできないのです。



新たな行動を起こすというのは、どんな簡単そうでも、その行動の為の時間が必要に

なります。


その時間を創るということは、単純にそれまでの自分の生活パターンの中から、

何かの時間を削らなければならないということです。


「なかなかできない。」というのは、この「今の自分の何かの時間を削る」ことが

なかなかできないのが大きな要因だと思っています。

人間(動物)は基本的に変化を嫌いますからね。



何かを増やすということは、何かを削るということと同義です。


暇であれ、忙しくあれ、誰もがそれなりに一日の生活のリズムやパターンを

持っています。


起きて、何かしらの行動をして、寝る。

誰もの基本は、この繰り返しです。

起きている間の「何かしらの行動」というのは、何かを意図していようとしていまいと、

その人は動いています。


そうすると、新しい行動をその中に入れ込むということは、大きく、

①睡眠時間を削って新しい行動を増やす

②現状の起きている間の行動の何かを削って、その時間に新しい行動を入れる

③「①と②」をちょっとずつ合算

ということが一般的ではないかと思います。


この一般論をAパターンとしましょう。


傍から見ていて、どんなに無意味だと思えること、例えば、取りあえずテレビを

無造作に見ている時間とか、マンガを読んでいる時間とか、酒を飲んで騒いでいる時間とか、

ボッケーとパソコンを見ている時間とか、そういうのがあったとしても、

その本人にとっては、それが生活していく上での心地よい基本パターンになっているの

ですから、それを崩したり、何かを削除するというのは、多かれ少なかれストレスが

かかったり、気持ち悪さがあって、それに耐えきれないから元の生活に戻って、

新しく始めた行動を継続できない、ということになります。





私は子供のころ、プロレスが大好きで金曜と土曜の夜8時は、とにかく楽しみで

しかたない時間でした。


傍から見ていれば(正確に言えば親(笑))、そんなもんは勉強の役にも何の役にも

立たない、むしろ、見ない方が健全だとすら思える(笑)わけで、

その時間を勉強や読書の時間に当てれば良いとどんなに思っていてことか、親の気持ちは

安易に想像ができます(笑)。


時々、あまりに成績が悪くて、タイミング悪くその話になった時は、罰として

プロレスの時間にわざわざ勉強させられるという地獄のような時間を課せられた

ことがあって、

(忘れもしない、小学校4年生当時の「ジャイアント馬場vs大木金太郎」戦の放送日

(苦笑)。)

その心残りと恨みはいまだ消えていません(笑)。



プロレスを観ている、あるいは絵を描いている、あるいは遊んでいる時間を、

勉強の時間に当てれば、成績が良くなることは頭では知ってはいますが、

じゃあ行動を変えられるか?その行動を継続できるか?

と言えばそんなことはなくて、その後の生活でプロレスを観るのはやめて

勉強するか?と言われれば、当然やらないわけです(笑)。



こういうことです(笑)。


大人になってからも、ビジネスの現場に立ってからも、「やった方がいいこと」

「やらなければならないこと」が頭では分かっていたとしても、それを継続できない

というのは、それまでの自身の欲求や煩悩を変えられない、

あるいは「それまでの行動の何かを削るに至るほど、新たな行動し続けられるか?」と

言えば行動を変えられないのです。



そうなると、新しい行動を継続する時は、それまでの行動の何かを削る。

すなわち、先に決めておくべきは、「削る行動は何か?」となります。



一般論としてはこうなりますね・・・・・・・・。




ただ、私の場合は子供の頃の「プロレステレビ観戦禁止事件」が強く残っているので、

この一般論がどうしても気に入らない(笑)。

そもそも一方的に規制されたり、制御されたりすることが、とてもとてもイヤで

イヤでイヤでイヤでしかたない性分なのです(苦笑)。


そうなると、いかに、それまでの生活パターンをいかに変えずして、新たな行動も

継続し続けることができるか?という方法を模索せざるをえない訳でです(笑)。


ここからがBパターンです。


「やらねばならない」ことと「やりたいこと」「できること」をいかに

組み合わせて成立させてしまうか?ということになります。


プロレスとビジネス観、旅行と仕事、恋愛と顧客関係性、映画とビジネスシナリオ、

落描きイラストと販促物・・・・、

どの「やりたい行動」も、もう片方の「やらねばならない行動」と関連づけ、

置き換え、編集して、一つの行動をしながらにして別の行動も同時進行させるという、

遊びなのか、仕事なのか、プライベートなのか、何が何だか分からないという

方法です(笑)。


まぁ、これらを総称して私は「編集力」と呼んでいますが。


私が、この人スゲーなぁと思う人の共通点は、この思考法がとても卓越しているように

見えるんですね。

本人が意図しているかどうかは別として、私からはそう見える(苦笑)。


毎日ブログを書いたり、定期的に魅力的な販促物などの情報発信を継続している人の、

共通点はこの思考法が本当に長けていると思うのです。


まるで遊んでいるようなんだけど、ちゃんと仕事をしていたり、

利益は出さねばならないんだけど、楽しいことをしていたり、

そういう人は、「仕事は楽しまなくっちゃダメだよ。」とか、「会議は楽しくしよう。」とか

「やる時はやらないとダメだよ。」とか言うけど、そういう断片的な言葉だけを

真に受けることができないんですね(笑)。


じっくりじっくり、細かいとこまで根ほり葉ほり聞きまくるとか、一定時間一緒にいないと

正体が見えない(苦笑)。


ただ、そういう人達との時間を通して思うのは、そういう人達は、私から見て

総じて魅力的な人達で、素敵に人生を送っていると思えるんですね。


まぁ、これはこれでリスクもあって、

①客観的に「それでいい。」と他人に認めてもらうには、一定の実績を出していること

②仕事の時も、プライベートも、遊びの時も、いつも何かを考え続けているのが

 好きか嫌いか

ということがあったりします(苦笑)。


実績を出している人の「楽しそうにしている」という表層や、断片情報だけをとらえて、

自分もそうなりたい、自分も楽しいことだむやってりゃいいんだ、と思うはいいけど、

肝心の実績が追い付かなくて苦しんでいる人は多いものです。


楽しそうだけど実績をちゃんと上げている人というのは、よく見ているとやっぱり、

すげー考えて、すげー行動して、ある局面で異常とも思える集中力で何かやって

ますからね・・・・・・・。


子供の頃の私が、どんなにプロレスを観ていても、学校の成績が良かったら、

こと学業に関しては、「プロレス観てるから成績がいいんだもん。」というのは

通せたはずと思うのです(笑)。




誰でも、ここでいうそうでありたいとは思うだろうけど、要するに属人的な能力になるので、

すぐ誰にでもできるかと言うと、そうでもない。

やっぱり最初は形から入って、時間をかけながら徐々に自分のものにしていくと

いうことになる。



そうなると、あぁ、こういう人になりたいなぁ、と思える人の日常の行動パターンを

徹底的に真似てみる、ということから入っていくことになるでしょうね。

よくいうモデリングっていうのはこういうことですね。



ただ、これをやると、やっぱりAパターンの方法をとるということになるんですね(笑)。

「今までにはない新しい行動」から入るのだから、「今までの行動の何を削るか?」に

なる(笑)。



私の今のところの結論としては、

その人が欲しい実績が得られるまでは、実績を出している人の行動をマネしてみる。

要は、Aパターンで入るのだから、先に「削る行動は何か?」から入り、

一定期間継続し実績を付けながら、やっているうちにいかにBパターンになっていけるか?

ということのなります。


Aから入って、Bに行く、次のステージに行くためには、またAから入って、

Bに行く。

自分のステージによって、この繰り返しがいいと思うのです。



こう考えると、なりたい理想の人や、憧れの人がいるというのは、それだけで有効ですね。

強烈な「憧れ」や「ビジョン」を持つというのは、そうなる為のリスクを勝手に

越えて変化していきますからね。



こういうのを「守・破・離」とかって言う人は一言で言うんでしょうね(笑)。

私はアホだからこうして自分で書きながら、自分で纏めていかないと分かりません(笑)。




とかなんとか言いつつ、今日も、何とかいかにグダグダで進み続ける

ことができんかなぁと模索し続ける訳です(笑)。





        継続の原点は、強烈な「憧れ」となるのか?

        応援クリックお願いします~。

        ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓



        買取王国・坪井副社長の販促実験日記「それって誰が嬉しいの?」