「理」と「情」の狭間で悩むのは当たり前 | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

photo:01



経営者だって、トップだって、リーダーだって、人間なのだから、ビジネスに

おける「理」と「情」の間に悩むのは当たり前なのだと思います。


私がここでいう「理」というのは、例えば、利益を上げるなら社員の人件費は

低い方が良い、今の時代の自社の生産性に合わなくなった社員はドライに降格

したり、切った方が良いといった論理的な発想です。


反対に「情」というのは、共に働いてくれている社員の条件や年収は少しでも

よくしてあげたい、今は生産性がなくとも長年一緒に働いてくれて貢献して

くれた古株の人達の気持ちや生活を考えると、人として、そんな無下なこと

はしたくない、というような感情です。



業績がいい時はいいのですが、会社の歴史が長くなったり、成長してステージが

変わっていく時、時代に応じて業種・業態を変化させていく時や、あるいは、

業績が苦しくなって、どうにもならなくなってきた時に、多かれ少なかれ、

判断を迫られる時はあります。


「理」を優先すれば、こと業績に対しては一旦の解決はできますが、反対で

「情」が引っ張ります。


「理」だけで突き進めば、そりゃ優秀な経営者になるのでしょうが、「情」で

悩まない人が、人の気持ちを思いやれて人がついて行くような魅力的なリーダーか?

となると、そうではないところでしょう。


どんなに実力主義の世の中になってきたとはいえ、中小零細企業の多くは、

今までの通りのキャリアアップに基づく評価と、それではコストが回収できない

ことが目に見えている狭間で、これからどうしていこうか?という悩みを持って

いるのが通常だと思うのです。


「今までは、年功序列で終身雇用が通常でそのつもりで働いてもらっていた

んだけど、今の時代はそうじゃないんだから、はい、今日からは実力主義ね。

あなたの実力はこの程度だから、こういう評価をするから、あとはあんたが

自分で考えて。」

とはなかなか割り切れなくて当然です。


働いている側にしてみれば、今までは、

「いちいち考えるな。つべこべ言わずに言われたことだけやってろ。その変

わり、定年までは面倒みますよ。」

と言われてきたのを信じて我慢することも我慢してやってきたのに、ある日突然

「これからは、自分で考えて、行動して、結果もちゃんと出せる人が必要な

んだから、君は何ができるんですか?できる分しか報酬が得られなのいは当然

でしょ?」

なんて言われたら、

「今までは考えるな、と言っておいて、突然これからは考えろなんて、

そんなのヒドイ!あんた嘘つきだ!」

ってな感情になりかねない(苦笑)。


リーダー側にしてみれば、まだ会社が小さいうちから一緒にやってきた仲間

というのは、関係が深くて当然で、プライベートや個人事情までよく知って

いるから、余計に悩んで当然。


そのなような感情が、相手の立場に立ってみれば分かるから、だから悩んで

当然、まともな人間だったら当然だ、ということです。


誰だって、なんだかんだ言っても、いい人でいたいのです。

人との関わりよりも、会社の利益の方を優先する社長なんだ、なんて思われ

たくない。恩のある社員さん達を会社の利益の為に切った人だ、なんて思われ

たくないし、思いたくないのです。


それが人間だと思うし、人間らしさだと思うのです。



その迷いや悩みに対して、一旦の「意思決定」をして「責任」を負える人が、

トップだったりリーダーと言われる立場なのだと思います。


私が今、行けるとこまでは一人でやっていこうと決めているのは、そういう

苦しみや、良心の呵責を背負いたくないという経験があったからなのだと思

います。



でも、苦しんだ分、解決法がなかったかと言えば、傘屋の3代目当時に大きな

ヒントは頂けたことはあります。


ある尊敬していて師事していた経営者の先輩に、

「坪井、今の社員さんを幸せにできるのは、お前だけじゃないかも知れんぞ。

そう考えたことはあるか?仮に辞めてもらうとして、全力で、その社員さん

に合う会社を見つけて紹介する努力はしたのか?そういう姿が伝わるんじゃ

ないか?」

と言われて、それは当時の私にとっては、目からウロコが落ちる状態で、

その後の動きに大きなヒントになりました。



逆に、関わる社員側の方々への基本姿勢は、今の社会や会社の方向性や方針に

基づいて、どんなに優秀とされていようと、それはいつか前提が変わる、この

十数年の日本を見ていればそれは明白で、だからこそ最も大事なのは、どんな

時代になっても、今の会社がどうなっても、一生働いていけるだけの実力を

身につけることである、ということを念頭に置いています。


今のところ、恐らくそれは間違っていないのだと思っています。



悩んで当然のことは、悩んでいいと思うのです。

疲れたら休めばいいと思うのです。


物事には、悩んでどうする?という側面もあれば、悩むのは人間なら当然だ、

という側面もあるのです。


だったら、私は今の自分をクソ思いっきり肯定しておいた方がいいと能天気に

思うのです(笑)。


そして、その悩みこそは、正解などまるで見当たらない時代において、自分の

軸を作り、同様に悩む人への役立つかけがえのないヒントが隠されていると

思っています。






悩んでも、悩まなくても、それは正しい。
応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

買取王国・坪井副社長の販促実験日記「それって誰が嬉しいの?」




iPhoneからの投稿