遠き日の想い出は今も生き続ける | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

GWの中日を狙って、関西方面での予定を一気に、こなそうと、


強行しています。



私は、(株)ワールド時代の後半は神戸本社に勤めていていました。


営業担当地区が九州だったので、一度出張に出ると長い時は、


2週間出っ放しで、ほとんど神戸にはいませんでしたが、それでも


たまの休みは、三ノ宮高架下の個性的な古着屋さんを巡っては、


楽しんでいました。


坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」



その中の一つに、当時とてもお世話になった


「ピアノマンアンティックス」という、ヴィンテージ古着や雑貨、時計などを


扱うショップがありました。


同じアメリカ古着や雑貨でも、独特のセレクトをしていて、間口の狭い小さな店舗には


所狭しと珍しい服や雑貨が並んでいて、いつも宝探しさながらの秘密基地のような


感覚でした。


社長の青沼さんという方が、これまたとても気さくで独特のキャラクターを持っていて、


いつも楽しませてくれたり、欲しいレアな古着をわざわざ探してくれたりで、


すっかりファンになっていたお気に入りのお店でした。



退社して、名古屋の実家に戻ってからも、時々連絡を取っていましたが、


間もなく、阪神淡路大震災があって、三ノ宮の街は壊滅的な被害を受けました。


もう、18年も経つんですね・・・・・・・。



とても心配でしたが、ご無事なことを知り安心した記憶があります。


ただ、三ノ宮の地では商売にならないとのことで、大阪へ店舗を引っ越すとだけ


聞きました。



それ以来、連絡は途絶え、時々フと思い出しては、お元気にやってるのかなぁと


思い出したりしながら、忙しさにかまけて今日に至っていました。



私は、最近になって、大阪心斎橋には、エクスマセミナーの関係で、受講したり


講演をしたりと、頻繁に通うようになっていましたが、やっぱり忙しさにかまけて


忘れていました・・・・・・。



今回、関西方面に入るに当たり、せっかくフリーの時間が取れそうなので、


行ってみたい場所を考えている間に、「ピアノマンアンティックス」の名前が、


フと、浮かびました。



ネットで調べてみると、大阪の店舗がまだあり、そしてなんとそこは、


私が通っていたセミナー会場のすぐ近くでした(笑)。


灯台下暗しとはこのことと、探しに行ってきました。



経営が変わっているかも知れないし、お店のスタッフもきっともう知らない人が


やっているんだろう・・・・・、時流も変わっているし、扱っている商品も様変わりして


るんだろうな・・・・・・。



そんなことを予測しながら、店に入ったのですが・・・・・・、



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入って、驚いたのは、まるで当時にタイムスリップしたかのように、店内の雰囲気が


変わっていなかったことでした。


無論、当時のようなヴィンテージブームまっただ中のような古着はもうありませんが、


あのアメリカ製のの古いオモチャ箱をひっくり返したような、感覚はそのままでした。


(あれ以来、ずっと、やってたんだ・・・・・。あのままで、ずっと頑張ってたんだ・・・・。)




一人、感傷に慕っていると、レジの中に一人の男性がいました。


「あの~、すいません・・・・・。」


声をかけると、その男性は振り返りました。



少し老け顔になって、痩せたけれど、その男性は、当時のスタッフの一人だった


広瀬さんだということは、すぐに分かりました。


「あの・・・・、すいません、お忘れかとは思いますが・・・・、以前お世話になった


名古屋の坪井といいますが・・・・・、」


歯切れ悪く語尾が「・・・・・」になっていたら(苦笑)、


「あ、・・・・・・、坪井さん、・・・・・・・、坪井さんですよねぇ、覚えています・・・・。


あ、・・・・・いや、まだ、Aー2とか着てらっしゃるんですね・・・・・・、当時から、


お好きで、よく買って頂きましたよね・・・・・・・。」


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少しシャイで、少しハスキーな声で、対応してくれた広瀬さんは、


当時のあのままの広瀬さんでした。



もう20年以上も会っていない、たった一人のお客だった私を


憶えてくれていたことに、とても感激するやら、久しぶりどころではない


再会に涙が出そうになるやらで、あの時からのことをお話ししました。



「お互い、年取りましたね・・・・(苦笑)。


でも、あれからこの場所で変わらずに、ずっとずっとやってらしたんですよね・・・・。」



日本映画の「河童」というのをご存じでしょうか?


1995年にカールスモーキー石井さんが初監督をされて話題になった、


田舎の村を風景にしたSF特撮ファンタジーの映画なのですが、


ラストシーンで、年老いた藤達也さんと、幼馴染の河童の「テン」が再会


する感動的なシーンを、自ら演じているような錯覚に陥りました。


まぁ、誰も知らないと思うけど(苦笑)。




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「社長の・・・・・、あのお名前、何ていいましたっけ・・・・、お元気ですか?」


「青沼ですよね。元気です。元気でやってますよ・・・・・・・・・。


坪井さんのことは、多分憶えていると思いますから・・・・・・、ちょっと待って下さいね。」


そう言って、青沼社長に電話してくれました。



「坪井さん、社長が代わって欲しいと言ってます・・・・。」


代わってもらった携帯の先の声は、やっぱりあの時と同じ青沼さんの声でした。


「坪井さん、ご無沙汰してますぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~。」


青沼さんは、私の事を憶えてくれていました。



あの時から今日までのことを、やはり話しました。


「すっごっいっでっすっねぇぇぇぇぇぇぇぇ~。」


当時と変わらぬ反応っぷりに笑ってしまいました(笑)。



「ほんで、次は何やらはるんですか?」


今後の事業構想を2~3を話したところ、そのうちの一つに対しては


「いくらでも力になりますからぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~。」


と嬉しいお言葉。


そうなった時には、ぜひ甘えさせて下さい。



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今でこそ、セレクトショップという店舗形態は一般化していますが、当時はまだ、


新品屋さんでも業界の人くらいしか、その定義を知りませんでした。


このお店は、当時から、青沼社長独自の視点で、アメリカ中古品でセレクトショップを


やっていたのだと思います。



一見、ゴチャゴチの無秩序に見える店内風景は、他の店にはない魅力的で不思議な


一貫性をもっています。中古品の品ぞろえの独自化です。



当時から今も、それは変わっておらず、私は図らずとも感覚的・体験的に大きな影響を


受けてきました。



当時、隆盛を誇ったこの個店ベースのヴィンテージショップは、今はもうほとんどが


残っていません。



聞けば、当時からの私のようなお客がファンになっていて、ずっと続いている方も


やはりいらっしゃるようです。


商品の流行だけに頼らない、強く、息の長いビジネスというのは、こういうことなんだと


教えられます。






当然ですが、感慨にふけったり、屁理屈考えるだけでなく、当時のように


遊んでしまいます(笑)。


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と、言うか、遊ばされてしまうのです。



子供のころ、お小遣い持って、駄菓子屋さん行った時のように、


もうウキウキですよ(笑)。



今日は、何買おうかなぁ、あれ買おうかなぁ、これ買おうかなぁ、


欲しいけど同じようなの持ってるしなぁ、でもやっぱり欲しいよなぁ、


でも買っても使いそうもないしなぁ。でもやっぱり欲しいよなぁ・・・・・。



あの当時と変わらず、こんな感じになってしまうのです(笑)。


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広瀬さん、遅い時間に関わらず、素敵な時間を創っていただき


ありがとうございました。


また行きますね。多分、頻繁に(笑)。



青沼社長、私のことを大物になったと言ってくれてありがとうございました(笑)。


決して大物にはなっていませんが、でも、青沼社長から受けた影響が、


私の中にずっと宿っていることは確かです。


これからも、改めてお世話になることかと思いますが、


どうかよろしくお願いいたします。



今日は嬉しかったです。ありがとうございました。




           人はモノだけを買っているんじゃないね・・・・・。


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