(0) 岐路は常に突然。

際立った生徒ではなかった。儀座武桜(ぎざ・たけお)は思う。それが。三学期の終業式を明日に控えたこの放課後。網町(あみまち)社会科教諭に捕まっていた。髪が耳にかかっている。上履きの踵を踏んでいる。その注意だ。上履きは履き直した。髪は終業式後に切るつもりだったと告げた。言い訳をするなと決め付けられた。気の長い方ではなかった。けれども相手は教師。堪えた。堪えた視線の向こうに同級生、奈州明輝(なす・あきら)が入った。「先生、あれはいいんすか、」反抗的な言い方だと思う。思うがつい、そうなった。奈州は一年の中でも際立った生徒だ。髪は茶色く耳にピアス。上履きはウサギのスリッパ。一瞥で三つ。凝視すれば、むしろ校則違反していないところが一つ二つ。際立っていた。「今は、」網町教諭は言った。「お前のことを話している、」

翌日。

武桜は学んだ。奈州のいでたちは平常通り。武桜のいでたちは散髪帰り。奈州は良くて武桜は駄目。なるほど。教師め。

(1) 再生の武桜。

S県久慈市三波区。久慈三波中学校も春を迎えた。桜に導かれた新入生が群れを成し、桜に酔い痴れた在校生が列を成す。列の中に儀座武桜があった。髪は金色。目は紫。何人(なんぴと)も寄らば斬る面構えだ。始業式終わりで教師に囲まれた。教師の目は飼育員の目だ。暗愚生相手なら尚更だ。騒音がひどい。武桜は教師壁をこじ開けた。肩を捕まれた。とりあえずア行を大声で怒鳴ってみた。飼育員は怯んだ。歩き去りながら武桜は、この方法論の正しさを知った。

教室では新しい仲間たちが共に、気恥ずかしそうに対面していた。武桜が入るなりしんと音が消えた。支配。その言葉が過ぎる。この瞬間俺は、この空間を支配した。頬が溶ける。昨年、同じ学級だった生徒が声をかける。煩い。何が気合いれたなあ、だ。鞄を投げつけた。仰天したそいつは失語した。漸く搾り出したのは「ごめんよ、儀座くん」だ。昨年までは「タケちゃん」だった。この方法論の正しさを知った。

当然、来る。際立てば、来る。奈州だ。二年の暗愚達の頂点にいる奈州が、突然際立った武桜を野放しにしておく道理はない。武桜は腹を括っていた。顎をしゃくる奈州についていく。気合を入れる為、近場の男子を蹴飛ばした。ぎゃんと叫んだ。漫画かよ。武桜は自分に余裕があることを知った。

定番は屋上。もしくは校舎裏。奈州はプール裏を選んだ。殴り合いが始まるのだ。武桜は頚椎に疼痛を感じた。指先が寒い。喧嘩など。ほとんどしたことはない。体格は並。負けた記憶もない。運動能力は上。後は。二つ。奈州が格闘技をやっているかどうか。俺が先にネジを飛ばせるかどうか。頭のネジを、だ。奈州が振り向いた。無言で腹に蹴りが飛ぶ。有態の漫画ならここはまず、それらしい台詞のやり取りがあるはず。現実は。いきなりだ。横隔膜が歪んだ。歪んだことがひどく不快だった。不快を感じた直後。武桜は吼えていた。拳が硬くて柔らかいものを感知した。肉だ。肩甲骨までその衝撃がぬめった。初めての感覚。こいつを。嫌悪している訳ではない。因縁がある訳でもない。喧嘩の為の喧嘩。俺がそちら側に行く為のイニシエーション。だから。自分の意思で。殴る。殴って。蹴って。そして。殴られて。蹴られて。痛い、という言葉が追いつかない。体が弾ける。熱い。ぶるんと筋肉が震える。漸く痛い、けれどもそれをかみ締める暇(いとま)も間もなく。また、弾ける。弾ける度、屈辱が股間を突く。どういうのか。痛みは遅い。屈辱はミリ秒を置かない。屈辱は嫌だ。馬鹿にされるのは嫌だ。舐められるのは嫌だ。ならば。屈辱を与えろ。馬鹿にしろ。舐めろ。その為に。殴れ。蹴れ。