3月3日の昨夜、「つか版・忠臣蔵 スカイツリ―篇」の再演が楽日を迎えました。
今回は3回観劇し、打ち上げにも同席させてもらいました。
どんなに親しくなっても打ち上げには出ないと、編集者人生が始まってから決めてきたのですが、
今回ばかりは体が自然に打ち上げの会場に向かっていました。
40年の禁を破ったわけです。

もちろん、つかこうへい事務所の連中とは
僕の20代中盤から30代の前半まで、毎晩のように飲み歩いていた時期がありました。
つかこうへいとは、よじれ合うように過ごした青春と中年の日々が長々とあったのですが、
公演楽日の打ち上げに参加することだけは遠慮してきました。
楽日の想いを分かち合えるのは、劇団員だけだと思ってきたからです。

今回の楽日の舞台は、また格別に感動的でした。
フィナーレを迎えた後、一人が立ち上がり、二人三人と続き、
観客全員がスタンディングオベーションでこの舞台を称えるという、劇的な幕切れになりました。
いつまでもいつまでも、この瞬間が続いて欲しい。
そんな想いで足は自然に打ち上げ会場に向かっていました。

62歳にして、こんなに満たされる一日がやって来るとは
人生っていいなあと、しみじみ思います。

横内謙介もその一人だったと思いますが、
つかこうへいの芝居に影響されて演劇を始めたという人は多かったと思います。
しかし、つかこうへいを目指せば目指すほど、
彼らの舞台はつかこうへいのエピゴーネンになっていったはずです。
25年以上前に、横内謙介の「夜曲 ~放火魔ツトムの優しい夜~」を紀伊國屋ホールで観た時は、
第二のつかこうへいが初めて出現したと衝撃を受けましたが、
つかこうへいの上を行くというレベルではなかったように思います。

今でも「「夜曲 ~放火魔ツトムの優しい夜~」は、
僕の観た芝居のベストテンには文句なく入りますが、
つかこうへいの、VAN99ホールでの「熱海殺人事件」「ストリッパー物語」、
紀伊國屋ホール初演時の「蒲田行進曲」を超えるとまでは行かなかった。
と言っても、つかこうへいだって物凄かったのはこの三作で、
次点で挙げれば、VAN99ホールの「松ヶ浦ゴドー戒」「初級革命講座 飛龍伝」ぐらいでしょう。

「ストリッパー物語~火の鳥の伝説~」と言う
なぜか紀伊國屋ホールの一公演だけで封印してしまった隠れた名作もありますが…。

横内謙介の「つか版・忠臣蔵」がとんでもない傑作になり得たのは、
つかこうへいを目指すのではなく、
つかこうへいならばどうするか、という前提に立って、
その縛りと制約の中で作品を創り上げていったことに、あると思います。

つかこうへいの芝居(主に「熱海殺人事件」)の名台詞、名場面、挿入歌を散りばめて、
つかこうへいの作品とは全く違う一本のオリジナルな作品にするという困難を自らに課したことによって、
言い回しも、間も、動きも、つかこうへいでありながら、
逆に横内謙介しか出来ない空間を創り上げるという危険な大技が
ものの見事に決まったのです。

「目指す」のではなく、対象に「同化する」こと、
それこそが
才能ある者に限っては革命に繋がるということを
横内謙介はこの作品で証明してみせたのです。

俳句が、5・7・5という制約があったが故に
世界に類を見ない余韻を残す豊穣な表現として定着したように、
つかこうへいへのオマージュ、トリビュート舞台に仕上げなければならないという
縛りと制約、何よりもそれによってもたらされる快楽が、
横内謙介の内面と奇跡の化学反応を引き起こし、
つかこうへいの上記の三作を超えたと僕には思える、
大傑作を生み出したのです。

縛りや制約と格闘すればするほど、
その葛藤と懊悩の深さは、黄金の果実を実らせるはずです。

横内謙介がつかこうへいになった時、
おのずとつかこうへいを超えて、新しくオリジナルな横内謙介に変貌したのです。

今回の再演のパンフレットに短い文章を求められて、
僕は次のように書きました。

「こんなに早く再演になるとは思っていませんでした。
つか芝居の創成期からずっと観てきた僕にとって、これほどつかこうへいのエキスが詰まった芝居はなく、
横内芝居の創成期から観てきた僕にとって、これほど横内謙介の才能に脱帽したものもありません。
つまり、横内謙介はつかこうへいの心と顔かたちを借りて、この世あらざる横内謙介になるという大技を、
開場間もないスカイツリ―の真下のマット(舞台)で決めたのです。
これを演劇界の歴史的快挙と言わずして何と言えばいいのでしょうか?」

この歴史的快挙を一人でも多くの人に観て欲しい。
山本亨、岡森諦、高橋麻理、武田義晴、犬飼淳治をはじめとして、
すべての役者にクライマックスと感動があり、
一人一人の言葉と肉体が縒り合わさって、
この世あらざる極上のエンターテインメントとして出現した奇跡の舞台を、
もう一度どこかの劇場で、自分も観たい。
役者の誰が抜けても成立しなかった
この楽日の興奮と官能を胸に刻んで、
ひとつのある覚悟を決めたいと思います。

それがつかこうへいへの何よりの供養になると信じています。