カリスマってエロい言葉じゃないのよ | ・・・・・・・KAKUTAの桑原裕子さんのデエトブログがいずれは引っ越しするお部屋です。

カリスマってエロい言葉じゃないのよ

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カリスマ、ってなんだろうということを、
圧倒的なカリスマを持つ人を前にしたりするとき、
考えることがある。

オーラ?雰囲気?口ぶり?能力?実績?
才能がある人、とか、天才、といえばそれまでなんだが、
カリスマ感はないけどもの凄く才能がある、
という人もいたりするわけで、
カリスマとは、その才能プラスアルファのなんぞや?

例えばピーターパンの音楽監督である宮川彬良先生は、
稽古場に来た瞬間からビッシバッシとカリスマを感じさせる。
偉そうにしてるなんてことでは全くなくて、
むしろビックリするほどの気さくさと愉快さを持っているのだけど、
なんというか、瞬時にして人を圧倒させ、魅了するのだ。
役者達の顔を観ればソレは一目瞭然だし、
かくいう私もウルウルと目を見開いて見つめてしまう。

調べてみたらば、カリスマとは、
「特定の人物に宿る特別な能力や資質をあらわす概念」らしい。
人を引きつけたり信服させる、人格上の特質とな。
特質といえば、子供の頃からそんなカリスマオーラを
放つ子というのは確かにいた。
私にとっては小学校の同級生・あや子ちゃんというのがそれで、
クラス一番の人気者というわけではないのに、
彼女から放たれる何か、というのを常々感じており、
ある時黒板を消している後ろ姿を眺めながら、
あの子が持っていて私にないものはなんだろうか、と、
ボンヤリ考えたモンだった。

五年生の学芸会の時、「天狗太鼓」っつう、
ある時天狗がそらから降りてきて友だちになる話、
まさにピーターパンの日本版のようなものをやったのだけど、
あやこちゃんはもちろん主役の天狗で、
私は立ち位置で言うところのウェンディだった。
準主役をもらった私は有頂天だったけれど、
その当時から、私がこのポジションに選ばれたのは、
あやこちゃんの放つカリスマ的オーラではなく、
良く言えば演技力、違う良い方をするならば、
他の子らより目だちたがりだから、という理由であることを
はっきりと自覚していた。
私は小三の時も悪役の小賢しいババアを演じ、
その果敢な悪っぷりとやられっぷりが称賛を浴びたので、
ある程度いい役をゲットする自信はあったのだが、
先生が天狗を彼女に決めた理由は、
子供ながらになんとなくわかってはいたのだ。

カリスマは特質と言うからに、
生まれ持ったものという考え方もあるだろうけど、
「宿る」と考えれば、それは経験上身につく部分もあるのだろうか。
カリ…という時点で猥褻な響きにニタニタしてしまう私に、
いつしか蝋燭の灯ほどでもソレが宿ることがあるのだろうか。

カリスマダンサーや、カリスマ俳優、
カリスマコリオグラファーなんかに囲まれつつ、
そんなことを思う今日この頃です。