鳥巣清典の時事コラム1316「キッシンジャー氏『新しいゲームのルールが世界を動かしつつある』」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1316「キッシンジャー氏『新しいゲームのルールが世界を動かしつつある』」

 『サンデーモーニング』(TBS系)では「安保法制を巡り党首討論」の話題。そして、寺島実郎氏の口から「キッシンジャー」の名前が出てきたのです。私たちの世代には、忘れられない名前。

関口宏
 「ポツダム宣言」とは何か?
ーー1945年7月ドイツのポツダムにアメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まって、日本に対して無条件降伏を求めて戦争を終わらせるとした声明を発表したもの。(共産党の)志位委員長が挙げた「第6項、第8項」ですが。第6項には、「日本国民を騙し世界征服に乗り出させた権力や勢力は永遠に除去されなければならない」といった意味のことが書かれています。第8項には、「カイロ宣言を実行するように」と書かれています。
 では、その「カイロ宣言」とはどういうものかといいますと、日本が奪ったり占領した地域の返還などを求めていまして、つまり2つの項目で日本の間違った戦争という認識を示していると志位委員長は指摘。
関口
 そして終戦、敗戦にいたりということですね。

寺島実郎(
日本総合研究所理事長)
 日本が議論していることのレベルと中身が、世界の大きな潮流と大きくズレが起こっているのではないか。盛んに言われている台詞に「いかなる国も単独では平和を守れない」、「だから集団的自衛権」だ、「同盟外交重視」だと。これって冷戦期の世界認識を引きずった人たちが、日本をそういう枠組みの中で次の時代を作ろうとしているという限界を感じる。

 今、世界で非常に話題になっている本でキッシンジャーの遺言までいわれているんですが『ワールド・オーダー』というのが大変話題になっているんですよ。キッシンジャーのように世界の外交に関わってきた男がね。今世界で進行していることは、17世紀に遡って400年前からの世界の国際政治の枠組みルールが大きく変わろうとしているのではないか。たとえば国民国家とか内政不干渉とか脱宗教という形で近代の政治を作ってきたけれども、どうも新しいゲームのルールが世界を突き動かしつつある、ということを彼が提起しているんですね。
 そういう流れの中に、とにかくアメリカについていけばしばらくは大丈夫だという、冷戦期のある特殊な状況を引きずった構図をこの先21世紀日本はそのまま進んでいけば何とかいけるんじゃないかと思っている。これは決して自民党だけでなくて、野党の民主党も、たとえば沖縄問題における「辺野古しかない」ということにおいては全く同じ考え方な訳で。日本の政治で飯を食っている人たちが、日本国民の将来、国際関係の中でどうするのか。NPТなんていう核不拡散。日本こそニューヨークで行われていた会議で新しい構想をもって世界を引っ張っていくんだというくらいの構想を示さなくてはいけない。
 ひたすら、アメリカの核に守られた次の日本を作っていくんだと発信しているから迫力がない。今世界は、中国だろうがロシア、アメリカだろうが皆自前の構想力をぶつけあっている時代なんですよ。じゃ日本の構想力って何なんだと問われている。
 それが集団的自衛権と安保法制だ、はたまたポツダム宣言はまだ読んでいないみたいな話になっているようでは、まさに絶句するような状況。
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【ヘンリー・キッシンジャー】

ニクソン米大統領

 1972年ーー私が21歳のときに起こった「ニクソン米大統領の電撃中国訪問」と、舞台裏で極秘裏に動いたキッシンジャー大統領補佐官の存在が強烈な印象として残っています。
極秘訪中 

 訪中は全く秘密裏に行う必要があった。そのために今回の各国の訪問はサイゴン、バンコク、ニューデリー、そしてパキスタンのラウルピンディを経由するルート(その後はパリでの北ヴェトナムとの会談が予定されていた)で、「退屈で無味乾燥で、メディアが動きを追跡することを諦めるように仕組まれた訪問」であった。そしてラウルピンディで≪突然病気になって48時間治療に専念するため休息する≫こととなった。どこへ行ったか。行き先を知っていたのはニクソンとアレクサンダー・ヘイグ副補佐官だけであった。

 1971年7月9日に密かにヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官がパキスタン経由で北京を訪問した。乗ってきた飛行機はパキスタン大統領専用機で、アメリカ側からキッシンジャーを含めて5人の中核グループと他に米当局者の一団が乗り、しかもこの飛行機には出発したイスラマバードから英語を話す中国外交官が5人乗ってきた。その中には毛沢東の兄弟の孫娘になる王海容、アメリカ・ブルックリン生まれの有能な通訳の唐聞生が含まれていた。北京空港で出迎えたのは葉剣英軍事委員会副主席で1969年に毛沢東の指示で中国のその後の戦略的課題の分析を行い、米国との対話推進を訴えた「四元帥」の1人であった。

 そして周恩来首相と、その日の午後4時30分から11時20分の7時間と翌日正午から6時30分までの6時間にわたって会談を行った。冒頭に周恩来が一行に歓迎の意を表す前に「本日の午後には、特別ニュースがあります。あなたが行方不明になりました。」とキッシンジャーに語っている。キッシンジャーが心がけたのは十分な信頼関係を築くことであった。それはまた周恩来も同じであった。実は両者ともこの秘密会談を行うことで一定のリスクを負っていることに留意していた。仮にまとまらず不十分なもので終われば、両者とも政治的に苦しい立場に立たされるということであった。すぐに両国が友好関係とまではいかなくても戦略的協力関係を結ぶところまで持っていくことが目標であった。後に10月の2回目の訪中の時に両者が会談した際に出た言葉が相互信頼と相互尊重であった。この最初の長時間の会談で2人は相互に感銘と個人的信頼を築いた。>

<1972年2月21日アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが世界中が注目する中で中華人民共和国を初めて訪問し、毛沢東主席や周恩来総理と会談して、米中関係をそれまでの対立から和解へと劇的に展開して第二次世界大戦後の冷戦時代の転機となった訪問である。またこれより前に、前年7月15日に、それまで極秘ですすめてきた米中交渉を明らかにして、自身が中華人民共和国訪問することを突然発表して世界を驚かせたことでニクソンショックと呼ばれている。>(ウィキペディア)




周恩来総理


毛沢東主席

 あれから43年。
 どうも新しいゲームのルールが世界を突き動かしつつある、
                      ヘンリー・キッシンジャー




『ワールド・オーダー』】