棟上寅七の古代史本批評 -164ページ目

蛇足ならぬ虎髯 21,12,19

今日は引きこもりの一日でした。大して雪は降っていませんでしたが、わが奥様が買い物を希望する地域は雪が積もっているようでしたので、今日は内業の一日としました。


年賀状も寅七分担部分は終わりました。ノリキオ画伯が年賀状用に描いてくれた「虎の仔」の絵にヒゲがないなあ、たしか子供の虎にもヒゲはあるはず、と調べたりしました。


よせばよいのに、ヒゲを書きくわえたらどうなるか、とペンで書きくわえてみたりして、蛇足ならぬ虎髯的な結果になりました。まあ、書き加えに使ったペンは、消しゴムで消えるペンということなので、わが奥様の検査不合格となれば急遽消去作業が必要になりますが。
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週刊朝日の「覆えされるか日本書紀」を槍玉に上げた批判記事を上げました。


20年ほど前までは朝日新聞は古田武彦さんを大事にしてきたのに、このところの冷たさがわかる連載記事でした。

http://www6.ocn.ne.jp/~kodaishi/yaridama36.html  をクリックしてみてください。

「脱清人」の記事 21.12.18

一日寒い日でした。わが奥様も寒波と心臓との関係は分かりませんが、不整脈を訴えています。冬は老人には特に厳しいシーズンですから無理はせず、この週末は引きこもりをしましょう。


年賀状も片づけなければいけませんし、なんとかホームページの出稿も済ませようと思っていますので。
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棟上寅七の古代史本批評-朝日記事「脱清人」 クリックすると拡大します

今朝の朝日に「脱清人」という琉球大学の先生の特別寄稿記事が出ていました。寅七も不勉強で、「脱清人」という意味が飲み込めませんでした。


記事を読み、そしてネット検索して、「琉球400年を歩く」というAsahicomの連載記事を読んで、少しは理解できました。http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000110911170002


それにしても普天間基地問題の解決は簡単ではなさそうで、沖縄県民の受難の時間はいつ終わるのでしょうか。

寒波襲来 21.12.17

寒いと外出も億劫で、今日はおとなしく年賀状のコメント入れに時間を費やしました。


高々30字くらいのもので、定型文みたいなもので簡単なのですが結構くたびれます。ある程度やって手が疲れたのでどれくらいできたか、と重ねてみても200枚とは出来ていなくて前途遼遠です。


明日はもっと寒く平野部でも積雪があるだろう、とTVがいっています。明後日の会社の忘年コンペは既にキャンセルしましたが、火曜日には雪は溶けているだろうか、木曜日のわが奥様も参加する高校の忘年コンペは大丈夫だろうか、その後古くからの仲間とのゴルフの予定の土曜日には又次の寒波が襲来するのではないか、と心配すればキリがありません。


北の国々に比べれば冬にゴルフが楽しめるだけでも九州の地に住まいするありがたさに感謝しなければならないでしょうね。
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週刊朝日の「覆るか日本書紀」記事批判をしようと改めて読んでみても、足立さんはこの連載で読者に何を伝えたいのだろうか、ということが伝わってきません。


連載の最後は「伊勢神宮はいつ誕生したのか」、というのですが、一般の読者にとっては伊勢神宮が「いつできたか」ということの意義は分かってもらえるのかなあ、という気がします。


日本書紀の伊勢神宮創建記事が、多少違っていたら、それがどうなんだ?ということだと思います。そしてその答えは足立さんの記事の中に、全く見当たらないのですから。


何となく執筆者の足立さんが、「祭神の天照大神は、日本書紀が持統天皇に擬して創作したのだ」、という大山誠一さんの説を敷衍して説明しているのかなあ、とも思われました。


ともかくこのシリーズは、大山説の当否を追っかけ、どちらかと言うと、その説を肯定するような方向の足立さんの記事、と言えると思います。

大山誠一さんは続日本紀を読んでいないのか 21.12.16

今週末は珍しく雪予報です。会社の泊りがけの忘年会と翌日のゴルフも急遽キャンセルです。結局シテイホテルのレストランの予約をと、幹事さんは電話を掛けまくっていました。ゴルフの方は仕方がありません、来春に順延です。


まあゴルフの方は、あと年内、昔の会社のOB会、高校同期会の忘年ゴルフ、わが奥様のお友達とのゴルフ、とまだ3回予定がありますので、一つ位流れた方が寅七の腰のためには良かったのかもしれません。


今夜は会社の各地の幹部社員との会議と懇親会でした。飲み始めると、すぐに年が20ほど若返ってしまうのは困ったものです。しかし、二次会に行くだけのエネルギーはなく、帰宅してパソコンに向かうのが関の山です。
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大山誠一さんの「聖徳太子と日本人」のなかに、記録を残さない日本人と題して、おおまか次のように述べています。


【飛鳥時代を正確に叙述しようにも肝腎の史料がないのである。日本書紀は信用できないが部分的には百済系の史料を引用している部分は事実を記録している。沢山の古墳の被葬者が不明なのは、日本人には記録に残そうという意欲に欠けていた、と思わざるを得ない】と。


しかし、日本書紀中に見える夥しい「一書」群、日本旧記や古事記序文に見える、「諸家のモタラすうんぬん」の記録類の存在が推定される文言、これらもすべて後世の創作、というのでしょうか。万葉集に見える「古集に見ゆ」という和歌集の存在も否定されるのでしょうか。


続日本紀の元明天皇紀にある、「山沢に逃げ、禁書をしまい隠して百日たっても自首しないものは云々」の禁書令がいう書物はどんな書物だったのでしょうか。


そういうことには全く思いを致さぬ大山さんの歴史家としての感性に欠けると言われても仕方ないのではないでしょうか。

年賀状ならぬ年末状来信 21.121.15

今日から年賀状受け付け、とTVニュースが伝えていました。我が家には今年も年賀状を使った「年末状」なるものが配達されてきました。大学後輩のO氏の年末状です。


O家の今年一年の総括が、バランスシート形式で纏められていまなかなかユニークなものです。年賀状ですと沢山きますから、折角丁寧に作っても目を通してもらえる時間は少ないでしょうが、年末に届けばゆっくりと見てもらえることは間違いなしです。


これを纏めるだけで、Oさんの自分史は簡単に纏まることでしょう。


棟上寅七の古代史本批評-Oさんの年末状 小さく年末状とある、 Oさんから届いた年末状

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週刊朝日の「覆るか日本書紀」記事批判にかかろうか、と改めて読んでいます。筆者の足立倫行氏は大山誠一さんの「聖徳太子は実在しなかった」説をベースに話を進められています。


第三週の「大化改新の真相は?」で、乙巳の変を蘇我王朝に対する中大兄たちのクーデターとされます。そして中大兄皇子が何故即位しなかったのか、という各氏の説が披露されます。しかし、みんな国内の豪族との駆け引き的な見方ばかりです。


東アジアの情勢、その後、倭国+百済連合が、唐+新羅連合軍に敗れ、劉仁願はじめ多くの占領軍と目される人たちの来日を日本書紀が記していることには一顧だにされません。(この大山説では大化改新の実際の時期は?という検討はされていないようです)

70年代の朝日との変り様は? 21.12.14


今夜は高校の同期の忘年会でした。今までは座敷の会場でしたが、座るのが大儀な年になりましたので、今年から掘りコタツ式の会場に変更しました。


座敷の良いところは、横に割り込んでも後ろかに座り込んでも「懇談」が出来るのですが、掘りコタツ式だと隣が空いていないと少々不都合です。改めて座敷式にも良いところもあるのを知りました。


皆さんには今春「70歳からの自分史」を買ってもらっていますので、今夜はお酌をしてまわってサービスに努めました。まあ、人にお酌すると返杯しなければなりませんから、ちょっと飲みすぎてしまったきらいはありますが。


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昨日アエラの邪馬台国の記事について書きました。週刊朝日や文芸春秋と少し違っていたのは、九州説に少しページを割いていたところです。


ただ、九州説のいくつかを地図に場所を示しているのですが、古田武彦さんの「博多湾岸国家説」は出ていませんでした。


棟上寅七の古代史本批評-アエラの邪馬台国地図 アエラの邪馬台国比定地地図

1970~80年代の朝日新聞社の古田武彦さんの諸著作の出版や、古田さんを入れての古代史シンポジウムをたびたび主催したことなど、朝日新聞自身はどのような評価がなされているのでしょうか。


間違っていた、というならばそのように言わなければ、と思うのですが。戦争礼賛記事についての反省と同じで、あまり触れたくない、とでも仰るのでしょうか?

アエラよお前もか! 21.12.13

今年の年賀状は昨年より少々増えるようです。年賀状のやり取りをしていなかった友人達が「私の棟上寅七」を購入して下さっていますので、お礼も兼ねて出しておかねば、など考えるとどうしても増えてしまいます。


もう次の著作は出版するつもりは、いまのところはありませんので、営業活動をしておく必要はないのですが、売り付けっ放なしというわけにもいかでしょう。


全体で昨年以下に抑えたいのですが、民主党の国家予算と同様に昨年よりも総額は増えざるを得ないよな、とぶつぶついいながら印刷段階は終了しました。後はボツボツと年内一杯かけて、わが奥様と手分けしてのコメント入れ作業です。


月曜は休肝予定日なのですが、明日は高校同期生の忘年会です。昨日も肝臓は結構働いてくれましたので、休肝日前倒しで、今夜はおとなしく、今風に言うと体に優しい時間が過ぎていっています。
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文芸春秋の発売日が過ぎていたことに気付き近くの書店に行ってみました。ついでに雑誌類をぱらぱら見てみましたら、アエラが例の纏向遺跡の木造建物の跡がでたという記事をかなり大きくとり上げていました。


棟上寅七の古代史本批評-アエラの記事 アエラ12月14日号の巻向遺跡の記事

九州説(吉野ヶ里)が徹底抗戦などと書いてありますが、基本は、10月31日号から11月21日に欠けて連載された週刊朝日に連載された足立倫行さんの記事をなぞったようなものです。

(槍玉その27「姿を見せてきた邪馬台国」批判http://www6.ocn.ne.jp/~kodaishi/yaridama27.html 参照ください) アエラよおまえもか!の感です。

森博道さんの日本書紀研究 21.12.11

先月クリニックで血液検査を受けました。2か月ごとに先生の診察を受けて血圧の薬を貰っているので、その時に聞かせてもらえばよいだろう、と放ほっておいたら、わが奥様が勝手に結果を聞きに行って来てくれました。


もし問題があったら先方から呼び出しなどがあるだろうし、などとは口には出せませんでした。まあ、ほとんどすべての項目が許容範囲一杯でクリアーしていました。週1の休肝日をやめてもいいのかな??? というわけにはいかないでしょうね。


ということでもないのですが、今夕は旧知の3夫婦の、お呼ばれ的忘年会的な懇親会でした。4時から飲み始めて4時間以上ワイワイと過ごしました。




棟上寅七の古代史本批評-食べ疲れて おしゃべり済んで食べ疲れ・・・

飲み口を持っていないわが奥様などよく4時間以上も付き合ってくれるものだと改めて感心しました。アルコールたっぷりの3人を文句一つ言わず、家に送り届けてくれたわが奥様にはなんといってお礼をすればよいのでしょうか。
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去年の夏、書店に寄って手に取ってみたのが森博通さんの「日本書紀の謎を解く」でした。今回週刊朝日の足立倫行さんの連載記事で、森さんのこの本が日本書紀の記事の創作説の例証的に使われていることを見て、この森さんの本を読んだ時の寅七のの反応はどうだったのかなあ、と昨年9月の自分のブログを改めてみてみたりしました。


足立さんは、この森さんの本を日本書紀創作説のバックアップ的に使っていらっしゃいますが、この森さんの本は、決してそのように単純なものではないと思います。


森さんは、「日本書紀の謎を解く」で何を謎とされたのか。それは日本書紀全体が通して叙述されたのではない、ということを検証されたのです。


日本書紀全体の音韻を分析し次の結果を得た、とされます。この森さんの検証が正しいかどうかは別にしても、内容が創作されたものかどうか、ということについては、「漢籍に寄っての潤色」ということだけを仰っています。


同書p228結語には次のように纏めていらっしゃいます。


【持統朝に続守言と薩弘恪が書紀の撰述を始めた。続守言が巻十四から執筆し、巻二十一の終了間近に倒れた。薩弘恪が巻二十四から二十七を述作した。文武朝に山田史御方が巻十三以前を述作し始めた。元明朝に紀朝臣清人が巻三十を撰述し、三宅臣藤麻呂が全体にわたって漢籍による潤色を加えた。】


なんとなく、森さんの意に反して、足立さんが日本書紀に間違いが多い、ということへの証人として森博通さんが使われているような気がします。

次世代の車 寅七私案 21.12.11

福岡モーターショーが始まった、とメデイアが報じています。ニュースでは相変わらず老人のアクセルブレーキの踏み間違え事故を報じています。


寅七がやっている、右左それぞれにアクセルとブレーキを分担させる、ゴーカート方式の方が、踏み間違いはぐっと少なくなると思うのです。しかし、長年のマニュアルで培われた「ミッション操作の鉄則」は、古代史の通説同様、そう簡単に改められることはないかと思います。


ならば、次世代の車は、アクセルは手、ブレーキは足というっシステム車という発想は出来ないのでしょうか。前進後進のギヤ入れ間違い事故は激減すると思うのですが。
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大山誠一さんの、「聖徳太子と日本人」を一通り読んだので、週刊朝日の「覆されるか日本書紀」の連載記事を読み直してみました。


タイトルは「神武天皇はどのように”創られた”のか」という刺激的なものですが、全く内容はありません。『古代天皇は8世紀の史官の創作』という半世紀前の津田左右吉説の焼き直しに過ぎないように思われました。


大山誠一さんの「継体天皇以降の天皇は実在、それ以前は創作」とされる根拠は非常に薄弱なのです。このことは、大山さんの「聖徳太子と日本人」という本の批評に書こうと思っていることですが、大山さんの話の進め方について感じたことを述べておきます。


大山誠一さんは、まず日本書紀などを、中国史書からの借用は多いし、創作されたところが多い、と決め付けておいて、そして自分の説に都合のよいところだけを、史書の記述から取り上げる、我田引水・手前味噌説に過ぎないように思えます。

愚陀仏庵句会 21.12.10

松山市在住の幼馴染のNさんが、今日NHKの生活ほっとモーニングに出る、というので皆さんにお知らせしました。その本人が見ていないでは済まないので、見逃さないように(ド忘れしないように)手帳にしっかりと書いておきました。


松山ゆかりの子規がらみで、愚陀物庵というところでの句会の模様が放映されました。我らがFさん(画面中央)も1分足らずでしたが、句の評などを喋っていました。


棟上寅七の古代史本批評-南部幸子句会 テレビを見た、という証拠写真

年賀状の図柄をわが奥様と相談して決めました。ノリキオ画伯が書いてくれたかわいい虎がメインです。例年家族写真乃至ツーショット主体ですから、写真も入れようか、といくつか案を作ったりしたら結構時間を食ってしまいました。


わが奥様を知らない人用の分と2通りの案が出来上がり、現在せっせとプリンターが働いています。あとは、ボツボツコメント的に書きいれたら出来上がりです、が、このコメント入れが一番手を食うの仕事のようです。
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大山誠一さんによる「聖徳太子実在せず」の論拠の一つの柱が”十七条の憲法は聖徳太子が作ったのではない”ということの様です。その論拠を縷々と説明されます。とどのつまりのご意見として、憲法十七条の疑念と題しておおむね次の様に述べられます。


「隋書にある倭王は、天を以て兄となし日を以て弟と為す云々とあるように、中国文化と相容れない為政者の政治認識であった。こういう状況の中では、中国の古典を取り入れている十七条の憲法を制定する姿勢が生まれなかったことは明らかであろう」と。隋使は俀(タイ)王と会ったとして詳しく状況を描いています。


大山さんはいとも簡単に、俀(タイ)王倭王と決めつけます。そして、タリシヒコは推古女帝ではないし、聖徳太子でもあり得ない、蘇我馬子っではなかったか、馬子は実は天皇であった、というような論理で進まれているようです。


大本のところで、俀(タイ)国と隋書が描くのはなぜか、旧唐書で倭国と日本と二つの国をかき分けているのはなぜか、というところの検討がなされていないところから、日本書紀の中に隋書の記載事項を探そうという、迷路に入ってしまうことになっています。