音楽って もともとは
見返りも 名声も 考えてなかったと思う
楽しいから歌う
哀しいから歌う
神様に願い事が届くように歌う
伝えたいから歌う
きっと 誰しも みんなが
思いついたときに 堂々と歌ってた


やがて そのうち
:  〇〇さん家の〇〇に歌わせるのが一番だよ
:  〇〇んとこの息子に弾かせたら上手いんだよ
:  〇〇ちゃんの歌は親ゆずりの上手さだね
なんて
ひっぱりだこになる人が現れて


うわさが 広まって
:  こんな素晴らしい時間を作ってくれたんだ
:  タダで帰らせるわけにいかないよ
:  また来てくれよなー
なんて
宴会の食事を分けてもらったり
手土産とか 持たされたりして
自分や家族や仲間を養っていける
「なりわい」のひとつになった

音楽ってものが
日常 → 祈り → 祭祀 → 職業 へと
変わっていった流れが
なんとなくわかる博物館とかも
地元・奈良には いっぱいありますんで

ライブ行くと
そんな歴史の先に今いるんだなぁ なんて
いろいろ感動させてもらえるんです



音楽が電気信号になって
世界をかけめぐるようになった現代
形のないものに対して

:  どこにでもあるような時間を
:  こんな素晴らしいものに換えてくれて
:  ありがとう

感動する感覚
その対価として財産の一部を差し出す感覚
うすらいで ないかな? なんて思ったりも



だって
譜面どおりに歌える ってだけじゃ
みんなに推薦されるような
プロミュージシャンには なれないと思う

譜面や口承を超える なにか
ちょっとしたイタズラみたいな fakeも
天から降りてきたままを体現できる人間だけが
みんなを魅きつけてきて

そのすべてを
崇高な神託だと信じて
命がけで聴いてきた歴史があって

その感覚を呼び起こしてくれるのが
ライブなんだと思う


この動画を見て そんなこと思い出しました
「 IMAGINE 」 by Lady Gaga

http://9post.jp/19827



生意気な長話が続いて スミマセン
言い訳っぽく なるんですけど・・・


ちいさいころから何度も通ってる
奈良県立 橿原考古学研究所 付属博物館
鳥のコスプレして天を仰ぐ
シャーマンのフィギュアがあるんです

土器に描かれた絵を再現した
ちいさなジオラマの中に立っていて

そういう人こそが
ミュージシャンのルーツだったのかも
って気がして

ライブを観にいく前に
なんでか会いたくなって
ふらりと博物館へ行ったりします



古代
シャーマンの言葉は
神様からの言葉
自然現象の予言や 雨乞いは
住民の生命にも関わること
シャーマンの放つ音は
命がけで聴くのが当たり前だった

シャーマンも
それを痛いほどわかってた
だから
集まってくれる人々と懸命に向き合った

現代でも
みんなの心に響く
アーティストの方々は
心に痛点を
たくさん持ち歩いてらっしゃるんじゃないか
そんな気がしています



アーティストって
だれにでもできる職業じゃないから
そりゃぁ
変人と思われたりしたかもしれません

みんなが気にならないようなところに
こだわりすぎて
ひとりで疲れたりもするかもしれません

素晴らしい個性なのに
普通とはちがうんだってことに悩み
劣等感に苦しんだりしたことも
ちょいちょい あったかもしれません



私はアーティストではないけれど
ちょっと変わった人間です

古代に生まれていても
適職がなかなか見つからず
どさくさまぎれに
シャーマンの見習いになってたかもしれない

ひとりの人間に
たくさんの人間が すがる 光景を見たら
:  こんな変わり者っぷりが 誰かを救う?
:  こんな変わり者っぷりに 自信を持てと?
戸惑いまくってたと思います


何も言わない
博物館の1フィギュアなのに
ずっと頭から離れなくて

この時代にいる私に
いま なにができるんかな? と
ときどき会いに行っています


せっかく
素晴らしいアーティストさんたちと
たくさん繋がらせていただいているから


変わり者度でいうと
アーティストさんたちと
変わり者から見て思う「普通の方々」との
あいだにいる人間として


その架け橋が
いつか なんらかの形で
できるようになれたらいいな、と・・・



また近いうち
橿考研へ 人生相談に行くと思います


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