統一教会を離教してから、いつ頃からだったか

私は自分が玉ねぎのようだと感じるようになりました。

 

約2年前にネットの情報から

統一教会が信者達に隠していた事実を知って

しばらくの間は怒りと憎悪で

焼けるような胸の痛みを感じていました。

 

その後、だんだんと冷静になってくると

私が伝道した高校時代の友達は献身前に離教したのに
何故、私は勤めていた会社を辞めて献身し
祝福を受けて韓国まで お嫁に来てしまったのか?
彼女たちと私の違いは何だったのか?

と考えるようになり、それから自分の内面を見つめる

「自分探し」 の旅が始まりました。

 

統一教会での思い出を振り返りつつ

同時に自分の生育過程を遡りながら分析していくと

「自分」 という意識が玉ねぎのように

幾重にも重なっていて、一皮剝くと又、一皮…というふうに

自分でも自覚していなかった動機(深層心理)のようなものが

だんだんと見えてくるようになりました。

 

最近、厚かった皮が だいぶ剝けてきて

ようやく芯の部分に近づいてきたような感覚があります。

 

そうして

「私にとって統一教会とは何だったのか?

何故、統一教会に30年も居続けたのか?」

という自問に対して、自分なりの結論というか答えを見つけました。

 

今までも、そういう内容を度々、書いてきましたが

それに加えて、総括のような形で

これから書いていきたいと考えています。

(かなり長い連載になりそうですが…笑)

 

ただ、私個人の感じた内容なので

何人の方に共感して頂けるか分かりませんし

人それぞれ入教した動機や目的も違うので

「そんな人も居たんだな~」 ぐらいの 

お気持ちで読んで頂けたらと思います。

 

 

 

結論を書く前に自叙伝的な内容から書きます。

ちょっと遠回りになりますが、私の元々 持っていた性質や
生育過程を抜きにしては、ちょっと説明しづらいからです。

 

時々、暗くて重い内容になるかもしれません。

 

同じような体験をされた方はフラッシュバックなどで
過去の体験が思い出されて苦しくなるかもしれませんので
注意して お読み下さいね。

 

 

 

では、始まり始まり~~です^^

 

 

 

私は昭和42年に、3人兄弟の末っ子の父と

7人兄弟の末っ子の母の間に長女として生まれました。

 

3年後に生まれた妹が一人 居ます。

 

父と母は、お見合い結婚でした。

 

父は背が高くスラッとしていて、顔もわりとイケメンで

皮ジャンを着たり、おしゃれな人でした。

 

対して母は背が低く、小太りで

お世辞にも美人とは言えません。

 

昔、母に何故、父のような人と結婚したのか
聞いたことがありますが答えに窮していました。

 

私が想像するに父の外見に惹かれたのではないかと思います(笑)

 

私が小学校に入学する直前に両親は離婚したのですが

いつ頃から父の事が嫌いになったのか?
と母に聞いたら、私が生まれて1年ぐらいした頃から

父が働かなくなり生活費にも困るようになり

「この結婚は失敗だった!」 と思うようになったということでした。

 

父は、お酒こそ飲みませんがギャンブル依存症で
就職しても長続きせず、職場を転々としていたようです。

 

母は最初は内職をして生計を立てていましたが

私が就学する1年前からは私を保育園に送り

妹を見てくれる託児所のある工場に勤めるようになりました。

 

父は相変わらず働いたり働かなかったりしながら

ギャンブルに溺れる日々で

母が、箪笥に隠していた生活費を使うだけに留まらず

そのうち母の勤める工場にまで行って、お給料を前借りしたり

家財道具や私の自転車までも質屋に持って行って お金に換えたり

知人から お金を借りたりするようになっていったそうです。

 

たぶん、その頃ではないかと思うのですが

家の中で両親の喧嘩する姿を

しょっちゅう見るようになりました。

 

両親が何を喋っていたのか全く記憶にないのですが

とにかく 大声で お互いに罵り合っていました。

 

ある時などは、母が包丁を持っている姿も見ましたし

畳の部屋で たらいに入れた水を浴びせるのも見ました。

 

そういう時は、近くに居たら自分も妹もケガをしそうで怖くて

妹の手を引っ張って押入れまで連れて行き

押入れの中に隠れて、襖を少しだけ開けて

夫婦喧嘩の様子を伺っては震えていました。

 

どちらかが相手を殺してしまうのではないか?

私たちも巻き添えになるのでは?
という恐怖に怯えながら、それでも そこから

逃げることは考えられませんでした。

 

そうして、そういう騒ぎが一段落 おさまったところで

妹の手を引っ張って押入れから出てくる…

というのが、いつものパターンでした。

 

 

 

父は普段は穏やかな優しい人でした。

 

長距離(大型)トラックの運転をしている事が多くて

時々、運転中に膝の上に私を座らせて

ハンドルを持たせて運転させてくれたりしました。

 

私は父の膝の上に座るのが大好きでした。

 

父は長女である私を とても可愛がり

母は次女である妹を可愛がりました。

 

 

 

保育園に通っていた頃

人一倍 好奇心の強かった私は火遊びにハマりました。

 

結局は見つかって母や近所の人たちに

こっぴどく怒られるのですが

その度に天の邪鬼な私は頭の中で 

「あ~! 失敗した。 証拠を もっと上手に隠すんだったな…

今度からは もっと上手くやらなきゃ!」 と思うのでした。

 

父がギャンブル依存症だという事を よく理解していなかった私は

私の大好きな父を罵り喧嘩する母を

どこかで困らせてやりたい、欺いてやりたい

という思いがあったように思います。

 

又、仕事と家事で忙しく

幼い妹ばかり かまう母の関心を自分に向けさせたいー

という思いもあったのではないかと思います。

 

 

そして、ある日、誰もいない時間に玄関のコンクリートの上で

プラスチック製の壊れた虫かごの中に紙屑を入れて

火遊びをしていたら火がプラスチックの容器に燃え移って

プラスチックが溶けながら大きく炎が燃え上がってしまったのです!

 

びっくりした私は何かで叩いて急いで火を消しましたが

虫かごは もう半分ぐらい溶けてしまっていました。

 

そして証拠を隠すために、その溶けた虫かごを
どこに隠そうかと思い悩んだあげく
玄関の下(床下)に投げ入れたのですが

上手く奥まで投げられずに手前の方に引っかかってしまいました。

でも、そこまでは手も届かなかったので、どうすることもできず
そのままにしておくしかありませんでした。

 

数日後、母が不在の時に

父が私の名前を呼ぶので振り返ると

父が溶けた虫かごを手に持って悲しそうな顔をして立っていました。

 

(しまった! 見つかった!)

そう思った私は頭を両手で覆い、しゃがみ込みました。

 

母だったら、こういう時、必ず私の頭を殴ったり

顔を ひっぱたいたりしたからです。

 

でも、父は、そうしませんでした。

そして静かな口調で こう言いました。

 

「海… お前は頭のいい子だから

自分が悪いこと、しちゃいけない事をしてるって

自分でも分かっているんだろう?

 

だから、お前は、もう二度と こんな事はしないよな。

 

お父さんは、そう信じてるよ。」

 

その言葉を聞いて、私は とても衝撃を受けました。

殴られて叱られるとばかり思っていたからです。 

 

そして、父に抱きついて

「ごめんなさい、ごめんなさい! もう二度としません!」

と泣きじゃくりながら謝ったのでした。

 

そして、それから私は二度と火遊びをすることはありませんでした。

 

自分を信じてくれている父をガッカリさせたり

悲しませたくなかったからです。

 

 

 

後に 「ああ、無情(レ・ミゼラブル)」 という作品の

ある場面を読んだ時に、その時の父の姿が重なりました。

「レ・ミゼラブル」 あらすじ

1815年10月のある日、76歳のディーニュミリエル司教の司教館を

46歳のひとりの男が訪れる。男の名はジャン・ヴァルジャン。

貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪で

トゥーロン徒刑場で19年も服役していた。

行く先々で冷遇された彼を、司教は暖かく迎え入れる。

しかし、その夜、大切にしていた銀の食器を

ヴァルジャンに盗まれてしまう。

翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して

司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、

2本の銀の燭台をも彼に差し出す。

それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は

司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに

サヴォワの少年プティ・ジェルヴェ(Petit-Gervais)の持っていた

銀貨40スー[1]を結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、

正直な人間として生きていくことを誓う。

 

<引用元> ウィキペディアより抜粋

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB#.E3.81.82.E3.82.89.E3.81.99.E3.81.98

 

 

 

 

その本を読んだ頃から、私はキリスト教に好感を持ち

キリスト教の司教(牧師)という存在に憧れを抱くようになりました。

 

私も 「レ・ミゼラブル」 に出てくる司教のような人間になりたい!

 

それは、私の人生で 唯一 私を愛し、信じてくれた(と思っていた)

父の姿と重なるものがあったからでした。

 

                                   (つづく)

 


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司教とジャン・ヴァルジャンと銀の食器

 

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