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【小説】ガム工場とラッパ



未だ、マフラーの必要な、小学校二年の三学期の、ある日の放課後、私は、クラスの長田君に呼び止められました。

長田君というのは、うちのクラスのガキ大将で、生まれつき体が大きく、腕力もありましたが、反面、頭が弱く、自己中心的な性格で、正直いって、余り、つき合いたいような人間ではありませんでした。その彼に呼び止められて、いやな予感がせずにはおれませんでしたが、彼の方は、何でもなさそうに、私の顔を見て、

「今日、俺の家に遊びに来ないか」

といいました。いやな予感がした私は、何かしらの理由をつけて、断ろうとしましたが、断ろうとする私に怒った彼は、半ば、強引に遊ぶことに決めてしまいました。

私は、一度、家に帰って、着替えると、自転車に乗って、彼と約束した、小学校の前の公園に向かいました。そして、しばらく待っていると、彼も、自転車に乗って、やって来ました。

「悪りぃ、悪りぃ、遅くなっちまってよう。」

そうして、二人は、彼の家に向かって、自転車を漕ぎ出したのでした。

名簿で知っていたのですが、彼の家は、同じ学区内でも、私の家とは全くの正反対の隣町にあり、しかも、その辺は、今まで、ほとんど、行ったことのない所でした。

自転車を漕ぎ進めるに従って、だんだんと、見覚えのない景色が次々に広がり、道脇のガード・レールや、公園のブランコ、滑り台に至るまで、自身の回りのものとはまるで違ったものになって行きました。それで、恐ろしくなった私は、彼に引き離されまいと、その後を、必死に追いかけて行きました。

やがて、彼の家が近づいて来るに従って、何か、花のような、歯磨き粉のような、それでいて、どこかで嗅いだことのあるような、清々しい安っぽい匂いが、だんだん近づいて来るのに気がつきました。それで、私が、

「これ、何の匂い?」

と尋ねると、彼は、少しばかり深呼吸をしながら、

「ああ、こりゃあ、ガムの匂いだ。俺ん家の裏に大きなガム工場があってよう。」

と答えました。

そうして、彼が、首尾よく、細い路地裏を潜りながら入って行くのについて行くと、彼は、ある煤けた倉庫の前で、自転車を止めました。 彼は、その倉庫の脇の、柳の木の奥の方にある、小さな、二階建ての家を指差すと、

「そこが俺ん家なんだ。」

といいました。

それで、私が、これから、そこに入って行くのかと思っていると、彼は、目の前の倉庫に入って行きました。

彼に続いて、私もその中に入ってみると、そこは、日用雑貨の倉庫で、ずらりと並んだスチール製の棚の上には、たくさんの雑貨が、それぞれ、小さなボール紙の箱に入ったまま、無造作に置かれていました。そして、その奥の方に目をやると、彼のお父さんとお母さんらしき人達が働いていました。

白髪混じりの、崩れかけたパンチパーマをした、お父さんらしき人は、MADE IN CHINA と書かれた、大きな段ボール箱の中から、荷を取り出す作業をし、お母さんらしき人は、その隣の薄暗い机に就いて、せっせと帳簿をつけていました。

そして、彼は、その二人に近づいて行くと、

「友達、連れてきたから」

といいました。私は、今まで、一度も遊んだことのない、余り好きでない彼に「友達」といわれて、ぞっとしましたが、彼の方は平気な顔をしていました。そして、お父さんの方は、私の顔を見ることもなく、熱心に作業を続けながら、少しばかり頷いただけでしたが、お母さんの方は、振り返って、私の顔を見ると、

「いらっしゃい」

とやさしそうにいいました。このお母さんは、長田君と違って、非常に色白で小柄な人で、とても彼を生んだ人とは思えないくらい、優しそうな人でした。

しかし、それでも、人見知りの激しかった、当時の私は、初対面の大人達を前に、気不味く、早く、この場を離れたくて、もじもじしていましたが、長田君は、一向に部屋に入ろうとする様子もなく、目の前の大きな石油ストーブに手をかざしていました。
それで私は、倉庫中をぐるりと見渡していましたが、もう一度、長田君のお父さんの仕事の様子を見ていた時に、彼のお父さんの作業の様子が、少し、不自然なのに気がつきました。それで、よく見ていると、お父さんの左手の、親指以外の全ての指が、第一関節から先がないのに気がつきました。

それで、私は気の毒に思いながらも気になり、それとなくその仕事の様子を覗いていましたが、彼のお父さんは、左の手のひらで段ボール箱を抑え、残った親指で黄色い帯状の強靭な荷造り用のビニール紐を引っ掛けては、そこにカッターの刃を当ててうまく作業を進めていました。

その後、倉庫を出てすぐ隣の彼の家に向かう途中、長田君は私が覗き見していたのに気付いたのか、ガムくさい中庭を歩きながら、「若い頃、町工場で働いていた時に、機械に指を挟まれてああなったんだ」と説明してくれました。

そして、彼の家に上がり、二階の彼の部屋に入ると、そこは当然のように漫画とおもちゃが無造作に散らかっていました。その中には、この間、クラスメートの一人が自慢げに見せびらかしていた、見覚えのある玩具も転がっていました。

私は、彼から勧められた薄汚れた朱色の座布団の上に腰を下ろすと、今日、呼ばれた用件は果たして一体何であろうかと考えては、彼がその用件を切り出すのを待ち構えて、今か今かとびくびくしていました。

その時、彼の部屋を見渡していると、彼の勉強机の上に作りかけの大きな戦艦のプラモデルが置いてあるのに気がつきました。それで、私が、

「あれは・・。」

と聞くと、彼は、自身の背中にある机の方を振り向きながら、

「ああ、あれか。」

といいながら、取り上げると、その、所どころ、接着剤のはみ出した、あまり出来のよくない戦艦を私の前に示しながらいいました。

「お袋が買ってくれたんだけどよう。難しくってよう、いつまで経っても出来上がらねえんだよ。」

それから、彼は半ば怒り気味に続けました。

「でよう、誰かに作ってもらいてえんだけどよう、親父もお袋も忙しくってよう。」

そして、彼は、私の顔を見るなり、白々しく話を切り出しました。

「あっ、そういやぁ、お前、工作、得意だったよなあ。」

私は、その一言を聞いた瞬間、その全てを了解し、また、ほっとしました。もちろん、それは「何だ、その程度の用件だったのか」をいうことが分かったからでした。

彼が言ったように、私は元々工作の類が大好きで、彼からの依頼は苦になるどころか願ってもないことでした。それで、彼から本体と残りの部品と説明書を受け取ると、さっそくその場で作り始めました。彼の方はといえば、最初は「何か手伝おうか、番号、いってくれたら部品外すから」などといっていましたが、私が断わるとやがて部屋に寝っ転がって、漫画などを読み始めました。

それから、一時間もした頃、階段をみしみしと上がって来る音が聞こえたかと思うと、彼のお母さんが、ジュースとお手製のお握りを作って持ってきてくれました。そうして、部屋の様子を見たお母さんは、彼に向かっていいました。

「まあ、あんた、自分で作らないで、お友達に作ってもらってるの?」

そうして、私にいいました。

「本当にごめんなさいねぇ。」

そのいい方は、明らかに、「図体の大きな我が子が(また例によって)嫌がるクラスメートの子に無理やりやらせているに違いない」と思い、頭を痛めている様子でしたが、これでは、長田君がいささか気の毒だと思われました。何故なら、私は今回のことに関しては嫌々やらされているわけでもないからでした。

しかし、人間、熱中して物事に取り組んでいると、時間がたつのが異様に早いもので、気付くと、いつの間にか、部屋は暗くなり、窓の外はサーモン・ピンクに色づき始めていました。それで、私はだんだん疲れてきたこともあり、そろそろ帰りたくなってきたため、彼の機嫌を損ねないように、十分考慮しながら切り出しました。

「外、大分暗くなってきたね。」

私が窓の下の方に広がるサーモン・ピンクの空色を眼で差しながらいうと、さすがに彼もそれが「もう、そろそろ帰りたい」という謎掛けであることに気付いたのか、また怒り気味に窓ガラスの上の方を指し示しながら、

「まだ空は灰色じゃねえか」

といいました。

それで、私は、もうしばらくの辛抱と多少手を抜きながらも急いで作業を続けていましたが、やがて重大なことを忘れていることに気がつきました。今いるこの彼の家は、自分の家と同じ学区内でも、まったく正反対の方角にあるので、どんなに急いで自転車を漕いで帰っても相当の時間がかかることは行きがけに見た通りだったからでした。それで、私は、少し時間を空けて再度切り出しました。

「もうこの辺まで出来上がれば、後は、一人で出来るから、・・・」

しかし、そういうと、彼は、(私の主張も空しく)、とうとう、大分、暗くなっていた部屋の蛍光灯のスイッチを入れてしまいました。

結局、中断するきっかけを逸した私は、何としても、その日のうちに最後まで作らなければならない羽目になってしまい、心の中で半泣きになりながら、作業を続けていましたが、ある時、製作上のひとつの問題点に気がつきました。それは、ある部品がそれまでに組み立てたところ、全部の接着剤が乾かないことには組み込めないということでした。それで、私は今度こそ慎重に切り出しました。「ここから先は、今までのところが全部乾かないと作れないよ。」

すると、彼は、説明書を覗き込みながら、それが本当かどうか確かめ始めました。その時、これがチャンスと思った私は、ここぞとばかりに説明を始めました。すると、彼は、多少、頷きましたが、それでも何だか釈然としない様子で唸っていました。

その後、私は、ようやく有利に話を進め始めていましたが、それまで、私にいいくるめられていた彼が突然いい出しました。

「じゃあよう、乾くまで待とうぜ。乾いてからまた作りゃあいいんだからよう。」

その言葉を聞いた途端、私は眼の前が真っ暗になりました。それで、急いで、

「いや、今日は、もう、そろそろ・・・」

といいましたが、それより早く、彼は、立ち上がって言いました。

「待ってる間、倉庫に行こうぜ。」

そのまま、私は、彼に、引っ張って行かれました。

二階を降りて、外に出ると、外は紅色と瑠璃色に輝き、星さえ出ていました。そして、冬の冷たい北風が頬を張りました。また、倉庫の中はもう彼のお父さんとお母さんも作業を終了したらしく、真っ暗になっていました。それで、後ろを振り返ると、先程の彼のお父さんとお母さんが黄色い明かりの灯った一階の居間でテレビを見ていました。私は、その、唯一の頼みの綱を恨めしく眺めながら倉庫に入って行きました。

彼は、倉庫の裸電球をつけ、手頃なカゴを拾い上げると、私を連れて、倉庫中を歩き回りました。そして、まずあるボール紙の箱からプラスチック製の小さな玩具のラッパを二つ取り出すと、その一つを私に渡し、自身ももう一つのラッパを吹きながらいいました。「ここにあるのはよう。全部、俺ん家のだからよう、自由につかっていいんだ。」

その後も、各棚の上の雑貨を物色しては、夜店で売っているような他愛ない玩具を次々と見つけ出し、その都度、カゴに入れていきました。私は遠慮して、一切手を触れず、ただ、彼がやるのに任せてその後をついて行きました。

その後、彼について行っていると、彼は階段を上り始めました。最初、私はその倉庫は一階建てかと思っていましたが、実は、この倉庫には奥の方に棚のようにせり出した所があって、丁度、そこが二階のようになっていたのでした。

その二階へ上がると、そこは送られて来たままの大きな段ボール箱がいくつもそのままの状態で積み置かれていました。また、そこには、一つだけ窓があり、その窓の下には、無造作に縄とシートが置かれていました。そこで彼はそのシートの上に腰掛けると私にもそこに座るように促しました。

彼はカゴからいろんな玩具を取り出してはその都度、弄っていましたが、私にはそんな彼につき合うだけの気力は、もうどこにも残っていませんでした。時折、申し訳程度に、ラッパを吹いてみせる以外は、一刻でも早く家に帰りたくて、後ろの窓を何度もそわそわと振り返っていました。

その後、彼は、その窓を少しばかり開けると、そこに自身の鼻を突っ込んで、力いっぱい、深呼吸してみせると、私にも「やってみろ」と言いました。それで、私も、同様にして、深呼吸してみると、胸いっぱいに安っぽいガムの花のような匂いが広がりました。その卸したての歯磨き粉のような匂いを胸いっぱいに嗅いで、その時、初めて、私は例のガム工場が彼の家のそのすぐ裏にあることを思い出しました。それで、その隙間から、上の方を見上げてみると、右の上空に彼の家ほどもありそうな巨大な出っぱりがあって、よく見ると、それは、確かに、ピンク色の夕暮れを背にした、巨大なガム会社の看板の陰でした。

しかし、今の私にとっては、そんなことはどうでもよく、それよりむしろ、その看板の後ろで、確実に瑠璃色に変色して行く夕映えの方がはるかに問題でした。

その後、彼は、一人でラッパを吹いていましたが、窓ガラスの景色が、真っ暗になってくると、いいかげん、私を引き止められないと思ったのか、突然、

「今日はもう遅いから、やっぱり、そろそろ帰るか?」

といい出しました。その瞬間、私の気持ちはぷっつりと切れ、即座に立ち上がり、

「そうしよう。」

といいました。

そうして、二人で、階段を降りると、私は、彼の気持ちが変わらないうちに、直ぐさま、倉庫を出ようとしましたが、その時、彼が引き止めました。

「ちょっと待ってろ。」

私はいやな予感を隠せませんでしたが、しばらくして戻って来た彼は、小さな薄手のビニール袋に、先程の玩具をいっぱいに詰めて戻ってきました。

「これ持って帰れよ。どうせ、ただだからよう。」

そうして、かれが、家に入って、「友達帰るから」というと、中から、お母さんが出て来て、私に別れの挨拶をしました。

「まあまあ、今日は、家の子が、我が儘、いってすみませんでしたねえ。」

私は、もう帰れる喜びで、何でも馬鹿みたいに頷いていましたが、それでも、即座に自分の自転車にまたがることだけは忘れませんでした。

「じゃあよう、またな。」

「また遊んであげて下さいね。」

「じゃあ、またね。」

私は、自転車のペダルに足をかけると、冬の星空の中を駆け出していきました。



その後、すぐに、春休みに入り、クラス替えもあって、彼とは、二度と同じクラスになることはありませんでしたが、奇しくも、そんな彼と、再び口をきくことになったのは、十年も先のことでした。

高校時分に、隣のクラスの友人と、ある歌手のコンサートを見に行く約束をしたのですが、その時、彼が、友達も一緒に連れて行っていいか、というので、OKすると、その彼が連れて来たのが、外でもない、あの日の長田君だったのでした。

彼は、私のことを全く覚えていない様子でしたが、彼の方も一目見てとても彼とは分からないくらいにその様子は変わっていました。あの日、私が見上げるくらいに大きかった彼の背丈は、その後、思ったほどには伸びてはおらず、そのずんぐりした体形も昔とは比べものにならないくらいに萎んでいました。そうしてその態度もあの頃の我が儘なものから打って変わって、同一人物とは思えないほど腰の低いものになっていました。「ああ、そうですか」と、不気味なくらい、丁寧な言葉を使う彼と私は高校の友人を真ん中に挟んであまり口を聞くこともなくコンサート会場まで行って帰ったのでした。


付記:ところで、例の、作りかけのプラモデルですが、その後、果たして、一体、どうなったのかというと、それは後日の彼の次の一言で全て解決してしまったのでした。

「この間の、あれよう、爆竹で吹っ飛ばしちまってよう。おもしろかったぜ。」


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