美しい文章を書きたいと思う。
美しい文章は2種類ある。
ひとつは、美辞麗句で飾られた文章。
もうひとつは、美辞麗句がなくても美しい文章。
美辞麗句で飾られた文章は、いわば、化粧美人の文章だ。
美人は2種類ある。
ひとりは、すっぴんでも美人な人。
もうひとりは、化粧をすると美人になる人。
文章にも2種類ある。
すっぴんでも美しい文章。
美辞麗句という化粧をすると美しくなる文章。
美辞麗句によって美しく見える文章から、美辞麗句を取り除くとどうなるだろうか。
その結果は2種類に分けられる。
ひとつは、内容の醜い文章。
もうひとつは、内容のない文章。つまり、無内容な文章。
さて、美辞麗句がなくても美しい文章とはどんな文章だろうか。
それは、心の美しい文章だ。
心の美しい文章とはどんな文章だろうか。
私はそれには2種類あると思う。
ひとつは、心の美しい人が書いた文章。
もうひとつは、心の美しい人について書いた文章。
両者は似て非なるものだが、ともに美しい。
例えば、こう考えてみよう。
あるところに、ひとりの心の美しい女性がいた。
彼女は結婚し、息子をもうけた。
ところが、この息子は悪い心の持ち主であり、若い頃にぐれて、非行の道に走ってしまった。
ところで、あるとき、この二人がともに文章を書くことになった。
母親は息子について。
息子は母親について。
それらの文章はともに美しいかもしれない。
母親が書いた文章は、心の美しい人が書いた文章である。
息子が書いた文章は、心の美しい人について書いた文章である。
例えば、私が自分の書いた文章を読み返してみる。
私は、私が自分自身について書いた文章を読むとき、必ずしも感心しない。
しかし、私が、私の母について書いた文章を読み返してみると、自分でも感心するほど美しい。
心の醜い自分が書いた文章なのに、醜い感じがしないのである。
心の美しくない人が、心の美しい文章を書きたかったら、心の美しい人について書いたらよい。
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