あるところにAさんという人がいた。
ある日、Aさんが歩いていると、川で子供が溺れていたので助けたところ、警察に表彰されたりして、多くの賞賛を得た。
それで、気をよくしたAさんはもっと賞賛を得たいと思った。
そこで、Aさんは他に困っている人はないかと気をつけていると、遠くに老婆がうずくまっていたので助けたところ、また多くの賞賛を得た。
Aさんは喜んだ。
また、あるところにBさんという人がいた。
ある日、Bさんが歩いていると、川で子供が溺れていたので助けたところ、警察に表彰されたりして、多くの賞賛を得た。
それで、気をよくしたBさんはもっと賞賛を得たいと思った。
そこで、Bさんは自分が川に溺れている子供を助けて警察に表彰されたことを地元の新聞社に自ら売り込んだところ、地方記事で大きく取り上げられて、最初とは比較にならないほどの多くの賞賛を得た。
Bさんは喜んだ。
上の2つの例を考えてみると、以下のことがわかる。
人は善いことをすると他人から賞賛される。
人が他人から賞賛されたければ善いことをすればよい。
しかし、人が他人からより多く賞賛されるために、必ずしもより多くの善いことをする必要はない。
つまり、善いことと賞賛は比例しない。
例えば、芸能人がちょっとした人助けをして新聞で報じられると、一般人が同じことをした場合とは比較にならないほど大きな賞賛を受ける。
よって、上の例のように、2人も助けたAさんよりも、1人しか助けていないBさんの方がより多く賞賛されるということはあり得る。
言い換えるならば、賞賛や名声は、善い行為の質や量に関係なく、”コピー”することができる。
世の中には売名行為と呼ばれる行為がある。
読んで字のごとく自分の名前を自分で売り込むことである。
売名行為は2種類ある。
1.非合法的な売名行為
2.合法的な売名行為
非合法的な売名行為とは、実際には善いことをしていないのにもかかわらず、それをしたと偽証して名声を得る行為である。
合法的な売名行為とは、実際になした善いことを、より多くの人に触れ回って、より多くの名声を得るという行為である。
売名行為は、それ自体善い行為ではない。
何故なら、他人を利する行為ではないからである。
しかし、前者は悪い行為であるが、後者は別に悪い行為でもない。
何故なら、前者には虚偽という悪い行為が含まれているが、後者にはそういった要素がないからである。
つまり、合法的な売名行為は、他人を利することもなければ、害することもない行為である。
であるのにもかかわらず、ある人が合法的な売名行為をするのは、自分にとってのみ利益があるからである。
つまり、ある人が、良くも悪くもないことである合法的な売名行為をするのは、その人自身の利益のためである。
であるから、合法的な売名行為は、悪い行為ではなく、利己的な行為である。
であるから、もしある人が売名行為を行っているのならば、我々はそれが合法的であるかどうかを確かめる必要がある。
そして、もし、それが前者であるのならば、我々はそれを止めなければならない。
しかし、それが後者であるならば、我々はそれを非難したり、止めたりすることはできない。
上のような理由により、世の中には遠慮なく合法的な売名行為をする者が多い。
ところで、しかし、売名行為というものは、本人が思っているほどうまくいかないことが多い。
それは以下のような理由による。
ある人が、過去において、困っている他人を助けたことは善い行為であった。
しかし、今、それを自ら売り込むのは、他人から見て、善い行為でもなければ、悪い行為でもない、利己的な行為である。
ということは、ある人が売名行為をすると、それは相手に以下のような印象を与えることになる。
「この人は昔善いことをした。
しかし、今は良くも悪くもない利己的なことをしている。
つまり、この人は、昔は善人だったが、今はただの利己主義者、エゴイストである。」
これでは、その人の(現在の)評判がよくなるわけはない。
ところで、最初の例に戻って考え直してみよう。
AさんはBさんよりも多くの人助けをしたのにもかかわらず、より多くの賞賛を得ることはなかった。
しかし、AさんがBさんよりも上回っていることがひとつある。
それは、感謝してくれる人の人数である。
Aさんに感謝する人は2人いるが、Bさんに感謝する人は1人しかいない。
たとえBさんのことを賞賛する人間が1000人いたとしてもである。
上のような考察から、以下のような結論を得ることができる。
「売名行為によって、賞賛する人間を増やすことはできるが、感謝する人間を増やすことはできない。」
あなたが100人の人間から賞賛されるためには、あなたは100人の人間にそれを言いふらすだけでよいが、あなたが100人の人間から感謝されるためには、あなたは100人の人間を助けなければならない。
例えて言えば、賞賛はデジタル的であり、感謝はアナログ的である。
賞賛はデジタル的であるから簡単にコピーすることができるが、それ故に大した値はつかないものである。
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