「現実逃避」という言葉がありますね。


僕が思うに、世間において、現実逃避していると思われている人には、以下の3種類があるようです。


1.現実逃避している人


2.社会逃避している人


3.世間逃避している人


この3種類は、似て非なるものだと思います。



つまりこう言うことです。


まず、僕はこう定義する。


【定義】 現実:=この世(のすべて)


その上で言えば、


【命題】 社会や世間は現実の真部分集合である。


記号で書くと、こう。


社会 ⊂ 現実


世間 ⊂ 現実


要するに、社会や世間というのは、現実の一部でしかないということです。



さて、現実逃避している人とは、どんな人だろうか。


僕はこう定義する。


【定義】 現実逃避:=自殺


よって、


【命題】 現実逃避している人=自殺した人


何故なら、人間は生きたまま現実(この世)を逃避することは出来ないから。


言い換えるならば、


【命題】 生きている人間に現実逃避している人間はいない。



次に、社会逃避している人とは、どんな人だろうか。


僕はこう定義する。


【定義】 社会逃避している人:=ある社会においてその人の社会的義務を放棄している人


例えば、大金持ちの息子で、遊んで暮せる身分の人が、自分で働かず、自分の稼いだお金で税金も納めず、遊んで暮らしているのは社会逃避である。


ただ、彼はそうすることが許されており、遊び仲間らから「現実逃避(実は社会逃避)している」と思われていないだけの話だ。


(しかし、彼は、彼の親の金にものを言わせて娯楽などに浸っている限り、下の定義における世間逃避をしているとは言えない。)



最後に、世間逃避している人とは、どんな人だろうか。


僕はこう定義する。


【定義】 世間逃避している人:=世間における俗事に関心がない人


例えば、Aさんという人のことを考えてみよう。


Aさんは毎日まじめに働いている会社員である。


彼は、仕事をする上で必要な付き合いを一切避けないで働いている。


会社の同僚と一緒に働き、一生懸命頑張って、その給料から税金と年金を納めている。


NHKの受信料もきちんと払っている。


しかし、一方において、Aさんは、テレビドラマやバラエティ番組は一切見ないし、流行の芸能人のギャグや流行っている歌などまったく知らない。


また、カラオケやテレビゲームやゴルフの趣味もない。


また、友人たちと飲み会で集まって、その場にいない人の陰口を言ったり、根も葉もない噂を言って盛り上がったりすることもない。


僕は、上のような人こそ、まさに現実逃避をしないで、世間逃避している人であると思う。


そして、僕は、その人の生き方は何ら悪いことではないと思う。


例えば、お釈迦さんやイエスの生き方は、まさに「世間逃避」である。



しかし、世間においては、彼のような人も現実逃避していると誤解されがちである。


そうなる理由は、以下の2種類がある。


1.世間において、俗事が流行りすぎているから。


2.そう思う人の方が、俗世間の域を出ていないから。


1.について。


ある世間では、多くの人たちが、テレビタレントの話題で盛り上がったり、バラエティ番組の真似をしてみたり、カラオケにおいてみんなでたくさんのCMタイアップ曲を熱唱したり、みんなで会社帰りにゲームセンターに寄って行ったり、流行のドーナッツ屋だか、ラーメン屋だかに1時間以上並んでみたり、会社の同僚の噂話で盛り上がったり、その会話に参加しないと自分が噂の標的にされたり、会社に妙な派閥があったり、学生たちが学歴や偏差値を度を外れて争ったり、携帯電話がないと暮していけなかったり、小さい子がカードゲームに何千円も使ったり、いい年をした大人が欲しいものが出てくるまでガチャガチャだか、食玩だかを買い続けたり、わけの分からんパーティーに呼んだり呼ばれたり、イベントだ何だで広告代理店やテレビ局のいいように操られたりするということはあるかもしれない。


(結局のところ、「世間」とはそう言うところである。そして、もしある人が何らかの道を志すのならば、ぜひとも、この「世間」を出なければならない。)


世間において、人々の関心がそういう方向(すなわち、『悪夢の’80年代後半の再来』)に傾けば傾くほど、世間逃避している人は周囲の人たちに付いていけなくなるだろう。


その結果として、彼は彼らとの付き合いが疎遠になるということがあるかもしれない。


しかし、それはむしろ世間の人たちの問題であって、彼本人の問題ではない。


(一昔前までは、世間において、普通の人たちが、デカンショを学んだり、マルクスについて熱く語り合ったり、ドストエフスキーを読んで人生について考えたり、お寺に行ってお坊さんの話を聞いたり、座禅を組んだり、聖書を読んでみたり、博物館に行って古文書をメモしたりすることは普通に行われていたのである。)


2.について。


世間の域を出ていない人には、世間逃避している人と、社会逃避している人と、現実逃避している人の区別は付かないかもしれない。


なお、「世間の域を出ていない人」とはいわゆる「俗人」のことである。


【定義】 俗人:=世間の域を出ていない人



しかして、非俗人たる Brian Wilson のような御仁が以下のように歌わなければならなくなるのである。


"I Just Wasn't Made for These Times."




上のような考察から、以下の結論を導き出すことができると、僕は主張したいのです。


【主張】 僕のは、現実逃避じゃないんです、世間逃避なんです!


僕は「プロの引きこもり」じゃありません。(´;ω;`)



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