1-1.「命題は夢に似ている。」


1-1-1.「命題は、思いついたときは素晴らしいが、あとで考えてみると、何のことだかよく分からない。」


1-1-2.「夢は、見ているときには素晴らしいが、あとで考えてみると、何のことだかよく分からない。」


命題は夢に似ている。



1-2.「命題を唱えると、揚げ足を取られる。」


1-2-1.「命題はそれ自体、真偽を保障しない。」

それは、真かもしれないし、偽かもしれない。


しかし、同時に、

1-2-2.「命題は、分かりやすく、目新しくなければ、価値がない。」

ある人が、ある命題を唱えるのは、その命題(が真であること)に価値を認め、世間に広めるのが目的である。


その一方で、

1-2-3.「目新しく分かりやすいものは、古臭いことしか思いつかない気難しい批評家タイプの人間に好まれる。」


また、

1-2-4.「批評家にとって、揚げ足を取るのは、ストーカー的愛情表現である。」

から、


命題を唱えると、(主にその命題自体の不備について、批評家によって)揚げ足を取られる。

つまり、1-2.は以下と等価である。

1-2’.「提唱者にとって、批評家に気に入られるのは、災難である。」



1-3.「ある命題が真であることを唱えると、四面楚歌である。」


ある命題が真であるためには、反例があってはならない。

ある命題が偽であるためには、反例がひとつでも見つかればよい。
それ故、ある命題が真であることを唱えると、いろんな人が反例を持ち寄ってくる。

ある命題が真であることを唱えると、四面楚歌である。



1-2.1-3.を抽象化して言えば、以下のようになる。

1-4.「肯定的に語られることは、否定的に受け取られる。」



結局のところ、

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」(ウィトゲンシュタイン)




2-1.「陳腐なものは、どこまで行っても陳腐である。」


陳腐でないものが陳腐になることはあっても、陳腐なものが陳腐でなくなることはない。
それ故に、陳腐なものは、どこまで行っても陳腐である。



2-2.「陳腐なものに対する批判は、同程度に陳腐なものである。」


陳腐なものがいかに陳腐なものであるかについて唱えるのは陳腐な人のすることである。
あるものが流行遅れであることについて力説する人は、流行に疎い人である。
陳腐なものに対する批判は、同程度に陳腐なものである。



2-3.「陳腐なものに対する批判に対する批判は、同程度に陳腐なものであるが、許される。」


誰かがそれを言わなければならない。



2-4.「陳腐なもの[に対する批判]*n(n≧3)は、同程度に陳腐なものであって、かつ無粋である。」


それ以上言うのは無粋である。




3-1.「懐かしいものは美しい。」


我々が懐かしく思い出すものは、いずれもよいものばかりである。
そして、我々がそれを思い出するとき、そこには美化が加わるので、懐かしいものはすべて美しい。
懐かしいものは美しい。



3-2.「美しいものは懐かしい。」


ある人はある種類のものを見て、美しいと思う。
そこには、その人が過去に見た美しいものの面影が宿っている。
おとつい、銀座で見かけた美しい女性は、筆者の初恋の女性に似ていた。
そんなことは筆者以外の人間にとっては、どうでもよいことである。
美しいものは懐かしい。



続く。



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